世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2733
世界経済評論IMPACT No.2733

中国資本に翻弄されるカンボジア沿岸地域の開発

藤村 学

(青山学院大学経済学部 教授)

2022.11.07

 去る8月後半の約2週間,タイのバンコクから出発して東部臨海地域を経由し,カンボジアのコッコン州,シハヌークビル州,および首都プノンペンと陸路で視察した。本稿ではカンボジア沿岸地域に焦点を当て,11年前に同じルートを視察した時と比べたうえで報告する。

 まず,さほど変化が見られなかった点は,タイ側の3号線とカンボジア側の48号線でつながる「南部沿岸経済回廊」と呼ばれる陸路ルートの物流は低調であることだ。この回廊での越境物流は,アランヤプラテート国境経由の「南部経済回廊」と比べ,陸路物流の優位性がないと考えられる。ハートレック国境からカンボジアに入国したが,国境イミグレ施設の規模は以前と変わらず,この国境は,歩行者,乗用車,トラックと渾然一体となって通過していることを再確認した。物流が少ないため,アランヤプラテート国境のように貨物専用ルートを設置する必要はないのだろう。

 ただし,国境からコッコン橋に至る約8kmの区間は,地元財閥のLYP(Ly Yong Phat)グループが以前から観光開発に投資してきた結果,沿線住民が増え,新たなマーケットもできていた。それでもコロナ禍でとくに中国人観光客が途絶えているこの数年間は逆風が吹いたようで,国境のカジノホテルは閑散とし,その周辺に建設中の諸施設も一時休止しているようだった。国境から2.5km地点にあるコッコン経済特区(SEZ)もLYPグループが開発したものだが,代表的な入居企業は矢崎総業だが,そのほかに大規模な企業進出はなく,ポイペト国境と比べ,コッコン国境における「タイ・プラスワン」の投資は低調だ。

 以前と大きな変化が見られた点としては,まず48号線沿いにコッコンからシハヌークビルへのちょうど中間点からアクセスできるリゾード開発がある。その分岐点には「七星海旅游度假(英文名:ダラサコール・リゾート)特区へようこそ」と謳う中国語の大きな看板があり,沿岸リゾート開発地まで伸びる約60kmのアクセス道路がある。開発主体である,天津拠点の中国企業が現地登記したユニオングループ(Union Development Group)の社名にちなんで「ユニオン・ロード」と呼ばれている。

 同社は半島地形の広大なトタムサコール国立公園の一部を含む360㎢の土地に2008年から99年間のコンセッションを得て,事業費総額38億ドル超でまず60㎢規模のリゾート都市を建設しようとしている。半島の突端部分にはホテル,カジノ施設,ゴルフ場,ビーチ,観光桟橋などが完成している。しかし,今回視察した限りでは,リゾートホテルは閑散としており,その周辺にもゴーストビル群がみられるなど,コロナ禍によって観光誘致は一時頓挫したと思われる。その一方で開発地の南東部にはカンボジア最長である3,2kmの滑走路が2020年までに完成しており,現在民需が少ないためか,カンボジア国軍が当面使用しているという。カンボジア政府は否定するが,米国政府は中国側の軍事利用を懸念している。国内主要都市からのアクセス良くないこの地に道路や空港インフラ開発で民間資本が先行投資するというのは,純粋な採算性では説明がつきにくいのは確かだ。

 港湾都市のシハヌークビルも11年前から激変し,チャイナシティと化している。報道から知ってはいたものの,百聞は一見に如かずであった。シハヌークビル市内には2010年代半ばからオンラインカジノ施設を含むホテルやアパートを営業する中国系資本が次々と進出した。建設労働者のほか,飲食店経営や不動産開発などを目当てに中国人がシアヌークビルに集まった。政府は当初,これらの流れを歓迎していたが,じきに犯罪の多発や家賃の高騰で地元住民が街を追われるなど社会問題が深刻になった。そこで19年後半から政府は規制・取り締まりに転じ,フン・セン首相はシハヌークビル州知事をすげ替え,現在は街のイメージ回復を図っている。しかし,カジノバブル崩壊にコロナ禍が重なり,シハヌークビル市の地価や住宅賃貸料が急落した。報道によれば,規制前に70超あったカジノのうち,現在残っているのは20前後だといわれる。シハヌークビル州の人口30万人のうちピーク時に中国人が約10万人,そのうち約3万人が去ったといわれる。

 シハヌークビル市の南東郊外に位置するリアム湾では,中国資本が浅瀬を埋め立て,計画人口13.5万人規模の「Ream City」を開発中である。認可時期や事業規模など詳細は不明だが,数十億ドル以上の投資規模だと推測される。

 リアム湾からリアム海軍基地をはさんで東側に広がるリアム国立公園でも,北京拠点の中国資本による「金銀湾国際旅游度假開発区」というリゾート区を開発中だ。現在稼働しているのは王子島(Prince Island)というホテルなど一部だが,2010年に33㎢の開発について99年間のコンセッションを受け,開発総事業費50億ドル,計画人口6.5万人だという。シハヌークビル空港からのアクセス道路を含む総延長40km以上の道路網とリゾート施設群を建設する計画だ。アクセス道路沿いには建設を中断したホテルも見た。ここもコロナ禍の影響は大きいと思われる。

 さて,シハヌークビルにおける日本のプレゼンスを代表するのは,1990年代後半からODAにより一貫して開発を支援してきたシハヌークビル港およびその隣接の同SEZである。今後の拡張工事を含めて累計1000億円(現時点の為替レートで約7億ドル)ほどを援助してきた。需要増に対応して水深17.5mまでのヤードを造成する予定である。

 ところが,そのシハヌークビル港から東へ約90kmの地点に,中国民間資本が主体となってカンポット港・SEZの開発が進行中である。総工費15億ドルで,ロジスティックパーク開発のほか,2030年までに水深15mの大型コンテナ船が入港可能のヤードを供用開始予定だ。工事を担当するのは,去る10月1日に開通したシハヌークビル~プノンペン間高速道路を建設したのと同じ中国路橋工程(CBRC)である。カンボジア政府は日中による港湾整備支援は補完関係にあるという立場だが,海運需要が十分に伸びなければ,競合関係となるシナリオもありうる。

 カンボジア経済は公的債務という面では今のところ「債務のわな」には当てはまらない。しかしその反面,リゾートや不動産開発のみならず,インフラ建設にも中国の民間資本をこれだけ大規模に取り入れていることの含意は,中国経済の成長が大きく鈍化したり金融部門が不安定化したりしたとき,その余波に巻き込まれるという別種のリスクを抱えているということではないだろうか。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2733.html)

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