世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
着実に進むASEANの経済統合:2023年の動き
(亜細亜大学 特別研究員・ITI客員 研究員)
2023.11.20
ASEANを取り巻く環境は厳しさを増している。トランプ政権発足以降の米中対立はバイデン政権でも拡大し,コロナによる経済への負の影響に加え,2021年2月にはミャンマーで軍事クーデターが勃発し国内の政治経済の混乱が続いている。2022年2月にはロシアがウクライナに侵攻し世界規模でエネルギーや食糧価格の上昇が起きている。こうした厳しい国際政治経済環境の中で,日本ではほとんど報じられないがASEANは「ASEAN経済共同体(AEC)2025」を目指し経済統合を着実に進めている。ASEAN経済統合の深化はグローバル化の後退が喧伝される中で東アジアではグローバル化が後退していない証左であるとともにASEANで事業を実施する日本企業にとってもビジネス環境の改善を意味する。本論では2022年から2023年にかけてのASEAN経済統合の進展状況をまとめている(注1)。
進展するFTAのアップグレード
2010年に発効したASEAN物品貿易協定(ATIGA)のアップグレード交渉は,2021年の全体見直しを踏まえ,2022年3月に開始された。ATIGAのアップグレード交渉は3回目からテキストベースの交渉に入り,2023年9月時点で5回の交渉を行っている。零細中小企業(MSME)章と経済技術協力(ECOTECH)章の交渉を終え,2024年中に大半の章の交渉を終える見通しである。アップグレードにより伝統的な物品貿易分野に加え,デジタル・トランスフォーメーション(DX),ペーパーレス貿易,循環経済,持続性,食糧安全保障,貿易と環境など新たな分野をカバーする現代的,包括的で未来志向的な協定になることが期待される。ASEAN事務局のシン事務次長によると,ATIGAの見直しとアップグレードは2022年に発効したRCEPが後押ししたものであり,RCEP効果でもある(注2)。
FTAの利用促進のために2016年8月に開始されたASEANのFTAにおける特定品目の関税率と貿易規則に関する最新情報を入手できるポータルサイトであるASEAN Tariff Finderの最新版の運用が2023年に始まった。
ASEAN+1FTAのアップグレード交渉も進んでいる。2020年に交渉開始が合意され,2022年11月に実質合意に至ったASEAN・豪州・ニュージーランドFTA(AANZFTA)のアップグレードは,2023年8月23日のASEAN-CER(豪州・ニュージーランド)経済大臣会議で第2改訂議定書の調印が行われた。アップグレードの目的は経済統合を深化拡大し,コロナ後の経済回復を図ることであり,質が高く,新たな課題に対応し,現代的な貿易慣行を考慮した協定を目指していた。中でもサプライチェーンの強靭化と統合,重要物資の円滑なフロ―,サービスと投資の自由化の深化,電子商取引とDXの支援などを目的としていた。具体的には,「貿易と持続的開発(13章)」,「零細中小企業(16章)」,「政府調達(17章)」が追加された。
中国およびインドとのFTAも見直し
ASEAN・中国FTAのアップグレードを行うACFTA3.0交渉も進展している。ACFTA3.0は新たな分野としてデジタル経済,グリーンエコノミー,サプライチェーン連結性,競争,消費者保護,零細中小企業などを対象とするとしている。ASEAN・香港FTA(AHKFTA)の第1改訂議定書が2023年8月の第7回ASEAN香港経済大臣会議で合意され調印を待つ段階となった。第1改訂議定書は原産地規則の品目別規則(PSR)に関する改定である。また,ASEAN・香港投資協定(ASEAN-Hong Kong Investment Agreement:AHKIA)の留保表の交渉が実質的に合意した。
ASEAN・インド物品貿易協定(AITIGA)の見直しも行われている。見直しはATITIGAを企業がより使いやすい,シンプルで貿易促進的なFTAにすることが狙いであり,AITIGA合同委員会が協定の見直しを強化し2025年に終了するように指示している。ASEAN・インドFTAは関税番号変更基準と付加価値基準の双方を満たすことを要求する厳格な原産地規則や複雑な関税削減スケジュールなど他のASEAN+1FTAに比べ使いにくい協定である。また,ASEAN側はインドにRCEPへの復帰を促している。
7番目のASEAN+1FTAであるASEAN・カナダFTA(ACAFTA)は物品貿易,サービス貿易,投資,衛生植物検疫,貿易の技術的障害,知的財産,競争,電子商取引,中小企業など包括的な協定である。ACAFTAには政府調達が含まれ,労働,環境などCPTPPに含まれる新たな分野についても議論が行われている。
2022年1月に発効したRCEPについては,RCEPサポート・ユニット(RCEP Support Unit:RSU)の設置規定(TOR)およびRSUの資金関連規定が2022年8月21日のRCEP閣僚会議で承認されており,RSUは2024年から活動開始の予定である。コロナ後の経済回復と包摂的でルールに基づく貿易,投資の促進,東アジアのサプライチェーンの強化と経済統合の推進のためにRCEPの効果的な実施は極めて重要である。
投資,サービス貿易,規格基準など
ASEAN包括的投資協定(ACIA)の第5議定書が実質合意し,2024年に調印の見通しである(注3)。第5議定書は,ACIAの留保表の原則とモダリティを2つの附属ネガティブリストに移行させ,対象を製造業,農業,漁業,林業,鉱業およびこれらの付随サービスを超えるセクターに拡大し,ラチェット条項を導入することを規定している(注4)。また,2023年1月に発効した第4議定書で規定されたパフォーマンス要求の禁止の新たな義務の実施も規定されている。ACIAの第4改訂議定書はWTOの貿易関連投資措置協定(TRIMs)で禁止されているパフォーマンス要求を超える(TRIMsプラス)パフォーマンス要求の禁止を盛り込んでいる(注5)。ASEANはインド太平洋に関するASEANアウトルックの協力分野にSDGsの実現を課掲げており,投資分野でもSDGs(持続的開発目標)の実現を進めている。OECDがASEAN投資調整委員会と協議して作成したASEAN持続的投資分析報告が発表された。ASEAN持続的投資ガイドライン(ASEAN Sustainable Investment Guideline)の2024年の完成を予定している。
サービス貿易では,2020年10月7日に調印が完了し,2021年4月5日に発効したASEANサービス貿易協定(ATISA)の「適合しない措置の表(ネガティブリスト)」の作成を含めATISAの施行は進展している。サービス貿易の不必要な規制と行政上の負担に取り組み,サービスセクターのビジネスコストを削減するため「ASEANサービス円滑化枠組み(ASEAN Service Facilitation Framework:ASFF)」の策定が2023年中に終了する見込みである。OECDおよび東アジア・ASEAN経済研究センター(ERIA)の支援によりASEANサービス調整委員会が協力して作成してきたASEANサービス貿易制限指数(ASEAN Service Trade Restriction Index)のパイロット・フェーズが完了した。サービス産業の貿易と投資の政策と規制環境を改善し,ビジネスフレンドリーで予測可能なビジネス環境を目指すASEANサービス円滑化枠組み(ASEAN Service Facilitation Framework:ASFF)が2024年を目標に策定中である。
人の移動については,貿易,サービス貿易,投資に従事する自然人の越境移動の自由を実現するASEAN自然人移動協定(AMNP)の改定議定書の調印と批准が進展している。改定議定書は理解し利用しやすい共通のフォーマットを約束表に採用する内容である。
規格・基準では,衛生と経済という2分野を対象とする「ASEAN医薬品規制政策(ASEAN Pharmaceutical Regulatory Policy:APRP)」が2022年の経済大臣会議(AEM)と保健大臣会議(AHMM)で採択されている。APRPはASEAN加盟国と規制当局に国内規制制度と市場統合イニシアチブの調和戦略の策定において基盤,方向および政策枠組みを与えることを目的としている。APRPにより貿易障壁が削減され,規制の要件が調和され,規制当局間の協調が強化され,質が高く,安全で効果のある医薬品へのタイムリーなアクセスが確保されることが期待される。さらに,APRPの原則の適用の共通参照枠組みとなる「ASEAN 医薬品規制枠組み(ASEAN Pharmaceutical Regulatory Framework:APRF)」が2023年に完成し採択された。また,ASEAN伝統的医薬品規制枠組みとASEAN健康補助食品規制枠組みの策定が最終段階に入り,調印が待たれる状態である。現在,ASEANでは27の新たな基準の調和が実現している。
通貨については,第42回ASEAN首脳会議で地域決済連結性(Regional Payment Connectivity:RPC)の推進と地域通貨取引(Local Currency Transactions:LCT)促進に関する首脳宣言が採択されたが,ASEAN地域通貨取引タスクフォースが設立され,ASEAN財務大臣・中銀総裁会議でASEAN LCT枠組みに関するハイレベル原則が承認されている。地域決済連結性ロードマップが完成している。
[注]
- (1)AEC2025の進展状況は2021年に中間報告が発表されたが,その後は総括的な報告は公表されていないため,経済大臣会議および首脳会議の議長声明などによりとりまとめている。ASEAN(2023), Chairman’s Statement of the 43rd ASEAN Summit, Jakarta, Indonesia,5 September 2023. およびASEAN(2023), The 55th ASEAN Economic Minister’s (AEM) Meeting, Semarang, Indonesia,19 August 2023.
- (2)Singh, Savtvinder (2022), A forward-looking ASEAN Trade in Goods Agreement in a Changing World, ASEAN
- (3)議定書のテキストは2023年11月時点で公表されていない。
- (4)ラチェット条項は,緩和・撤廃した規制を再び強化することを禁止する(自由化の後退を認めない)規定である。
- (5)輸出要求,現地調達要求,国産品購入・優先要求,輸入を輸出に関連付ける要求,国内販売制限,自国からの供給要求の6つの要求を禁止している。ただし,RCEPで禁止されている①ロイヤリティ規制の禁止(ライセンス契約に基づくロイヤリティ支払いに関する特定の対価率等の要求を禁止)と②技術移転要求の禁止(投資先企業への技術移転や関連情報の開示等の要求を禁止)は含まれていない。
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