世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
人間がタコになり損なったとき
(杏林大学総合政策学部 教授)
2023.11.20
タイトルとは裏腹に,前掲の稿に引き続きAIに関する論点である。
世間ではAIが人間の能力を超える可能性やそれに伴う危険性に関して,多くの議論がなされている。私はまた別の角度からこの問題を論じてみたい。
技術進歩というものは,多くの場合,それがもたらすアウトプットの質や量によって評価される。AIが人間の能力を超えるとか,それが危険であるといった議論も,問題となっているのはアウトプットの方である。しかし他方で,技術進歩の本質は,労働節約型のそれであれ,資本節約型のそれであれ,インプットの節約にあるとも考えられるのである。
自動車や鉄道,飛行機は,それがなければ何日も何ヶ月もかかった移動のための労力を大幅に節約した。コンピュータも,人手を用いて行えば気が遠くなるような日時(時に年月)を要する計算や情報処理を瞬時に行ってくれているのである。AIとて同じことである。
問題はそのようにして節約されたインプット,つまり,使われなくなった能力をどう考えるかである。というのも,人間の能力は,それを使わなければ萎縮,退化してしまうものだからである。3ヶ月間寝たきりであった人は,にわかには立って歩くことができないであろう。
脳についても同じことが言える。使わなければ,その部分は退化してしまうのだ。一応受験勉強を経て入ってきたはずの大学生が,夏休み明けには,まるで中学生以下の文章を平気で書くのは(いや,決して誇張ではない),これによって説明できる。
J・S・ミルもケインズも,パソコンやスマホを持っていなかった。いや,電卓でさえなかった。その限りにおいて,われわれ一人一人は,たとえ学者でなくとも,いやスマホを持ってさえいれば中学生でさえ,ミルやケインズをはるかに凌ぐ計算と情報処理能力を有しているのである。
ではその結果として,現代のわれわれは,ミルやケインズをはるかに凌ぐ知的アウトプットを生み出しているだろうか? 測り方にもよるのだろうが,私の評価はまったくのNOである。しかし,それも何ら不思議なことではない。現代のわれわれは,ミルやケインズをはるかに凌ぐアウトプットを生み出すのではなく,彼らをおおいに下回ってはいるものの,それらを,想像を絶するほどはるかに少ないインプットで達成しているのである。
ちなみに,私はウルトラマンやウルトラセブンの世代である。現在は,CGなど,当時よりもはるかに優れた特殊映像を生み出す技術がある。では,比較的最近のウルトラマン・シリーズは,その技術進歩にふさわしいほど飛躍的な進歩を遂げているだろうか? これも測り方によるうえに,昭和世代のノスタルジーを疑われそうだが,断じて,昔の方が質は高かったと言いたい。しかしそれも当然である。かつて人手を使って,大人が必死に工夫を重ねて作成していた子供番組を,今ははるかに少ない労力とコストで作っているにすぎないのである。おそらく知的なインプットも節約されており,マンネリとともに質が幾分下がるのが自然であろう。
技術進歩はわれわれにあらゆる労力の投入を節約させる。問題は,それによって使われなくなった人間の能力はどうなるのかである。移動手段の進歩によって,人類は歩かなくなった。腰痛や肥満に悩まされるのも無理はないが,それを補うためにジョギングをしたり,ジムでウォーキング・マシーンに乗ったりしている。まあ,そのへんはなんとかなるかもしれないが,問題は脳の方である。
身体だけでなく,脳もまた,ストレスを受けることでその能力が強化される。箸より重たいものを持たずに屈強なアスリートになることを期待することはできない。技術進歩が,そしてAIが,脳へのストレスを飛躍的に軽減する結果,別な何かでそれを補わない限り,人間の「脳力」は退化するに違いない。そう,要するに空いた時間で一体何をするんだい? それがとてつもなく重要なのだ。
スマホとにらめっこの生活を続け,「サルでもわかる」「世界で一番わかりやすい」本ばかり読んでいては,読解・思索・分析・創作する能力を失うのにそれほど時間はかからないのではないだろうか。そう,3ヶ月も続ければ,にわかには元に戻らないかもしれない。
私が子供の頃,宇宙人はタコのように描かれることが多かった。それにはちゃんと意味があって,宇宙人は文明が進歩しているから,手足を用いる必要がなく,それは退化してしまう。代わりに頭脳が大きく発達する結果,タコのようになるというわけだ。しかし,われわれが,技術進歩によって節約された「脳力」のインプットを適切に補うことをしなければ,タコにすらなれないだろう。
AIが人間の能力を超えたり,それが危険であったりするのは,まさに人間がタコになり損なったときなのである。
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