世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
“富士康(フォックスコン)が本当に逃げた!”:中国人論者が語る“富士康後遺症”
(九州産業大学 名誉教授)
2024.07.15
2年前,「郭台銘を絶対に逃がすな!」というタイトルの記事が中国で話題になったが,今年5月24日付けの「氷河思想庫」(氷河シンクタンク:ネット上の情報サイト)に「河南の富士康(フォックスコン,鴻海の中国法人),状況に変化が(河南富士康,事情正在起変化)」(投稿者:陳白)とする記事が掲載され,注目を浴びた。
同記事からも,鄭州の富士康からの輸出額の約3分の2弱が減少し,それに見合う雇用減が生じたことが,河南経済へ甚大な影響を及ぼしたことが見て取れる。近年の中国の高い失業率,低い成長率との関連を考える上で大変興味深い内容のため,以下に記事の概要を訳し紹介する。なお,筆者は「なぜ富士康は中国生産から撤退するのか:生成AI機能搭載,生産拠点の移転」(世界経済評論Impact No.3481)でも論じた。合わせて読んでいただきたい。
アップルがインドにおける生産を急速に拡大した結果,直接的な影響を受けたのが,遥かに1000キロ以上離れた中国河南省の富士康鄭州工場だとは誰が予想できだろう。最近,中国の税関総署が今年1~3月期の31の省の輸出入統計データを発表した。そのうち,10の省で大幅な減少が見られた。そのうちの1つが“輸出大省(輸出量の多い省)”の河南省だ。
河南の輸出の減少の主な理由は,スマートフォン輸出の減少である。周知のように,鄭州の富士康はアップルのiPhoneの最大の組立加工企業であると同時に,河南省最大の輸出企業でもある。2023年の河南省のスマートフォンの輸出は5,761万台で,対前年比で14.5%も減少した。この輸出の減少は現在も拡大し続けている。鄭州税関のデータによると,河南省の2023年1~3月期には1,688万台のスマートフォンが輸出された。しかし,2024年同期では僅か664万台の輸出に留まっており,1024万台も減少した。これを金額ベースで見てみると2023年1~3月期の711億人民元から2024年同期には272億人民元まで減少した。
アップルの今年1~3月期の中国におけるスマートフォン売上は前年同期比19.1%減と大幅に縮小した。全世界ベースでのスマートフォンの売上が減少しているとは言え,中国における減少は非常に大きい。その最大の理由は,富士康の河南における生産ラインの大部分を撤退させたことだ。
従来のグローバリゼーション下ではデカップリング(分断)を論じることは無かった。しかし,今起きていることは典型的な「バタフライ効果」だ。“ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こした”(注1)。富士康の中国から撤退は,単に富士康一社のことにとどまらない大きな影響を及ぼす。
富士康について一部の人々は,「富士康はアップルの“下請け”であり,単にアップルのために富を作り上げる企業」と見ていた。低い技術力,低利益,労働者の権益を重視せず,サプライチェーンにおける川下の一企業。このような企業は中国に来るべきでないとさえ考えられていた。“富士康がないと,河南人は生きることができないのか? このような傲慢な声まで聞かれるようになった。。しかし,富士康が河南に対し,あるいは中国経済に対し,どうれほどの貢献をしてきたかについて,これらの人々には想像すら及ばないものだった。
2023年の富士康が新鄭綜合保税区で達成した輸出額は4,073億人民元で,鄭州の輸出額に占める比率の74%,河南省の輸出額に占める比率の50.3%に達した。中国企業の輸出Top100のランキングにおいて,鄭州富士康,深圳富士康,成都富士康はTop20に入っていた。10数年の間,富士康は中国の輸出企業のトップを維持してきた。
“一鲸落,万物生”(劉詩瑶が書いた「一鲸落而万物生」の詩で,一頭のクジラの死が,深海における新たな生態系を作り出すこと)についての単純な理解では,小さな魚たちは巨大なクジラの死肉を得ることで利を得ることができるが,より複雑な生態系においてどのような影響が起きるのかは理解することができない。ソーシャルメディアの中で“〇〇社(ある外資系企業とする)は中国から出ていけ”とキーボードを打つ人々は,“出ていけ”と主張することが,同胞の生計と“飯を食うお椀”(生活の糧)を失わせることに気づいていない。
つまりは,彼らは「ある外資系企業」の影響力とその背後に存在するサプライチェーンの効果を見誤った。“国産品で代替できる”あるいはアップルのサプライチェーンで失った企業を代替できると考えていたのだ。現下の複雑な生産システムは,単純に代替できるようなゲームでなく,高いリスクとともに大手術を必要とするようなゲームなのだ。
富士康が進出から撤退までに河南省の経済成長へ与えた影響を見てみると,2010年に鴻海の創業者である郭台銘が鄭州で富士康の工場建設を決めた後,川上から川下まで200数社の部品企業も河南に工場を設置するようになった。それまで人口の流出省で,近代産業の立地を支えることができなかった河南省において,電子産業が急速に経済におけるプレゼンスを形成するようになった。鄭州の電子・通信産業の規模は25倍にも増加し,2020年になると,鄭州富士康はすでに中国最大の輸出企業になった。その通年の輸出額は316億ドルにまで達し,この1社の実力で鄭州の輸出額の80%,河南省の60%を占めた。
鄭州航空港経済綜合実験区を例にすると,富士康が進出した年,鄭州航空港の総生産額はわずか206億人民元であったが,2021年には1,172億人民元と5倍以上も増加した。富士康は鄭州の生産額に対する寄与率はピーク時には25%にまで達した。河南政府が外資を積極的に誘致する理由は,富士康のようにサプライチェーンを有する企業が地域の経済発展へ及ぼす影響が極めて大きいからだ。富士康は近年,中国での生産コストの上昇(人件費の高騰と労働者不足,不動産価格の高騰など)から,インド,ベトナムなどより低コストの地域に拠点を移している。しかし,富士康インド工場のパフォーマンスを見ると,人件費が低いメリットがあるものの,中国で構築したようなサプライチェーンを代替することは出来ていない。熟練労働者の不足による品質管理問題など,明らかに富士康にとって工場の移出は“激痛”を伴う選択でもある。では,なぜ富士康は一部の生産能力を中国から移転するのか。この問題の本当の答えは,今後の長い期間の社会・経済の動向によって得ることができるだろう。
富士康がなくても,中国企業の欧菲光(OFILM),立訊精密工業(ルクスシェア・プレシジョン・インダストリー)などの“地場企業による代替”ができると主張する人がいる。しかし,河南省を代表とする多くの省・市は冨士康1社に過度に依存する“富士康症候群”罹っており,短期的な解決策がないのが実情だ。周知のように,米国のデトロイトの産業構造が,自動車産業に過度に集中した結果,デトロイトの経済は自動車産業の盛衰に大きく影響されることとなった。に対応し,地域の経済発展には産業構造転換の必要性と,それを支えるソリューションを見出す必要があろう。
富士康の対外移転後の空白は,あるいはEVなど新エネルギー自動車の製造によって補うことができるかも知れない。今年1月,富士康は5億人民元を投じて,河南省に新エネルギー自動車部品の下請け工場を設けた。中国国内の新エネルギー自動車の部品すべてを下請け生産すると言う。他方,比亜迪(BYD)も河南での投資を拡大すると言う。多角的に見ると,河南のこのような産業転換は,理性的な選択であると同時に,時代の趨勢とも言えるであろう。
代替産業の探求は,近年,世界の趨勢でもある。新エネルギー自動車は潜在力を含んだ産業として知られるが,問題は新エネルギー自動車がすべての産業を代替できるのかということだ。例えば,不動産市場の不況も新エネルギー自動車で補完することができると述べた人がいる。しかし,常識わかるように,新エネルギー自動車産業の規模がいかに大きくても不動産の不振とスマートフォンのような高額消費財産業の空白埋めることはできない。“委託加工”そのものが産業の川下であり,コスト負担が高く利潤は少ない。“世界の工場”と言われた誇りは,僅かこの10年間にすっかり褪せてしまった。
しかし,一方では,世界の先端製品の下請け加工工場は,操業過程において,中国に大量な雇用機会をもたらし,新たな技術とイノベーションの普及拡大の機会を得ることができる。これらの利点をえることは,短期的に中国の地場企業だけで代替することができない。技術的なボトルネックもある。産業転換の痛みと未来の不確実性に対する備えもより複雑化するだろう。“富士康症候群”からの決別を試みる時,同時に“後遺症”への準備に備える必要がある。
[注]
- (1)「バタフライ効果(butterfly effect)」とは,気象学者のエドワード・ローレンツが1972年にアメリカ科学振興協会で行った講演のタイトル 「Predictability: Does the Flap of a Butterfly’s Wings in Brazil Set Off a Tornado in Texas?(予測可能性:ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?)」に由来する。力学系の状態にわずかな変化を与えると,その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象で,カオス理論で扱うカオス運動の予測困難性,初期値の鋭敏性を意味する標語的・寓意的な表現。
[参考文献]
- 朝元照雄「なぜ富士康は中国生産から撤退するのか:生成AI機能搭載,生産拠点の移転」(世界経済評論Impact No.3481,2024年7月8日。
- 朝元照雄「中国からの撤退“It’s Moving Time”:台湾企業対中戦略の変化」世界経済評論Impact No.3253,2024年1月15日。
- 朝元照雄「「郭台銘を絶対に逃がすな!」:中国が恐れる米中対立下のデカップリング」世界経済評論Impact No.2522,2022年5月2日。
- 朝元照雄「“春江水暖鴨先知”から“寒江水冷鴨先知”:“Chiwan”から脱中する台湾企業」世界経済評論Impact No.3283,2024年2月5日。
- 朝元照雄「“赤いサプライチェーン”は台湾企業を代替するのか:ブルー・オーシャンを追求する台湾企業」世界経済評論Impact No.3266,2024年1月22日。
- 朝元照雄「地経学下,台湾企業の対中戦略の新展開:フレンド・ショアリング,ペガトロンの選択」世界経済評論Impact No.3276,2024年1月29日。
- 朝元照雄「フレンドショアリング・台湾企業の対タイ大移転:米中対立と台湾企業の対中戦略の変化」世界経済評論Impact No.3202,2023年11月27日。
- 朝元照雄「プリント基板製造企業の新しい動向:“チャイナ・リスク”による“タイ・シフト”の加速」世界経済評論Impact No.2756,2022年11月21日。
- 朝元照雄「中国からASEAN・インドにシフトする「世界の工場」:台湾の海外直接投資の新しい動態」世界経済評論Impact No.2409,2022年1月31日。
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