世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
日本の半導体開発の未来
(兵庫県立大学・大阪商業大学 名誉教授)
2023.06.12
21世紀末の人類の夢は宇宙開発だろう。2080年頃には月の開発競争が激しくなっている。21世紀初頭から中国は月の資源開発計画を進めている。地政学の力が働けば,中国とG7連合国との間で激しい開発競争が展開されるだろう。
月は地球に近く,重力は地球の1/6である。火星や木星に向かう大型宇宙船の基地として最適である。地球から月の基地へ各種モジュールを運び,組み立てる。月から発進すれば,同量の燃料で6倍の大きさの宇宙船を飛ばすことができる。
大型宇宙船の建造のために何千という人間が月で生活する。彼らの暮らしを支える巨大なドームが建設され,空気(酸素)や水・食料が生産される。生活環境の確保は技術的には難しくない。問題なのは,何年も月で生活するうちに人間が月の重力に慣れることである。人体の生理的機能・構造が進化生物学の法則に従って変化してしまう。その変化が深刻な問題を引き起こす。地球で体重が60kgの人が月面では10kgになる。10kgの体重に慣れた人が地球に帰還すると,いきなり6倍の体重(60kg)になる。人間の生理的構造はこの圧力に耐えられるだろうか。同じことは,太陽系の他の天体に滞在するときにも起きる。
他方,人間の活動を支えるロボット(人型及び各種の形態)は,空気や水・食料が不要なばかりか,高い気圧や高温・低温にも耐えられる。ロボットは核融合発電装置を携帯して充電すれば半永久的に活動できる。宇宙開発の最前線を担うのはロボットたちである。生命体である人間は,地球環境を確保できないと死んでしまう。ロボットの優位が明らかである以上,人型ロボット(アンドロイド)を開発するだけでなく,人間のロボット化(サイボーグ)が必要になる。重力変化に耐えられる強靭な身体や鋭敏な頭脳を確保しないと,人間(生命体)であることが宇宙開発のネックになってしまう。おそらく,人型ロボットとサイボーグ化した人間がペアを組み,劣悪な環境の中ではロボットが探索活動を行い,地球環境が保証された宇宙船内から人間が各種の指示を出すシステムが一般化するだろう。人型ロボットは得た情報を相棒の人間に伝えて,あたかも人間が過酷な環境の中で活動しているような「場」を共有する。ロボットとの交信は人間の脳に埋め込まれた半導体デバイスを通じて行われる。
アンドロイドの制作と人間のサイボーグ化を長期目標とするなら,中期目標(2050年頃の実現)は完全自動化とアルツハイマー対策である。半導体と完全自動化の関係は理解できるとしても,アルツハイマーとどんな関係があるか疑問に思うだろう。これはサイボーグ技術と深い関係にある。
アルツハイマーは脳内にアミロイドβが蓄積することで起こると言われている。しかし,アミロイドβが沈着した人でも認知症にならない人もいる。アルツハイマーの病理はまだ不明なことが多い。健康寿命が伸びて高齢化が進むと,アルツハイマーの蔓延は避けられない。後期高齢者の1/3が罹患するという。少子化に伴う労働力不足や社会保障の財源確保が難しくなる状況から,高齢者の社会参加とアルツハイマーなどの老人病による医療費・介護費の軽減は緊急の課題である。要するに,若い働き手の減少を元気な老人で補う政策である。
アルツハイマーの早期発見は難しくない。後期高齢者の運転免許更新のときに,アルツハイマー検診を義務化する。まだ社会的に活動できる早期段階で発見し,患者の脳内に半導体デバイス(記憶装置)を埋め込む。脳が機能しているうちに記憶装置を働かせ,生活環境の記憶を保存する。認知症が進んで脳の機能が低下しても,埋込式の記憶装置に蓄積された記憶が呼び起こされ,実生活が送れる。頭に埋め込まれた半導体デバイスは,SNSなどと直接交信ができるので,AIやチャットGPTとの会話が可能になる。
頭に埋め込む半導体デバイスというと突飛に聞こえるかも知れないが,すでに類似の技術開発がスタートしている。イーロン・マスク氏が設立したニューラリンクが米国食品医薬品局(FDA)から臨床試験(治験)の許可を得ている(「マスク氏設立の米新興,脳にデバイスを埋め込む治験承認」nikkei. com. 2023年5月26日)。脳卒中で体が不自由になった患者がコミュニケーションを取れるようにすることが目的である。小型デバイスを脳に埋め込み,コンピュータと繋いで情報をやりとりする研究を進めているという。アルツハイマー対策の半導体デバイスが完成すれば,脳卒中の患者も十分カバーできる。
この中期目標を達成するためには,2030年頃までに次の短期目標を目指さなければならない。それは医療用半導体の回路設計,製造装置,ソフトウエア開発などの一連のサプライチェーンの確立である。
今日まで,半導体は大手企業による大量生産が主流だった。巨大な製造装置に莫大な投資が必要だった。これは半導体の用途がPCやスマートフォン,データセンターやEVなどの量産品だったからである。他方,医療用半導体は少量多品種・小ロット生産が基本になる。それは,患者個人の病状が多様で体質にも違いがあり,年令や性別も異なるからである。処方が多様な患者に適した半導体デバイスを開発し,製造し,ソフトウエアを組み込まなければならない。
医療現場の治験を素早く反映するために,半導体の設計・開発・生産・ソフトウエア作成のサプライチェーンを病院のすぐ近く,可能なら研究所を兼ねた病院の内部に設置して,医療と半導体開発の現場を融合すべきである。医療用半導体の開発サイクルを早め,次々とバージョンアップするためにはこのジャスト・イン・タイム体制が不可欠である。問題は製造装置の小型化である。医療用半導体は回路の微細設計(技術的により高度)よりも,安全・確実・正確な作動が絶対条件である。そのため,製造装置も簡素で安価,小型のものが望ましい。多品種少量・小ロット生産向けの半導体製造装置の開発と回路設計,医療用ソフトウエアの開発ベンチャーの育成が急務となる。
この目標の達成には日本政府の国家プロジェクトが不可欠である。医療用半導体開発の国家プロジェクトに大型予算(補助金)を投入しなければならない。その資金は,国債償還費を当てるべきだ。日本の防衛力強化に使うくらいなら,半導体の未来に投資してもよいはずである。日本の未来を開くために国民の財産を有効に使いたい。
[参考文献]
- クリス・ミラー著,千葉敏生訳『半導体戦争』ダイヤモンド社,2023年。
- サンジェイ・グプタ著,伊藤理恵訳『たった12週間で天才脳を養う方法』文響社,2022年。
- シバタナオキ/吉川欣也著『テクノロジーの地政学』日経BP社,2018年。
- ダニエル・E・リーバーマン,塩原通緒訳『人体600万年史 科学が明かす進化・健康・疾病』(上,下),早川書房,2015年。
- デビット・A・シンクレア/マシュー・D・ラブラント著,梶山あゆみ訳『LIFESPAN(ライフスパン) 老いなき世界』東洋経済新報社,2020年。
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