世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3062
世界経済評論IMPACT No.3062

米中対立の新たな主役は重要鉱物

馬田啓一

(杏林大学 名誉教授)

2023.08.07

中国,重要鉱物の禁輸で報復

 中国は今年7月,半導体材料に使う重要鉱物であるガリウムやゲルマニウムの輸出規制を8月から行うと発表した。米国が中国に対して昨年10月に打ち出した先端半導体とその製造装置の対中禁輸への報復とみられる。

 今後,米中の間に緊張がさらに増し,安全保障上の理由に基づく輸出規制措置の応酬が熾烈化する可能性がある。カギとなる重要鉱物は,地政学的リスクが高まる中で大国によるつばぜり合いが繰り広げられる舞台の新たな主役となりつつある。

 もし中国の措置に対して米国が報復すれば,中国はさらなる輸出規制を繰り出して泥沼の争いに陥るだろう。そうした悪循環を避けるためにとるべき対応は,本来ならば,報復ではなく,世界貿易機関(WTO)への提訴である。

 今回の規制は,半導体の対中輸出規制で米国に歩調を合わせる日本も念頭に置かれており,日本の半導体関連企業にも影響が出る可能性がある。もはや「対岸の火事」では済まされない。西村経済産業相も記者会見で「不当な措置が講じられれば,国際ルールに基づいて適切に対処する」として,WTO協定に違反しているか精査する考えを示した。

 中国は過去に,レアアースの輸出規制で日米欧によってWTOに提訴され,協定違反だとして是正勧告を受けている。だが,今はWTO提訴が必ずしも最終決着の手段とならない。仮に中国がWTOに提訴されても,痛くも痒くもない。WTOの紛争処理機能が不全となっているからだ。

「空上訴」悪用への高まる懸念

 WTOの機能不全によって,米中以外の国でも禁輸の動きが横行している。最近の例では,インドネシアが2020年1月,重要鉱物とされるニッケル鉱石の輸出を禁止した。

 ニッケル加工を国内に限定することで海外からの投資を呼び込み,産業育成につなげる狙いだ。ニッケルは電気自動車(EV)などに利用されるリチウムイオン電池の材料として注目されている。実際,国内のニッケル精錬所やEV用バッテリー工場誘致に成功した。

 これに対して,EUは協定違反だとしてWTOに提訴し,2022年11月に第一審にあたる紛争処理小委員会(パネル)はEUの主張を認めた。インドネシアはこれを不服として直ちに第二審にあたる上級委員会に上訴した。

 しかし,上級委員会は2019年12月以降,米国の反対で委員の任命ができず,審理に必要な3名の委員の確保ができず,機能不全に陥っている。WTOは2024年までの紛争解決機能の回復を目指しているが,見通しは厳しい。

 インドネシアはそれを承知の上で,「空上訴」(機能停止中の上級委員会に上訴による紛争案件の塩漬け)を行ったことになる。しかも,今年6月にはアルミニウムの原料となるボーキサイトの禁輸も打ち出すなど,インドネシアでは,WTOを無視するかのように重要鉱物の囲い込みが一段と活発化している。

WTOを補完する取り組み

 こうした動きを受けて,WTO改革への取り組みと同時に,WTOシステムの限界を見据え,それを補完する取り組みも進んでいる。

 上級委員会に代わる暫定的な仲裁制度として,EUの主導で2020年4月,「多国間暫定上訴仲裁アレンジメント(MPIA)」と呼ばれる枠組みが創設された。MPIAの意義は,WTOのパネル報告が機能停止中の上級委員会への上訴により事実上無効化されるのを回避できることだ。

 日本はWTOの紛争解決機能の早期回復を目指して参加に慎重だったが,機能不全が長期化する中,今年3月にMPIAへの参加を決めた。現在,EU,中国,豪州,カナダなど53カ国・地域が参加するが,米国は参加していない。

 さらに,空上訴の抑止を狙って,EUは2021年2月,空上訴を行った国に対して対抗措置を発動できる制度を施行した。空上訴の悪用で協定違反がそのまま放置されれば,WTOの形骸化につながる。対抗措置の発動は慎重であるべきだが,「やり得」を許さない制度を備えることは必要である。ただし,それですべてが解決するわけではない。

中国の禁輸は「両刃の剣」

 中国によるガリウム・ゲルマニウムの輸出規制は,半導体やEV,通信機器の材料として使われる重要鉱物の生産で中国が支配的地位にあることを示した。だが,逆にこれが裏目に出る可能性もある。

 この措置は中国にとって「両刃の剣」だ。対中依存を減らそうとする日米欧の動きを加速させるからだ。実際,中国が過去に行ったレアアースの輸出規制は,中国以外からのレアアースの調達を促し,中国のシェアが減っただけだった。同じ失敗をまた繰り返すのか。

 中国による重要鉱物の輸出規制は,経済安全保障を脅かす経済的な威圧行為に等しい。このため,バイデン米政権は,重要鉱物を地政学的に対立する国に依存せず,価値観を共有し信頼できる国々との間で重要鉱物のサプライチェーン(供給網)を多様化する「フレンドショアリング」の具体化を急ぐ。

 危機感を共有する有志国のネットワークで対処しようとしており,米国務省が昨年6月に立ち上げた「鉱物安全保障パートナーシップ」の推進を加速する考えだ。これは,米国とカナダ,豪州,日本,韓国,フランス,ドイツ,英国など同盟国が参加し,軍事技術やクリーンエネルギーに不可欠な重要鉱物の生産や供給を融通し合う枠組みである。

 因みに,今年3月,「日米重要鉱物サプライチェーン強化協定」の署名が行われた。今後もEVのバッテリーの大幅な需要拡大が見込まれる中,脱中国を念頭に,その生産に必要な重要鉱物を確保することが喫緊の課題となっていることを踏まえた動きといえる。

 中国は重要鉱物の対中依存度の高さを「武器化」しようとしているが,今回の措置により市場における中国の独占的地位が揺らぐ結果となるかもしれない。中国の輸出規制が実施されれば,生産拠点を中国以外の国に移転させる外国企業の動きに弾みがついて,サプライチェーンの多様化の勢いが増す可能性が高いからだ。

 中国は,今回の輸出規制について「反撃の始まりに過ぎず,報復手段はまだ他にもある」と強気の姿勢を崩さない。WTOの機能不全を見透かすように,中国による輸出規制が他の重要鉱物に広がる可能性を仄めかしており,今後の展開は予断を許さない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3062.html)

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