世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
アメリカ経済に迫る壁
(国際貿易投資研究所 顧問)
2024.07.08
人口動態の変容が招く危機
今年第1四半期まで7期連続プラス成長を続ける米国経済の好調ぶりに,将来への悲観論は影を潜めている。
だが米国経済は人口動態上危機に向かいつつあり,有効な対策を打たなければ米国は近い将来経済大国の座を失うとする,Operation Hope(NGO)代表ジョン・H・ブライアント(John Hope Bryant)の議論が注目されている。
第二次大戦後,米国の繁栄の主役を演じた白人の人口比率90%が,今や60%に後退し,更に2045年を境にマイノリティーに転ずる。
この人口動態の変化は米国経済に重大な影響を及ぼす。もはや大卒白人だけが米経済成長を担うのは難しくなる。現行の社会保障制度は,ベビーブーマー世代が現役から退きつつあり,受給者の急増から2033年までに現在の支給レベルを維持できず破綻する計算だ。
他方,20年後にマジョリティーになる非白人人口は,経済の主役を担うために必要な知識,技能,経験を積む機会に恵まれていない。
この背景にあるのは企業のI&D(Inclusion & Diversity=包摂と多様化)に対する認識と対応の遅れ,及び社会に存在する差別である。
マッキンゼー調査によれば,人種・性別面の多様化推進企業の業績は,後発企業より39%上回るという。企業の多様化への投資は,損益計算上プラスの成果を生んでいるものの,大方の企業の取り組みは停滞気味だ。
人種差別による経済へのマイナス影響も見逃せない。City Groupの調査によれば,黒人への差別が米経済に与えた損失は,2020年までの20年間に16兆ドルに上る。もし差別なかりせば,今後5年間に5兆ドルを生み,GDPを毎年4%押し上げるという。
しかし,現状は差別解消に向けた社会の取り組みには目立った進展はない。改善への有効な対策が執られなければ,2053年までに黒人世帯(中央値)の資産はゼロになるという。GDPの70%を占める個人消費の構造の一角が瓦解したまま,米国が30年後も世界のスーパースターで居られるはずがない。
実は現在でも消費社会の貧困は黒人世帯に限らない。米国人の78%が貯金も投資もままならない「カツカツの生活(paycheck to paycheck)」を強いられているという調査結果がある。年収10万ドルの所得者ですら半数がこの状態だともいう。プア・ホワイトは既に2,600万人(白人人口の約14%)に達している。
もはやマイノリティー化する白人だけで豊かな米国を実現するのは不可能だ。性別や人種への差別を払拭し,黒人,ヒスパニック等マイノリティーの所得向上に本腰を入れない限り100年後の経済強国アメリカはない。
アメリカを駆逐したい中国,ロシア,イラン,北朝鮮などの強権国家に対抗するためには,多様な人種,世代,民主・共和の党派抗争などを超え,危機意識を共有して米国の潜在力を最大限発揮して眼前の壁を乗り越えなければならない。
リンカーンは150年前に,「米国は業績に見合う公正なチャンスを与えるツールと資金を提供する社会であるべきだ」と提唱した。
今日の米国の経済社会を直視し,勤労に励み,ルールと法律を遵守し,公正に処し他者を敬うという伝統を顧み,改めて米国人は各自の将来設計を決める権利をもつ国民であることを再確認したい。
黒人・ヒスパニック世帯の資産消滅の衝撃
ブライアントのこの提起(Business Plan for America)は去る5月,ロサンゼルスのMilken Institute Global Conference における非公開のパネルディスカッションでなされたプレゼンである。パネリストにはPershing Square Capital CEOのBill Ackman, Guggenheim Investments 社長 Dina Lorenzo をはじめとする6名が参加した。
ブライアントはアトランタを本拠に弱者救済を目的に活躍する3000億円超を基本財産に持つNGO(Operation Hope=O.H)の創立者・CEOである。高卒でホームレスの経験者でもある彼は,1992年のロサンゼルス暴動の直後,被災者救済のため単独でO.Hを立ち上げ,地元の金融機関を駆け回って得た寄付をもとに活動を拡大,その後歴代大統領の下で弱者救済関連の委員会トップを経験した。米国の黒人社会では異色の傑材である。O.Hはファイナンシャル・リテラシー普及,持ち家・起業向け融資,被災者救済など,これまで400万人超を支援してきた。
人口動態でみれば米国も高齢化は避けられない。6年後の2030年には5人に1人が65歳超になり,10年後の2034年までに65歳以上が18歳以下を上回る。社会保障は現行支給水準を77%にまで引き下げないと制度の存続は危うくなっている。
白人のマイノリティー化も既に始まっている。2020年には18歳以下の白人人口は既にマイノリティーに転じており,経済社会の変貌に沿った対策を催促している。
こうした米国社会の変容に伴う企業対応について,マッキンゼーは2015年から警鐘を鳴らしてきた(Why Diversity Matters,2015, Delivering through Diversity,2018,2020)。企業は人種・性別の多様化を推進することによって付加価値を高め,経済全体を押し上げることができると結論している。
直近のレポートによれば,多様化への取り組み度と企業利益は正の相関が認められるという。即ち取り組み度の進展と並行して利益は増加する。例えば,女性幹部多数登用(30%強)企業と極少企業間の利益の差は48%に上る。人種・文化に関する多様性実行度でも同様で,全体のトップ4分の1企業と後発4分の1企業の利益の差は36%に達する。両極化したこの構図の改善は足踏み状態で,企業全般のI&Dへの取り組み姿勢は消極的だ。
英国と米国の先行3業種(金融サービス,技術,ヘルスケア)から各10~30社を対象に行った調査では,女性幹部の割合は2019年までの5年間で15%から20%へと微増に留まる。しかも3分の1の企業は女性幹部を登用していない。
マイノリティーの幹部登用についてもほぼ同様だ。同期間中7%から13%への増加に留まる。
人口動態の変容に伴って看過できないのは,黒人・ヒスパニックなどのマイノリティーの経済状況が今後益々悪化してゆくことである。センサスの予測では2016~2060年間の米国の人口増8,140万人(3億2,310万人→4億450万人)の内,ヒスパニックが5,370万人,黒人が1,770万人それぞれ増加し,両者だけで全人口増の9割弱を占める。60年の人口比では両者合わせて4割強となり,白人(ヒスパニック系を除く)とほぼ肩を並べることになる。
黒人・ヒスパニック層が,果たして経済・社会の中核を担えるのか,深刻な懸念が浮上している。Prosperity Now(人種平等経済を目指すNGO)のEmanuel Nievesの研究(2017年)によれば,黒人,ヒスパニック世帯の資産(中央値)は1983年以降30年間低落を続け,それぞれ75%減(6,800ドル→1,700ドル),50%減(4,000ドル→2,000ドル)へと大幅に落ち込んだ。2024年にはさらに各20~30%減少するとみている。このまま議会,政府が何らの対策を講じなければ,黒人世帯は2053年,ヒスパニック世帯は2073年に,それぞれが持つ世帯資産はゼロになると予測している。
過去1983~2013年の30年間に白人世帯の資産は増加したものの,黒人,ヒスパニック両世帯の資産は減少したため,全米の世帯資産は20%低下している。全人口の4割強という重みを考慮すれば,今後40年以内に起きる黒人・ヒスパニック両世帯資産の消滅が,全米の消費に与えるインパクトの大きさは計り知れない。
「もしトラ」が現実になった場合のヒスパニック対策の柱が,大量の移民追放だけというのは「あり得ない政策」だ。黒人・ヒスパニック社会の潜在力を積極支援しない限り,米国経済が右肩上がりを続けるのは難しい情勢だ。好調に見える米経済の光に目を奪われて,内に広がり続ける巨大な影を見過ごしてはならない。
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