世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
TSMCがライバルに勝った理由:UMC,IBM,インテル,サムスン電子
(九州産業大学 名誉教授)
2023.12.11
TSMC vs UMC
周知の通り,TSMC(台湾積体電路製造)は世界最大のファウンドリー企業である。聯華電子(UMC)は1980年に工業技術研究院(ITRI)からスピンオフし,TSMCは1987年に同じくITRIからスピンオフした。そういう意味で,UMCは“長男”で,TSMCは“次男”である。設立後,UMCはIDM(垂直統合型)ビジネスを採用し,TSMCは設立時から一貫してファウンドリーをビジネスの方針に定めた。“次男”のTSMCはファウンドリー・モデルが結実し,業績も伸び,“長男”であるUMCを凌駕するようになった。
ファブレス企業がIDM企業に半導体の製造を委託する場合,自社の機密がIDMに連なる企業などに流出し,模倣されるリスクが生じる。そのため,UMCの曹興誠CEOは,自社を分社化するアイデアを考えた。
1995年に生じた半導体の供給不足により,UMCは僅か3カ月の間に10数社のファブレス企業から共同出資のオファーを受けた。これにより,1997年にUMCはIDMからファウンドリーへとビジネスモデルの転換を図り,同時に設計部門の聯発科技(メディアテック),聯詠科技(ノバテック),聯陽半導体(ITE Tech),聯傑國際(DAVICOM),聯笙電子(AMICテクノロジー),智原科技(Faraday Technology)と盛群半導体(Holtek)のファブレス企業に分社化した。
また,米国,カナダなどのファブレス企業11社と共同出資し,8インチのファウンドリーを手掛ける聯誠,聯瑞,聯嘉の3社を設立した。UMCの3社への出資比率はそれぞれ35%で,技術料として別途に15%の株を取得している。これにより,ビジネスモデルの転換による資金不足を解消し,顧客とその発注を維持することで,競争力を確保できると考えた。
その後,1999年には,聯誠,聯瑞,聯嘉と合泰の4つのファウンドリー企業を合併(UMCの「5合1」と呼ばれた)し,UMCの生産能力はTSMCの85%にまで達し,いよいよTSMCに追いつく距離にまで迫った。UMCがファウンドリービジネスに転換した時の世界市場に占める同社のシェアは1割未満であったが,「5合1」の合併によりシェアは35%に増加した(ちなみに,当時のTSMCのシェアは45%)。
他方,TSMCは1999年12月30日,テキサスインスツルメンツ(TI)とエイサーの合弁企業である徳碁(TI-Acer)半導体の合併を公表。さらにそのわずか8日後にTSMCは1対2の持ち株の交換比率で世大積体電路製造を合併すると発表した。この合併により,TSMCとUMCとの市場シェアの差はさらに拡大するようになった。後日談であるが,世大積体電路製造の創業者張汝京は元・世大の従業員100名以上を引き連れ,上海に中芯国際集成電路製造(SMIC)を立ち上げた。現在,SMICは中国最大,世界第5位のファウンドリー企業までに成長した。
TSMC vs サムスンとインテル
2000年,TSMCは0.13μm(マイクロメートル)チップの開発成功によって,その後の技術的優位を確立した。それ以前のTSMCの技術について,林宏文の著書『晶片島上的光芒』は「購入,特許の譲与,ファブレス企業からの無償供与による」(268頁)と指摘している。TSMC設立時の技術は,工業技術研究院(ITRI)の6インチのウエハー技術の移転で,同技術も米国RCA社からの技術移転とITRIの研究成果によって得られたものである。1987年にTSMCが取得した特許技術は,フィリップス社の線幅1.2ミクロン(=1200nm)の製造特許であり,当時の世界最先端技術に比べるとおおよそ2~3世代遅れていた。その後の1ミクロン(1000nm)と0.8ミクロン(800nm)はTSMCが自ら開発した技術である。
TSMC研究開発所の所属の林茂雄の著書『摩爾旅程』によると,TSMCの顧客は生産能力の拡大のため,自社内部の貴重な技術をTSMCに供与していたと指摘している。具体的には,1990年にTSMCが0.8ミクロン技術を開発した際,米国VLSI社は試作したチップの技術を無償提供した。また,1993年にTSMCが0.5ミクロン技術を開発した際には,同じく米国のAMD社が自社開発の0.5ミクロン技術の486CPU(中央演算処理装置)製造に関し,自社の生産能力不足からTSMCに製造支援を要請,タングステンプラグ(Tungsten Plug)と化学機械研磨(CMP)の2つの貴重なプロセス・モジュール技術を無償でTSMCに供与した。林氏の著書によると,当時,インテルとAMDの2社が486CPUチップのプロセス・モジュール技術を持ち,互いに市場シェアを争っていた。TSMCでは,このプロセス・モジュール技術を入手できたことによって,0.6ミクロンと0.5ミクロンの開発技術が大きく向上したという。その後,TSMCの“鶴の恩返し”による線幅7nmと5nmのCPUチップの製造によって,AMDの業績は持続的に向上した。TSMCは1994年には数百万ドルでヒューレット・パッカード(HP)から0.35ミクロンの64K SRAMのクラウドにデータを保存する技術を購入したと林氏の著書で述べている。
2000年に0.13ミクロン銅製造プロセス技術を開発する際,TSMCはIBMの技術を購入しようと考えたが,IBMは自社工場での試作にこだわったため,TSMCは自社開発を決めた。その後,IBMはUMC,インフィニオン・テクノロジーズ(Infineon),サムスン電子,AMD(のちのグローバルファウンドリーズ(GF))などで半導体開発連盟を組織した。最終的に,TSMCが世界初の0.13ミクロン銅製造プロセス技術を開発し,IBM連盟チームは2年後に開発に成功,さらにその後になってから開発した企業もあった。
なぜTSMCが世界で初めて0.13ミクロンの量産化に成功したのか。蒋尚義総指揮(当時)によると,TSMCが前世代の0.18ミクロンを開発時に用いたLow-k(低誘電率)材料のHSQ(水素シルセスキオキサン)は,試作段階では良かったが,量産化になると良品率が芳しくない。対するIBMはHSQに類似した技術のSiLK材料を採用したが,TSMCは失敗の経験を踏まえて,より適正な材料選びに注力した結果,世界でいち早く0.13ミクロンの開発に成功し,業界をリードすることができたという。また,TSMCの先端封止技術の第1人者である余振華によると,TSMCのR&Dには特に難しい理屈はなく,基本的な研究を確実に行い,直接的・間接的な全ての証拠を詳しく分析し,プロジェクトを丁寧に進め,理性的な分析を行えば時間の無駄を省けると指摘している。0.13ミクロンの量産化に成功した開発のキーマンは「TSMCのR&D6人組」(林本堅,楊光磊,蔣尚義,孫元成,梁孟松,余振華)だ。IBMなどを追い越した後,TSMCでは自社開発を原則に研究が進められた。
2005年,TSMCの創業者張忠謀(モリス・チャン)は最高経営責任者(CEO)の地位を蔡力行(リック・ツァイ)に渡した。しかし,2008年の世界金融危機による不況で,TSMCの受注が大幅に減少するようになると,蔡力行は当時の先端半導体の線幅0.13nm(ナノメートル)半導体の製造装置の購入を緩め,社内に業績制度を導入,業績の悪い従業員5%をリストラした。しかし,リストラされた従業員がデモ抗議活動を展開するなど混乱が生じたため,引責した蔡は更迭され,モリスが再びCEOに返り咲いた。
2009年6月,モリスは資本をそれまでの2倍の59億ドルに増資した。これにより,ライバル他社との市場シェアの差は更に拡大した。2009年は世界的な不況であったが,翌年からの世界景気の回復で,半導体業界は年間31.8%の高い成長を果たした。そして,モリスの決断で線幅28nm半導体製造過程へ大規模投資を実施,28nm半導体の市場シェアの8割をTSMCが掌握するようになった。
2014年12月,サムスン電子は線幅14nmのFin FET技術のチップの試作に成功し,線幅20nm技術を飛び越え直接的に14nm技術を開発し,1年後には量産化を開始することになる。当時,TSMCは線幅16nm半導体の量産化を始め,ライバルのインテルも10nm技術のR&Dを開始し,各社はTSMCの牙城に挑戦するようになった。
TSMCは全社的に次世代の10nm半導体チップ開発に取り組み,これに応戦するようになった。モリス会長がリーダーシップを取り,半導体R&D部門初の「夜鷹プロジェクト」を開始した。このプロジェクトに400数人のR&Dメンバーを集め,深夜当直者には「基本給3割増,ボーナス5割増」の優遇な条件を提出し,24時間に3交替の体制でR&Dを推進し,2016年にサムスン電子とインテルを越えて,世界初の10nmの量産化を目指した。このプロジェクトの成功でTSMCはアップルのiPhone6S搭載のA9チップを供給できた。同時に供給されたサムスン製造のチップは高温の熱を発するトラブりにより,TSMC製の性能に軍配が上がった。そのため,2016年のiPhone7のA10チップは全数がTSMCからの供給になり,それ以降のiPhone搭載の線幅7nm,5nm,3nmの半導体チップは全てTSMC製だ。「夜鷹プロジェクト」による成果は,明らかにライバルとの間に大きく差を生じさせる結果となった。TSMCの次の目標は,システムの統合であり,独創的な3D封止技術によって再び世界の王者の座を占めることを目指す。
[参考文献]
- 朝元照雄『台湾の企業戦略』勁草書房,2014年,第1章「台湾積体電路製造(TSMC)の企業戦略」。
- 朝元照雄「なぜ,TSMCが世界最大のファウンドリーになったのか」世界経済評論Impact No.2713,2022年10月17日。
- 朝元照雄「TSMCの“裏切者”か,中国半導体の“救世主”か:中国に渡った台湾人技術者—張汝京と蒋尚義」世界経済評論Impact No. 2303,2021年10月14日。
- 林宏文『晶片島上的光芒』早安財經文化,2023年。
- 林茂雄『摩爾旅程』白象文化,2023年。
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