世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3459
世界経済評論IMPACT No.3459

APEC参加エコノミーの経済体制の多様性をめぐって

石戸 光

(千葉大学 副理事・教授)

2024.06.17

 APEC(アジア太平洋経済協力)は21の国と地域(APECでは,主権を巡る意見の相違に配慮して,これらを「21のエコノミー」と呼ぶ)からなる経済の発展段階および経済体制において多様性を持っている。具体的には,資本主義陣営と共産主義(社会主義)陣営のエコノミーがAPECメンバーには存在している。日本はアメリカと同様に資本主義の陣営に属するAPECのメンバーエコノミーであり,中国,ロシアおよびベトナムは,独自の共産主義もしくは社会主義的な経済体制を持つAPECのメンバーエコノミーである。それらの間の対立が貿易・投資・金融を巡って先鋭化しつつあるのが,昨今のAPECを巡る状況となっている。

 ここで共産主義(社会主義の究極の形態ともいえる)について改めて振り返ると,その近代における根源は,周知のとおりカール・マルクスの『資本論』にある。彼は,資本主義の初期の形態の人間的および社会的問題に対して書いた重要な20世紀の哲学者であり,資本家による労働者の搾取を特徴とする初期の資本主義の人間的および社会的問題に反対して同書を執筆した。そして共産主義的な経済体制(APEC的にはエコノミー)は,唯物論と,階級社会や宗教的信念を否定する「科学的」社会主義に基づいていると言われている。主権国家体制の必要性を理論づけたイギリスの政治哲学者ホッブズの人間に関する基本的な考えも,唯物論の一種であり,彼は主著『リヴァイアサン』において,人間が物体であり,その生命が運動であるという物質主義的な人間の徹底的な見方を示している。人間の心には,感覚,思考,思考の連鎖以外の動きはなく,すべての思考の源は身体的感覚であり,それは私たちの感覚器官に圧力をかける外部物体の動きであるとされる。結局のところ,唯物論的視点では,人間の物体的な動きは,それ以外の何ものも生み出さないという視点となる。

 しかし実際には,唯物的な経済体制においても財産,名声などを得たいという「感情」が,人間の物体的な動き(武力衝突も含め)の原動力として共産主義的な体制の中にももちろん存在しており,権力によって自らの経済体制を財産や名声の面で維持・拡大しようとすると,他の経済体制と必然的に対立することとなる。APECにおいては,共産主義的なエコノミーと資本主義的なエコノミーがメンバーとして含まれ,このような根本的な対立の構図が,APECにおける外交の根底に難題として横たわっている。

 上記は,いわば社会思想的な観点からAPECに参加するエコノミー間での対立を抽象化してとらえようとしたものであるが,現実の経済安全保障(例えば半導体や鉱物資源を巡る貿易構造の分断)などの深層にある。APECが多様性の中の一致を目指すにあたり,経済体制の多様性,具体的には資本主義陣営と共産主義陣営の間の摩擦をどのようにして解消できるか,現実の動向を見つつ検討することは欠かせない。2024年のAPECは南米のペルーが議長を務めており,APECにおけるスローガンはEmpower, Include, Growとなっている。多様な経済体制を持つAPECのメンバー間の根本的な対立・分断を顕在化させずに,たとえば中小零細企業を力づけ(empower),貿易体制に招き入れ(include),ともに成長(grow)することが,今年のAPECの主眼であり,APEC首脳会談が予定される年末にかけて,世界経済に大きな影響を与えているAPECにおける議論に注目していく必要がある。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3459.html)

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