世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
低金利,インフレ,円安に依存する日本経済
(元野村アセットマネジメント チーフストラテジスト)
2023.12.04
政府債務GDP比の低下
日本の10月分の生鮮食品を除く消費者物価指数の前年同月比上昇率は+2.9%と,19か月連続で日銀が目標とする2%を超えた。マイナス金利やイールドカーブ・コントロールの解除の機運は高まっている。ただ,日本経済は低金利,インフレ,円安に依存しており,インフレ率に見合う水準まで金利を引き上げるような完全な金融緩和の解除には至らないだろう。
資金循環勘定のフロー統計を見ると,国,地方,社会保障基金の合計である一般政府部門の収支は赤字が続いている。ただ,資金循環勘定のストック統計を見ると,一般政府部門の純負債残高は2020年7-9月期をピークに減少している。これは,資産側で年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)等を通じて保有している株式,投資信託受益証券,外国証券などの評価額が増えたことの影響が大きい。足元の実質GDPの水準はコロナ禍前のピークから見てほぼ横ばいだが,物価上昇によって名目GDPはコロナ禍前より増えている。それに加えて円安によって企業利益が増えたことが株価上昇につながっている。円安は外貨建て証券の円換算額を増やしている。金融緩和策は,低金利による政府の利払い負担抑制に加えて,物価上昇と円安を通じて,財政状況の悪化を食い止めている。逆に言えば,金利が上昇し,円高になってインフレ率と名目GDP成長率が下がると,財政状況は厳しくなる。
株価上昇が家計金融資産の目減りを防ぐ
一方,高インフレ,低金利は,資金の出し手である家計にはありがたいことではない。資金循環勘定のストック統計から株式・投信以外の家計金融資産残高を取り,家計最終消費支出デフレーターで割ることで実質化した額は,2021年10-12月期をピークに減少している。ただ,家計においても保有する株式や投信の評価額が増大しており,実質家計金融資産の目減りをある程度防いでいる。株式と投信の家計金融資産に占める比率は,2007年7-9月期の17.3%からリーマンショックを経て,一時10%以下に下がった。しかし,2012年末ごろから持ち直し,2023年4-6月期には17.4%と,リーマンショック前のピークを上回るに至った。ここから金利上昇によって円高,株安になると,家計金融資産が減少してしまう。
労働を安売りする日本
低金利,インフレ率上昇による名目GDP成長率の高まりや円安は,日本の企業全体にとっては利益増大要因となる。低金利,インフレ,円安を維持するために日銀が金融緩和を続けることは,政府,家計,企業のそれぞれにとって望ましいように見える。しかし,日本で働く人々は,2013年に始まった大胆な金融緩和政策の割を食っている。雇用者報酬を雇用者数で割ることで求められる1人当たり雇用者報酬は,2013年に減少基調から増加基調に転じた。しかし,さらに家計最終消費支出デフレーターで割ることで求められる1人当たり実質雇用者報酬は,2013年以降も概ね横這いで推移し,2022年からインフレ加速によって落ち込んだ。2023年7-9月期の水準は,2021年10-12月期より4.8%低い。また,円安によって米ドル換算額も減少し,米国の1人当たり雇用者報酬に対する相対値は,2012年7-9月期の90%から,2023年7-9月期には36%まで低下した。
政府,日銀は企業にインフレ率を上回る賃上げを促している。しかし,円安が続けば,輸入原材料・燃料のコスト上昇で中小企業を中心にした内需型企業の賃上げの余裕は乏しくなるだろう。また,米国など主要国に対する雇用者報酬の相対値の低下にも歯止めがかからない。実質ベースやドル・ベースでの雇用者報酬の減少は,労働の安売に他ならない。家計の主たる所得源である雇用者報酬が増えなければ,民間最終消費支出などの国内需要も増えにくい。株式や投資信託の評価額の上昇は,株式や投資信託を多く保有する富裕層にはプラスだ。しかし,資産形成の途上にある現役労働者にとっては,実質雇用者報酬の減少によって株式・投資信託などの投資に回せるお金は減る。さらに,経済成長の長期トレンドが高まらない限り,低金利や円安で株式や投資信託の足元の評価額が上昇する分,将来の期待リターンは下がり,長期的な資産形成には不利に働く。
結局,日本国内に留まっていては,労働者は給与の実質的増大を望めず,企業は市場規模拡大に限界を感じ,投資家は高いリターンを見込めない。労働者も企業も投資家も海外に目を向けざるを得ず,世界経済における日本のプレゼンス低下は続きそうだ。
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