世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3133
世界経済評論IMPACT No.3133

なぜTSMCは熊本に進出するのか:熊本工場が現地にもたらした役割

朝元照雄

(九州産業大学 名誉教授)

2023.10.02

 「なぜTSMCは熊本に進出するのか」。答えは「日本政府からの要請に応えるため」である。1980年代,日本の半導体は世界シェアで80%台を有したが,その後,競合する他国が台頭し,今ではすっかり“凋落”してしまった。それを“挽回”しようと,総投資額9800億円のうち4760億円を補助しTSMCを誘致した。

 なぜTSMCは九州の熊本を選んだか。それは,九州が“シリコンアイランド”と呼ばれる半導体関連産業の集積があるためである。九州には大小の約1000社の半導体関連企業があり,そのうち,200社以上が熊本県に集中している。九州各県の代表的な半導体関連の大企業は,福岡県の三菱電機,ローム,大分県の東芝,ソニー,佐賀県と長崎県のSUMCO,熊本県のソニー,東京エレクトロン(TEL),ルネサス,宮崎県の旭化成,鹿児島県のソニーなどがある。そして,『日本経済新聞』(9月25日付)は,三菱ケミカルはフォトレジスト向け高分子素材の新工場を福岡県に設け,数十億円を投資すると報じた。これはTSMCの熊本工場に原料供給のために設けるものである。TSMCの合弁企業JASM熊本工場の周辺にはソニー,TELのほか,重要な顧客とサプライヤーが林立し,この集積効果も熊本が選ばれた理由の一つであろう。

 また,熊本では清潔な水が豊富に供給される。綺麗な水はウエハー製造中に発生した雑質の洗浄に使われる。台湾では2021年は台風が1度も上陸せず,多くのダムの貯水量は10%未満に下がった。台風は大きな災害をもたらすため,決して歓迎されるものではないが,ダムに大量な貯水をもたらすのも事実だ。台湾政府は家庭用水と工場用水を確保するために,農業の灌漑用水の停止で調整をはかった(農家には援助金を提供)。台湾の高率の経済成長率を維持するには,半導体の増産が不可欠であるが,半導体工場は大量の水を消費する「水食いマンモス」でもある。台湾の多くの人々は,水不足が長期に続くと半導体製造に悪影響を及ぼすと心配するほどだ。熊本の持つ極めて有利な条件とは,水源の100%は地下水によるもので,熊本の周辺に多くの河川,湖,湧き水などから豊富な水が供給されている。環境省の「名水百選」のうち熊本は4つの水源を擁している。熊本の水資源が豊富で,半導体サプライチェーンが完備され,かつ,台湾との距離が近いなどの利点を総合的に考慮すると,熊本への進出がベストの選択になった訳だ。

日本の取り組み

 日本政府がTSMCを必要とするのは,コロナ禍で半導体が不足し,自動車工場などが操業停止となったことへの危機意識によるものである。一方,TSMCにとっての日本は注目に値する「半導体関連大国」である。国別半導体製造装置の世界シェア(2020年)を見ると,1位の米国は35%,2位の日本は31%,3位のEMEA(Europe, the Middle East and Africa)は22%,4位の中国は9%,5位の韓国は2%,6位の台湾は1%となっている(野村証券のデータによる)。また,半導体部素材(ウエハー,レシストなど)の世界シェアでは,1位の日本は48%,2位の台湾は16%,3位の韓国は13%,4位のEMEAは10%,5位の米国は9%,6位の中国は3%である(日本の材料メーカーのデータによる)。半導体製造装置と半導体部素材の双方において日本の市場シェアは大きく,TSMCの日本進出は半導体産業サプライチェーンの川上段階で半導体製造装置と部素材に接近できる契機でもある。

 TSMCの熊本への進出が決まった後,工場が設置される熊本菊陽町は産業用地の整備と建物の建設のため,24時間フル稼働状態だ。日本政府は一日も早く量産化体制に移行することを期待している。TSMCの熊本への進出発表後,半導体サプライチェーン関連の企業が芋づる式に次々と熊本に進出するようになり,経済の乗数効果が発揮されるようになった。産業用地の問題を解決するため,熊本県は2026年度に合志市,菊池市に工業団地を開設し,熊本市,八千市,合志市,玉名市,益城町,大津町,西原村などにも継続的に工業団地を設置することとしている。

 熊本大学(小川久雄学長)は2022年度から半導体専門課程を開設し,新学部に相当する「情報融合学環」を2024年から設置する。前者の動きは大学創立以来75年ぶりの新しいカリキュラムであり,後者も創立後初の新学部の設立である。この「情報融合学環」は,データサイエンスをベースに,これからの社会課題と企業課題に取り組む2つのコースが用意される。社会と自分をトランスフォーメーション(変換)し,挑み続けるための学びを提供する。加えて今年9月,工学部に「半導体デバイス課程」を開設した。一方,熊本高等専門学校は九州,沖縄の9つの高専と協力し,半導体関連の課程を開講し,クリーンルームも設置する。そして,TSMC所在の菊陽町に設けられた「県立技術短期大学校」も2024年に「半導体技術科」を開設した。同校は2年制大学に相当する職業能力開発短期大学校であり,卒業後に4年制大学に編入も可能になる。そのほかに,人材派遣企業はトレーニング施設を整備し,半導体の専門人材を積極的に育成する。

 九州地域の取り組みを見ると(1)半導体産業の重要性と魅力を発信し,学生と社会人における半導体産業に対する意識や企業における採用活動の実態などに関する調査を実施する。(2)半導体人材を育成する仕組みを創る。高専における半導体概論等を開設し,教員向けの企業研修会も開催,半導体とデジタル研究教育機構の開設,大学(熊本大学)の設備を通じ実践的な研修の実施,学生向けの出前授業・インターンシップの実施など,各自の取組を実施するなどとなっている。

「百年一遇」のチャンス

 熊本県にとってTSMCの進出は,「百年一遇」のチャンスと言っても過言ではない。TSMCの熊本工場の着工後,半導体関連サプライチェーン企業の熊本進出や,工場を拡大すると表明した企業数は80社に達する。菊陽町の人口は約4万人であるが,2023年8月,TSMCの従業員とその家族約600人が熊本に移住し始めた。就労人口もTSMCの雇用数1700人を含むと計7500人に達する。熊本県の計画によると,今後10年間の半導体関連産業の生産額は2022年の2.3倍の約2兆円に達する。熊本金融機構・肥後銀行傘下の地方経済総合研究所の予測によると,今後10年の経済効果は4兆3000億円に達し,それはTSMCの工場投資,関連企業の進出,新しい団地の開発,住宅建設,就業人口の増加に伴う消費の増加などによるものである。

 2023年7月,TSMCは第2工場も「熊本に優先的に投資」すると発表した。菊陽町のTSMC第1工場の東側の土地は,もともと小麦と大豆を栽培する先祖伝来の土地で,地主はTSMCへの売却に難色を示した。しかし,TSMC効果で熊本の経済活動が活気に溢れて来たことに感動し,「町の発展のため,日本の幸せのために町に協力する」と述べ,政府の計画に全面的に協力するようになったという。

 TSMCの初任給(月給)は,大卒で28万円,修士で32万円,博士で36万円であり,賞与は2回で,それぞれ基本給の約2カ月が支給される。具体的な一例として,求人サイドRegional career(リージョナルキャリア)が掲載した「募集職種技術系(設備機器エンジニア,ESHエンジニア,インテリジェンス・マニュファクチャリング,エンジニアなど)」の採用人数は101~200名である。大卒給与の28万円は地元の平均20万円よりも遥かに高く,初年度の年収は600~1200万円に達すると見ている。優遇された給与のため,他社からTSMCに転職するケースも見られた。就労人口が増え,住宅のニーズ,交通渋滞の対策の必要性も高まった。2023年9月19日には土地取引の目安となる「基準地価」が発表された。7月1日時点の前年比で熊本大津町の商業地の上昇率は,全国トップの32.4%増である。これも「TSMCによる経済効果」であろう。

[参考文献]
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3133.html)

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