世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
日本でハイパー・インフレを起こしてはならない:日銀調査局の吉野俊彦氏は警鐘を鳴らしていた
(高知大学 名誉教授)
2024.05.06
太平洋戦争の敗戦が濃厚になった1944年と45年に,当時の政府の調査研究動員本部は,当時の日本銀行に対して,第1次世界大戦後ドイツのインフレーションについての調査を委託した。この調査報告が,「第1次世界大戦後に於ける独逸のインフレーション」(吉野俊彦氏執筆)と「第1次世界大戦後に於ける独逸の財政金融政策」(吉野俊彦氏,赤松正章氏,呉文二氏執筆)である。当時の政府は,戦争終了時に日本でハイパー・インフレーションが発生するかもしれないと予測し,ドイツでの経験を参考に,その防止策を事前に検討しておこうとしたのであった。
これらの調査報告は,敗戦後の1945年12月に,日本銀行総裁の命により,1冊の学術書として世に送りだされた。これが,日本銀行調査局『ドイツインフレーションと財政金融政策』実業之日本社,1946年であり,先行研究を乗り越える優れた業績となった。吉野俊彦氏は,戦後に大活躍された金融論の権威であり,この時点ですでに優れた研究者としての頭角をみせておられたのである。
吉野俊彦氏は,防止対策の観点から先行研究を批判し,これらがドイツのインフレーションの分析力点を大戦終了後とくに1921年5月以降に集中させてしまっていること,そしてこのことによって,大戦中における戦時経済の進展が大戦後におけるインフレーション爆発過程を準備したことを見逃してしまった,と指摘している。
そして戦後経済の特色を示し,当時の中央銀行を次のように厳しく批判する。「ドイツ戦時経済を特色づけるべきものありとすればそれは通貨増発の地盤としての戦費調達方法並びにそのコロラリー(当然の結果:紀国)としての中央銀行独立性の程度に求められるべきである」。「ライヒスバンクのごとく政府手中の傀儡(かいらい,あやつり人形のこと:紀国)となり一国通貨の中央調節機関たるの機能を完全に喪失したるごとき事例は稀有(けう,めったにないこと:紀国)である。しかしてこの現象はライヒスバンクの準拠法たる1875年制定のドイツ銀行法を一見すれば直ちに明瞭なるごとく,ドイツ政府のライヒスバンクに対する権限は他国に見る能はざる広汎かつ強力なるによるもの」。
このように,ライヒスバンクというドイツの中央銀行は,首相(内閣)の管理・監督下にある法人であり,首相を議長とする監理会の監督を受け,その業務は首相の指揮下で行われていた。ドイツの中央銀行はまったく独立性を喪失し,政府の言うがままに政府公債を引き受け,政府の必要とする資金を提供し続け,貨幣(銀行券)の信用の保持という重要な任務を放棄していた。わたしの言葉でいうところの,公然型の「財政と金融の癒着合体」が完璧に形成されていた。この財政と金融の癒着合体構造が解消されない限り,ハイパー・インフレーションは防止できない,これが吉野俊彦氏が導いた結論であった。
この結論が正しいことの検証として,吉野俊彦氏は,1924年にドーズ案が成立し,1924年にかけてハイパー・インフレーションが終息していった経緯を,次のように説明している。「ドーズを委員長とする専門委員会が翌1924年4月9日賠償委員会に提出せる報告書がドイツインフレーション終滅の最後的施設として認められる所以は,実にそれが通貨価値の安定と財政の均衡とを不可分の一体として認め通貨価値安定策としてのライヒスバンクの改組を提議するとともに財政均衡策として賠償金の年々支払額をロンドン最後通牒の決定に比し遥かに軽減せるのみか外債の募集を認めたる点に存する」。
この方向にそって制定された1924年の銀行法によって,ライヒスバンクは政府から独立した中央銀行の組織となり,政府はこれに対していかなる干渉もできないこと,政府に対する信用提供は厳重に制限されること,などが定められた。またドーズ外債の募集によって得られた資金は,賠償金の支払いに用いられて財政負担が軽減され,経費節減などの努力によって,1924年には財政均衡も実現できた。これらの措置によって,貨幣(銀行券)への信用は回復し,ハイパー・インフレーションは一気に終息していったのである。
(詳しくは,紀国正典「第1次世界大戦ドイツのハイパー・インフレーション(1)―大規模な貨幣破産・財政破産の発生要因についての解明―」(プレ・プリント論文),金融の公共性研究所サイト,紀国セルフ・アーカイブ「公共性研究」ページからダウンロードできる)。
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