世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3346
世界経済評論IMPACT No.3346

「新しい中世」の到来:現代世界の新しい視点

瀬藤澄彦

(国際貿易投資研究所(ITI)客員 研究員・元帝京大学経済学部大学院 教授)

2024.03.25

 分断と対立の様相の深まる世界だが,1648年のウェストファリア条約以降,国際関係の基準として機能してきた国民国家という政治体制の有効性について疑念を公にする知識人が増えてきた。フランスの国際的知識人,エマニュエル・トッドはその最新著『欧州の敗北』(La Défaite de l’Occident)のなかでウクライナ戦争の迷走は,世界が外交という国家主権を掲げて交渉していくという国際関係のゲームのルールが段々と通用しなくなってきたからであると指摘する。その理由として彼が挙げているのは「中産階級の衰退」である。古代ギリシャの哲学者アリストレスは当時のギリシャ諸都市の政治組織の欠点を分析し,とくにプラトンの理想主義的国家体制論を批判した。その理由として,「中産階級に基盤を置く社会体制なしには理想とする国家は成立しない」としている。カール・ポッパーは中産階級が衰退し,弱体化する国民国家の危険性を意識し,プラトンをして全体主義者であるとまで批判したことで知られている。

 エマニュエル・トッドだけでなく,同じような視点から国際関係論を論じる知識人がいる。豪州出身の英国学派とされるヘドリー・ブル(Hedley Bull)と日本の元東大・国際政治学教授で国際協力機構(JICA)理事長の田中明彦の2人の考えが注目される。冷戦終了とともに,1990年代はグローバリゼーションが進展したが,同時に国民国家体制は弱体化してきたということに加え,5世紀から15世紀までの中世社会体制を言わば「止揚」したような新たなもうひとつの中世的な秩序が形成されつつあるというのである。

 ブルは5つの動きを指摘した。即ち,①欧州連合に代表されるような国民国家の地域的な統合,②国家からの分離独立運動の高まり,③暴力的な言動や行為の国内外での激化,④地球環境や人新世など国境を超えた人類意識,そして⑤高度技術発展による宇宙船地球号という我々意識の芽生え。田中も1990年代のポスト冷戦社会では国民国家志向が崩れて「新しい中世」(New medievalism)秩序に向かっているとする。これを現実の国際社会に当てはめると次のように表現されるであろう。主権国家そのものがイデオロギー的な差異でなく市場経済と民主主義の狭間で揺れ動き,それと同時に国際機関,多国籍企業,NGOなど非国家的なアクターの役割と影響が増大,また国家間の勢力関係が序列や権力関係に色濃く反映するようになった。

 冷戦後の国際社会は3つに分類される。米欧日で構成される「新しい中世圏」と見なされる第1圏域では,田中が“ワード”ポリティックスと呼ぶ,言語コミュニケーション,調整,説得力で国際関係が動いていく,第2圏域では市場と民主主義の水準が不安定に混在するグローバルサウスやBRICS諸国において軍拡や領土拡張など国家間戦争に訴求しようとする,第3圏域では市場経済と民主主義の混沌状態から難民,虐殺,疫病などホッブス的な対立が横行し,国連やNGOの介入なしに秩序を保てなくなる,という3つのあらたな圏域の時代にあるというのである。「新しい中世」という概念を前向きに解釈するためにもウェストファリア条約以前,国民主権国家体制以前の世界は実はどのような世界だったのか今風に復習しておくことが必要である。中世の特徴を知ると,現在の国際社会が中世的になっているという意味が理解できるはずであると田中は言う。欧州の中世社会の特徴は,ブルによれば①領主,国王,カトリック教会(教皇,司教,修道院),騎士団,都市国家,大学など国際社会における主体が多様,②明確な国境を持った近代国家とは異なり,領土と主体の関係が曖昧で重層的,③多様な主体,重層的な権力関係や領土関係から,国内社会と国際社会の境界が曖昧,④イデオロギーとしてはローマカトリック教会の思想が支配的,というものであった。この④におけるカトリックを自由市場主義と置き換えることができるであろう。現代が実は中世に近似するのはポスト冷戦によって共産主義と自由資本主義の対立が終わり,カトリックに代わって自由主義のみが支配的なイデオロギーの時代になっていると言えるのである。ジャン・ジャック・ルソーは安定した共同体が発展するにつれて,「一般意志」による国家の形成が実現すると主張した。一般意志とは人民が理性的に政治参加して得られる政治的意志である。人々の意見の総意によって国家という主権体制がここでは第1圏域においてその国際レジームが形成されていくと説いた。

 中間階級の衰退は多くの先進国で確認され,あの世界的ベストセラーとなった『21世紀の資本』を書いたトーマ・ピケティも統計的に長期にわたって観察された現象としている。さらにコロナ危機は中間階層人口を2020年以前の世界人口の17.8%にあたる13億8千万人から17.1%の13億2千万人に減少させてしまったとワシントンのシンクタンクPew研究所のRakesh Kochhar所長は指摘する。世界の中間階層の人口は2011年から2019年の間に年間5400万人増加したことによって8億9900万人から13億3500万人に達していたので,中間階層がほぼ脱落したことになる。世界の大都市圏は都心部に中間階層が形成されて成り立っていた。都心部の富裕化現象は,市場経済と民主主義を支えていたその中間階層を没落させている。これが国民国家の衰退に向かわせる危険である。「新しい中世」の到来は必ずしも明らかではない。そして最近の国際的な不和や緊張や紛争に対応する田中が“ワード”ポリティックスと呼ぶ,言語コミュニケーション,調整,説得力によって調停さていくような世界が遠ざかってきているのではないかと懸念される。

[参考文献]
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3346.html)

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