世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3246
世界経済評論IMPACT No.3246

蕭美琴物語:駐米大使の最有力副総統候補者

朝元照雄

(九州産業大学 名誉教授)

2024.01.08

 1月13日に実施される台湾総統直接選挙には与党・民進党の頼清徳・蕭美琴ペア,野党・国民党の侯友宜・趙少康ペア,民衆党の柯文哲・呉欣盈ペアが立候補している。前掲のコラム(No.3231,2023年12月25日)では,総統立候補者である頼清徳の経歴について触れたが,本稿では最有力副総統候補者とされる蕭美琴氏の誕生から,政界に身を投じるまでの個人史を紹介する。

プロテスタントの家庭

 蕭美琴(Bi-Khim Hsiao)は1971年8月7日,神戸市の病院で生まれた。英語名の「Bi-Khim」は台湾語のローマ字表記による発音である。父親の蕭清芬は台湾基督(キリスト教)長老教会から米国のプリンストン神学校に派遣され博士号を取得した台南県出身の敬虔なプロテスタント。母親はユニオン神学校(ニューヨーク)で音楽修士を取得した米国人女性Peggy Cooley(ペギー・クリー=中国名・蕭邱碧玉)で,美琴は台米混血児である。両親は仕事柄タイやスイス,ベルギー,オランダなど世界を転々とし,父親の日本研修時に美琴が生まれた。ちなみに,父親が台南神学院の副教授(准教授)の時,両親は台南神学院礼拝堂で結婚式を行った。美琴が生まれた後,父親は台南神学院に戻り,母親はフランスでパイプオルガンを学んだことで,木管楽器,木琴が得意で,音楽教育や幼児教育に携わった。基督長老教会で使われた聖書はローマ字による台湾語の発音表記のため,母親は台湾語を話せるが,北京語はできない。1973年,美琴が2歳児の時,父親は台南神学院院長に昇格し,その後,弟・啓仁,妹・美瑟が続いて生まれた。

 1977年8月16日,基督長老教会は「人権宣言」を発表し,台湾が新しい独立国家になるよう呼びかけた。当時,台湾は権威主義体制であり,「宣言」は体制批判となり,政府の逆麟に触れた。基督長老教会が創設した台南神学院も「台湾独立養成学校」のレッテルを貼られ,情報機関の重点監視対象になった。1979年12月10日に「美麗島事件」(世界人権デーに高雄市で行われた雑誌『美麗島』主催のデモ活動により,主催者らが投獄された言論弾圧事件。台湾の民主化に大きな影響を与えた)が勃発した。台南神学院出身の教師や学生もデモに積極的に参加したが,院長である父親は人権擁護と教師・学生の身の安全を図るという責務のジレンマに立たされた。美琴が今日,人権,自由と民主主義思想を強く持ち続けているのは,台湾人アイデンティティー意識が強いプロテスタントの家庭で育ったためだ。

 父親はかねてから,自身の定年後は妻の故郷である米国ニュージャージー州に戻る約束をしていたため,美琴は台南最難関校の台南女子高校に合格していたが,入学せずに両親とともに米国に渡った。美琴はモントクレア・ハイスクール,オーバリン大学東アジア研究学部(East Asian Studies)に進学した。ちなみに,日本の桜美林大学は,創立者の清水安三がオーバリン大学の卒業生であることから,校名としたものである。

 美琴は大学の図書館で台湾独立運動の推進者の1人である史明著『台湾人四百年史』や『美麗島』など,当時台湾では禁書扱いの書物を読み,台湾の主権とウーマンリブ運動に関心を寄せた。大学3年次に半年間休学し,呂秀蓮女史(のちの陳水扁政権下の副総統)のアシスタントを務め,「台湾の国連加盟推進運動」に尽力した。

民進党の党務に尽力

 1995年3月,民進党は対米業務強化のため,「民進党駐米代表所」を設けた。美琴はコロンビア大学大学院政治学研究科の修士課程を修了後に同所の執行所長に就任し,対米人脈の構築や外交人材のトレーニング課程,講師の招聘,民進党要員の接待などの業務をこなした。当時の民進党許信良主席に注目され,美琴は台湾に戻り,民進党国際事務部副主任(副部長)に就任した。

 1997年3月,桃園県知事の劉邦友殺害事件による県知事の補欠選挙に呂秀蓮が立候補し,美琴はアシスタントを務め,呂女史は圧倒的な強さで勝利を収めた。1997年末,国際事務部楊照主任(部長)の辞職で,美琴は26歳で主任に昇格した。2000年,陳水扁総統,呂秀蓮副総統の政権が発足し,美琴は総統府顧問に就任,英語の通訳を担当するようになった。

政治家への道

 2002年,美琴は民進党から立法委員(国会議員)の比例区枠(在外華僑の僑選枠)に出馬し当選した。就任前に,美琴は米国国籍を放棄し,中華民国(台湾)国籍を取得した。2008年の立法委員選挙で台北2区の党内公認候補争いでは王世堅に敗れ,政治家として生涯初の挫折を味わった。同年の総統直接選挙では民進党の候補者謝長廷(現在の駐日代表=大使)も敗北の苦汁を嘗めた。

 蔡英文党主席からの呼び出しで,美琴は6度目の国際事務部主任に再任した。2010年立法委員補欠選挙(花蓮県選挙区)で,美琴は3万3249票(40.8%)で,国民党候補者の王廷升の3万9379票(48.32%)に僅差で敗れた。しかし,2012年の第8回立法委員選挙では比例制枠7番目で当選。その後も花蓮に腰を据えて活動を継続した。2016年の第9回立法委員選挙(花蓮県選挙区)で,美琴は6万3231票(53.77%)と,現役の国民党候補王廷升の5万1248票(43.58%)を凌駕,三選阻止に成功し当選した。しかし,2020年の第10回立法委員選挙(花蓮県選挙区)では,美琴は5万6485票(40.53%)で,国民党黄啓嘉の1万7507票(12.56%)を凌駕したものの,無所属の元花蓮県知事の傅崐萁(6万4060票,45.97%)に得票数が及ばず,敗北した。

 外国語に堪能な美琴の長所を発揮できる領域は国際事務であり,地方事務ではない。しかし,国際事務だけでは選挙民からの票を得ることはできない。更に大物の政治家に成長するためには,現場を地方事務の“道場”として,選挙民の支持を集める修業が必要であった。去就が注目されていた。第15代中華民国副総統に当選した頼清徳の訪米に美琴は同行し,2020年6月16日,蔡英文政権は駐米代表(台湾駐米大使)に美琴を指名した。

 2021年1月20日,美琴はフェイスブックに「台湾を代表し,バイデン大統領,カマラ・ハリス副大統領の就任式に参加できることは非常に光栄です」と書き込んだ。これは1979年の台米国交断絶以降,台湾の代表(大使)が初めて大統領の就任式に参加することができたエポックメーキングな出来事であった。

 美琴は米国赴任後,多くの優れた業績を挙げた。『ブルームバーグ・ビジネスウィーク』の「2021年注目に値する焦点の人物8人」に美琴が選ばれた。また,『ニューヨークタイムズ』紙から「ワシントンで最も影響力のある大使の1人(One of the Most Influential Ambassadors in Washinton Isn’t one)」に美琴を挙げ報じた。

 美琴は台米の蜜月関係に精彩を放つようになった。ニューヨークの大リーグMets球場の「台湾Day」の始球式に美琴が招かれた。駐米台北経済文化代表処(台湾大使館)のツイン・オークス(Twin Oaks)で,美琴は台湾グルメを上院・下院議員などに振る舞い好評を得た。近年,多くの米国議会の議員団が訪台するようになったのも,美琴の活躍が少なからず奏功している証左であろう。

 美琴の活躍を中国は「目の上のたんこぶ」扱いし,2度にわたり美琴を「頑固な台湾独立分子」の制裁リストに入れたが,逆に,美琴の人気を高めることとなった。中国は「戦狼外交」で周辺国を恫喝しているが,美琴は自らを“戦猫”と称し,「戦狼外交」に対峙している。猫はいくつかの特質があり,動作が機敏であること,非常に狭い空間でも生存の場所を見つけることができるというのが美琴の弁だ。

 美琴は政治家として,外交事務からスタートし,現場で奉仕による訓練を積み,再び国際舞台に戻り,日米中台の外交戦場を回旋し活躍するなど,内政と外交の両面で豊富な経験を積み上げてきた。美琴が花蓮県立法委員に当選したときは,県政史上最高の得票数を獲得し,駐米代表期間でも台米関係に素晴らしい業績を飾った。美琴は自らが置かれたどんな場所でも優れたパフォーマンスを発揮してきた。

 2024年1月13日に台湾総統直接選挙が行われ,与党民進党の頼清徳と美琴は総統と副総統のペアで立候補。選挙の結果はまだ判明していないが,仮に当選後,頼清徳と美琴は台湾を国際舞台の高みへと牽引することが期待されている。

[参考文献]
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3246.html)

関連記事

朝元照雄

最新のコラム