世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
現在のロシア経済は「高圧経済」?
(丸紅経済研究所 所長代理)
2024.04.08
3月29日付日本経済新聞電子版に掲載された服部倫卓・北海道大学教授による「大統領選後のロシア(下) 『大砲もバターも』路線 綱渡り」を拝読した。同稿で服部氏はロシア政府による巨額の財政出動による人手不足・インフレ・金利上昇を指摘し,その持続可能性に疑問を呈している。これらは既にコンセンサスであり,私も大いに賛同する。
一方,米国の著名経済学者グレゴリー・マンキュー氏が唱える「経済学の10大原理」の中に「人々はトレードオフ(一方をとると他方を失うということ)に直面している」とある通り,ほとんどの経済現象はマクロ経済面からみると肯定的・否定的両方の結果をもたらしがちだ。それなら現在ロシアが直面している人手不足・インフレ・金利上昇にも肯定的側面があるのではないだろうか,と考えてみた。実際,経済制裁下のロシアでは「ルーブル安がインフレ率を押し上げる一方,歳入増加にも寄与する」といった現象が生じているからだ。マクロ経済とは輸出や為替といった「部分」だけを見るのではなく,部分の変化がどう全体に影響するかという「経済システム全体」として見るべきなのだ。
さて人手不足・インフレ・金利上昇の肯定的側面として考えられるのは「高圧経済」という概念だ。最近ではイエレン米財相がFRB議長時代の2016年10月に高圧経済に言及している。そのポイントは次の通りだ。
- ①不況の後に供給側の履歴効果(この場合,過去の不況を教訓に企業が投資や雇用を抑制すること)が存在するなら,需要と労働市場をひっ迫させることでこれを解消できる。
- ②具体的には企業の売上高を増やせば,将来見通しが明るくなり,追加の設備投資を促進する。
- ③労働市場が逼迫すれば,潜在的な労働者が労働市場に参入する。
- ④これらを通じて国全体の生産能力が拡大する。
このスピーチでイエレン氏は言及していないが,生産能力(総供給)が増えれば,インフレが起こりにくくなるという利点もある。
実際のロシアの雇用を見てみよう。15歳以上の就業者数はウクライナ侵攻前の2022年1月は7,150万人だったものが,2024年1月は7,320万人と170万人=2.4%も増加している(同じ1月なので季節調整はしていない)。現在のロシアで軍需と民需を明確に分けるのは難しいが,増加した170万人すべてを軍需雇用とみなすことはできない。おそらく170万人のうち一定数の人々は従来なら受けられなかった(受けるつもりがなかった)On The Job Trainingなどを受けつつ働いているのだろう。
シルアノフ財相の最近の発言を確認したが,高圧経済を意識した発言は見当たらなかった。また高圧経済が意識された2010年代中頃の米国経済は相対的に低インフレ・低金利であり,今のロシアとは状況が異なる。しかしシルアノフ財相が意識しようがしまいが,高圧経済によりロシアの生産能力(総供給)は一定程度拡大するだろう。更にロシアについて懸念されるのは,高圧経済により相対的にプーチン支持率が低い若年層が恩恵を受け,プーチン支持に転じるかもしれないことだ。
筆者の懸念が杞憂であることを祈る。
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