世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ローザンヌ条約100周年:中東問題の原点…欧米列強の妥協が招いたクルド人の悲劇
(ジャーナリスト norifumi.namiki@gmail.com)
2023.07.31
今年は,今日の中東の国境線を確定させたローザンヌ条約の調印・発効から100周年となる。この条約により民族国家樹立の道を断たれたクルド人たちは,亡命先の欧州各地でデモ行進を実施している。第一次世界大戦の戦勝国の一角である日本もまた,ローザンヌ条約の調印国である。我々も当事者として,中東問題の原点とも言えるこの条約調印の経緯,結果について知るべきであると思われる。
本条約はオスマン帝国に関する第一次世界大戦の講和条約の一つである。ただ当時,この条約以前の1920年にセーブル条約が締結されていた。崩壊寸前のオスマン帝国政府が連合国の要求を呑む形で調印し,トルコの領土はわずかにアナトリア半島の一部とされた。そして,連合国の支持を背景にギリシャ軍がアナトリアに侵入。アンカラで大国民議会を組織したムスタファ・ケマル(アタテュルクは尊称,「トルコの父」の意)を中心とするグループはこうしたオスマン帝国分割の動きに反発し,「国土解放戦争」と呼ばれる軍事行動を開始したのである。後にトルコ国家の弾圧にさらされるクルド人もこの時はトルコ軍に協力し,ギリシャ軍の駆逐に大いに貢献した。
セーブル条約ではクルディスタン国家の樹立も約束されていたが,トルコは実力をもってこれらの内容を全て反故にした。このセーブル条約の背景となるのが,悪名高い英仏のサイクス・ピコ協定である。しばしば,中東分割の密約とされるが,「実現することのなかった構想」という側面もある。これが実現していれば,クルド問題も存在せず,トルコの勢力を減殺することで今日の多くの問題が起こらずに済んだかもしれなかった。
ローザンヌ条約の締結は,トルコに一つの教訓を与えた。軍事力をもってすれば,欧米列強に要求を通すことができる,またオスマン帝国時代の領土を回復できるということである。トルコは敗戦国であるのみならず,アルメニア人大虐殺というホロコーストに匹敵する人道上の大犯罪を引き起こした。本来であれば,セーブル条約で想定された領域で英仏などの委任統治領とされるべき立場であった。新生トルコの大統領の座を手にしたムスタファ・ケマルは,図々しくもイラクのモスルの領有権をイギリスに要求した。ケマルは,イギリスからトルコ領内のクルド問題を不問とするという譲歩を引き出し,モスル問題を棚上げにした。これはローザンヌ条約への明白な違反だった。というのも,ローザンヌ条約では民族自決権の尊重が求められていたからである。欧米列強の中途半端な態度が,少数民族の悲劇を引き起こしたとも言えるのだ。
その後,トルコは欧米に接近することで,少なくとも西側にとっては役に立つ存在となった。冷戦が終結し,オスマン帝国の復活を夢想するエルドアンが独裁権力を確立したことで風向きは変わった。復活したトルコの覇権主義は,イスラム国への支援による被害拡大とシリア介入による内戦の長期化,東地中海紛争の激化,ナゴルノ・カラバフ紛争の再燃などの問題を招いている。NATOへの加盟希望国に茶々を入れるといった問題行動も目立つ。
今さらトルコを分割せよ,クルディスタン国家を樹立せよと唱えるのは荒唐無稽だ。一方でトルコは今,イラク・シリアなど各地への侵略,経済の破綻と独裁者の再選による政治的停滞で破滅の道に突き進んでいるように見える。欧米列強もとい今日の先進国は,ローザンヌ条約で妥協した100年越しのつけを払うことになりそうだ。
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