世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3100
世界経済評論IMPACT No.3100

デジタル経済と新興経済へのオフショアリング

平川 均

(名古屋大学 名誉教授・国士舘大学 客員教授)

2023.09.04

 データ主導デジタル経済の時代が,いよいよ現実味を増してきた。今世紀に入って工知能(AI)研究の急速な進歩は,コンピュータが人の知能のように働く生成(Generative)AI,チャットGPTを登場させ,若者はもちろん政府も企業も教育機関も,そのリスクを恐れつつ導入を競っている。

 ところで,ICTの急速な発達は,先進国の雇用にどう影響するのか。2010年代以降,大きな関心の主題となった。2013年に発表されたオックスフォード・マーチン・スクールのC.B.フレイとM.A.オズボーンによるオートメーションが雇用に与える影響に関する論文(注2)は,世界に衝撃を与えた。彼らの研究は2010年のアメリカ労働統計局の702の職種を基づきその影響を推計し,米国の雇用の47%が向こう10~20年間に失われるリスクがあるというものであった。日本では,野村総研が彼らとの共同研究結果を2015年に発表し,その割合を49%と推計した。もっとも,反論も出た。例えばその3年後には,彼らの推計の基準は職種(occupation-based approach)だが,作業(task-based approach)を基準にすれば9%にまで減るとの結果が出されている(注2)。だが,将来的にその影響を受けそうな職種の労働者はもちろん政策担当者や研究者も,彼らの研究結果は無視できない。

 実際,2010年代に入ってICTの発達が経済と社会に与える影響を論じる研究が次々と出される。そして,デジタル経済の研究は,新興経済・発展途上国への影響にも触れる。2014年のE.ブリニョルフソンとA.マカフィーの『ザ・セカンド・エイジ』は,世界的に注目を集めた図書であるが,それには「長期的には,オートメーションの大きな効果はアメリカや他の先進国の労働者でなく,現在比較優位を持つ低コスト労働に依存する発展途上国の労働者」と書かれていて,インドやフィリピンのコールセンターがその事例にあげられている。2015年出版のM.フォードの『ロボットの衝撃』も注目された図書であるが,それもオートメーション,ロボットがルーティーン化された労働に置き換わる,それだけでなく高学歴・高スキルの専門職にも影響を与えると予測している。オフショアリングは,往々にしてデジタル技術で置き換えられる前触れだとも書かれて,新興経済への深刻なリスクが指摘された。ところが,2016年のR.ボールドウィンは彼の図書『世界経済―大いなる収斂』で,生産工程がますます新興経済に移転してきたが,その流れは今後も続くと予測した。

 この時期,技術革新の労働に与える影響ではアプローチに変化が起る。日本では経産省がAIやロボットによる産業高度化無には,2030年の日本の雇用が735万人減少するとの試算を発表している(日経電子版,2016年4月27日)。注目されるのは,UNCTADの2017年のInformation Economy Reportで,同報告書はシュンペータの「創造的破壊」の観点から「デジタル技術はさまざまな部門で新しいジョブや職種を創り出す」として具体的に職種をあげて,消える職種とのバランスに注目した。なお,同書は,フィリピンのBPO産業の89%で雇用が無くなるリスクがあるとの文章も入れている。アジア開発銀行(ADB)も2018年にUNCTADと同様の観点からアジア諸国の雇用問題にアプローチした。同年のAsian Development Outlook: How Technology affects jobsでは「過去25年間にアジア地域は工業とサービス業で年間3000万の仕事を創り上げてきた」との研究結果を発表した。

 2020年に勃発した新型コロナ感染症パンデミックは,経済と社会に大きな打撃を与えた。世界中で都市封鎖,国境閉鎖が相次ぎ,人流,物流の国際的なネットワークは切断された。グローバル経済へのこうした影響は多面的でまた複雑であったが,デジタル経済への動きは加速化した。ICT産業はもちろん,リモートワークがビジネスの広範な分野で劇的に進展し,低コスト労働にもオートメーションが普及した。ところがオフショアリングについては,むしろ意外な結果を生んだ。パンデミックで当初予想された「ニアショア」,「リショア」は起こらず,逆にBPO産業はインド,フィリピンなどで成長した。

 もっともBPO産業を持つインドもフィリピンも,スキルの向上をパンデミック以前から追求していた。BPO産業では労働の中身でも変化の兆しがあった。当初,職が無くなるリスクが指摘されていた職種に発展の可能性が生まれている。先進経済からのオフショアは危機下で逆に増えたのである。オフショアリングへの悲観論は,現状では外れたことになる。

 その上に生成AIの影響問題が加わる。上述のオックスフォード大のフレイは,最近日経新聞社のインタビューで,生成AIの有効な利用のためには膨大なデータが必要だが,そのデータについては事前処理などの労働集約的作業が増えていると答えている(日経新聞電子版 2023年7月20日)。生成AIによる低スキルの労働への雇用が増すとは,その技術の雇用創出効果が雇用代替効果を上回るということだろう。とすると,それは先進経済の高度なスキルを持つ労働者には,どのような影響を与えるのだろうか。いずれにせよ,欧米のビジネス環境では,新興経済へのオフショアリングはさらに進む可能性が高い。

 だが,失われる職種が無くなる訳ではない。しかも変化の速度は極めて速い。デジタル経済は当面,先進経済と新興経済・発展途上国経済を問わず,予想を超えて,様々な分野に様々な影響をもたらすだろう。その変化を読むことが難しいが,雇用創出と失業のミスマッチ解消に向けた様々な政策的措置を用意する必要があるだろう。技術の発展は,経済と社会に大きな影響を与える。デジタル経済が産業構造,国際分業構造にどのような影響を与えるか。国内に限らず国際的に変化の事実を的確にとらえ,実態を見極めることが求められている。データ主導のデジタル経済の段階にあって,新興経済・発展途上国の経済はどう展望できるか。産業構造,雇用構造の転換に向けた諸政策の重要性が重要であると同時に,先進経済に独占されてきたICT技術が,周辺技術の領域で広がりを見せているようにも思われる。

[注]
  • (1)Carl B. Frey and Michael A. Osborne (2013) The future of employment: How susceptible are jobs to computarisation?
  • (2)例えば,Arntz, Melanie, Gregory, Terry and Zierahn, Ulrich (2016) The risk of automation for jobs in OECD countries: A comparative analysis, OECD Social, employment and migration Working Papers nos. 189, Paris: OECD Publishing.
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3100.html)

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