世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
米中デカップリングの死角
(杏林大学 名誉教授)
2022.10.24
米中対立に揺らぐアジアの通商秩序。米中デカップリング(分断)が今後どのような展開を見せるか予断を許さない。米中対立にどう向き合うべきか,日本にとって悩ましい問題だ。通商秩序の再構築に向けた日本の役割について考えてみたい。
対中規制の強化に突き進むバイデン政権
米中のハイテク分野をめぐる覇権争いが激しくなっている。バイデン政権はトランプ前政権の対中強硬路線を踏襲し,軍事転用可能な先端技術の流出防止のため中国に対する輸出管理や対米投資規制を強化するなど,ハイテク分野を中心に米中デカップリングを加速させている。
今年10月,半導体の先端技術に関して中国への輸出規制を拡大・強化する新たな措置を発表した。米国企業が人工知能(AI)やスーパーコンピューター向けの先端技術を中国に輸出する場合,商務省の許可制とする。ミサイルなどの兵器にも転用される懸念があるためだ。
これに関連し,ファーウェイ(華為技術)など一部企業にとどまっていた輸出管理の措置も広範に拡げた。中国の31企業・団体を,米国の技術を使った半導体を軍事や兵器開発に転用している恐れがあるとし,安全保障上の輸出規制リスト(エンティティ・リスト)に追加すると発表した。
また外国企業による対米投資についても,今年9月,バイデン大統領は審査を一段と厳しくする大統領令に署名した。中国を念頭に,米国の先端技術を狙った対米投資を阻止するのが狙いだ。
対米投資の審査については,2018年8月に外国投資リスク審査現代化法(FIRRMA)が成立し,対米外国投資委員会(CFIUS)の権限が強化された。今回は,米議会の法改正ではなく大統領令であるが,米国の技術的優位を守るためCFIUSによる審査が厳しくなった。
それだけではない。バイデン政権は,ハイテク分野を対象に米企業の対外投資を事前審査する制度を導入しようとしている。中国が進める国産化戦略がその誘因だ。中国は7月,ハイテク分野の事業をする外国企業に設計や開発,生産のすべてを中国国内で行うよう求める方針を明らかにした。外国企業のもつ先端技術が狙いだ。技術を中国に渡すかそれとも中国からの撤退か,外国企業は苦しい選択を迫られつつある。
米議会は中国に対抗するため包括的な法案の成立を目指し,上院が昨年6月に米国イノベーション・競争法案,下院が今年2月に米国競争法案を可決した。しかし,上下両院による法案の一本化が難航したため,半導体の製造と研究開発など合意し易い項目だけを切り出し,8月に半導体補助金法(CHIPS法)が成立した。
米議会は今秋の会期で未成立の項目の調整を目指すが,最大の焦点は対外投資の審査制度だ。米産業界は猛反発しており,中間選挙に向けた与野党の思惑も絡んで調整は難航している。
そうした中,中国共産党の第20回大会が今年10月開幕した。3期目が確実視される習近平総書記(国家主席)が,米国主導の国際秩序への対抗を念頭に今後も強国路線を進める方針を示した。国家目標の「社会主義現代化強国」について,建国100年にあたる2049年までに達成する方針を改めて強調した。
また半導体など最先端技術をめぐり米中の間で進むデカップリングを踏まえ,米中対立の長期化を見据えた国家戦略として,科学技術の「自立自強」を進めることの重要性を訴えた。米国の覇権への挑戦を改めて宣言したもので,今後,米国による対中包囲網がさらに強まるのは必至である。
米中対立に揺らぐ通商秩序の危うい構図
対中包囲網に反発する中国は巻き返しに動き,RCEP(東アジア地域の包括的経済連携)への参加を皮切りに,昨年9月にCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的かつ先進的な協定)への新規加入を申請するなど,米国に対して揺さぶりをかけている。
中国はRCEPやCPTPPを通じて対中依存度の高いサプライチェーンを構築し,経済的威圧(抑止力と反撃力)の強化を狙うなど,米国不在の間にこれらを梃子にアジアでの影響力を強める考えである。ただし,中国が本気でも,CPTPPの加入は非常に難しい。ハードルが高いからだ。
尻に火が付いたバイデン政権は,米国がアジアから締め出されないようアジアとの関係強化のため,中国に対抗してIPEF(インド太平洋経済枠組み)の立ち上げを急いだ。IPEFは米主導のフレンド・ショアリング(friend shoring)の一環と位置付けられる。フレンド・ショアリングとは,信頼できる同盟国や友好国との連携による安全なサプライチェーンの構築を意味する。
バイデン政権は今年9月,日米豪印4カ国(Quad)のほか,韓国,ニュージーランド,ASEAN7カ国,フィージーの14カ国で,IPEFの交渉開始について合意した。裏を返せば,これで米国のTPP復帰の可能性は当面なくなった。
IPEFの最大の特色は「モジュール方式」の採用で,自由貿易協定(FTA)とは大きく異なる。貿易,サプライチェーン,クリーン経済,公正な経済の4分野ごとに独立した枠組み(モジュール)で,分野別の参加を可能にした。参加国を増やす狙いからである。しかし,この小手先のやり方がどこまで功を奏するのか。
IPEFには関税撤廃といった市場アクセスは含まれていない。それは米国の国内事情によるもので,関税引き下げとなると財政が絡み議会承認が必要となるからだ。足元の民主党の中が一枚岩となっておらず,議会の承認を得るのが難しいため,バイデン政権は議会を通さずに協定をまとめる考えである。
アジアの国々からすると,米国と協定を結ぶメリットは米国への市場アクセスだから,IPEFは魅力に欠ける。したがって,参加のインセンティブを確保するため,他にメリット(実利)を示せるか,例えば,脱炭素化に向けたインフラ整備とか重要物資の供給確保のためのサプライチェーン強靭化,ハイテク分野の技術協力など,食いつきの良い餌をどれだけ用意することができるかがカギとなる。
IPEFによって対中依存から完全に脱却できるわけではない。中国の王毅外相が「中国を孤立させる試みは最終的に自分の首を絞めることになる」と脅しをかけている。このため,米中の「踏み絵」を嫌う国々への配慮も必要である。フレンド・ショアリングだからと言って中国排除や対中包囲網の色を出し過ぎると,中国の反発と報復を恐れる国々の離反を招きかねない。中国を刺激しないように,今回,台湾の参加は見送りとなった。
なおIPEFの行方を左右するのが,今年11月の米国の中間選挙である。結果次第では,IPEFもどうなるか分からない。選挙で民主党が大敗すれば議会運営が難しくなり,バイデン政権はレームダック(死に体)になる。そうなればIPEFも漂流するだろう。
日本は米国とアジアの「懸け橋」となれるのか
米中対立に揺らぐアジアの通商秩序の再構築に向けて,調整役として日本への期待は大きい。日本は米中デカップリングにどう向き合うべきか。
第1に,日本と米国は同盟関係であるから,中国への対応は米国との連携が基本だ。しかし,米国と共同歩調をとりつつ中国ともできるだけ安定した関係を維持したいというのが,日本の本音だろう。どうしたら米中の「踏み絵」を踏まずに,日本はしたたかな二股外交を貫くことができるか。
第2に,IPEF交渉が二股外交の試金石だ。米国が中国排除に固執し過ぎると,中国の報復を恐れるASEANなどの取り込みは一筋縄ではいかなくなる。前のめりになる米国に自制を促し,米中デカップリングをできるだけ限定的,部分的なものにとどめるのが日本の役割である。
第3に,今年7月,「日米経済版2プラス2」の大雑把な行動計画が発表された。今後,日本が米国の言いなりになるのか,それとも米国に対しブレーキとアクセルを巧みに使い分ける良き調整役となれるか,日本の真価が問われる場だと言える。
第4に,米中対立が続く限り,日中関係は「冷たい平和」を脱することはできないだろう。しかし,台湾有事が起きた場合にはそれすら難しい。その影響はウクライナ危機の比ではなく,全面的デカップリングも避けられない。有事を回避するため最大限の外交努力は不可欠だが,日本の政府と企業はもはや絵空事でない有事への備えも急ぐべきだ。
第5に,米国のアジアにおける経済的関与の強化に粘り強く取り組むべきである。IPEF交渉の合意に向けて米国とアジアの間を上手に調整するだけでなく,過大な期待は禁物だが米国のTPP復帰を諦めない姿勢も大事だ。米国とアジアをつなぐ「虹の架け橋」となることが日本の役割である。
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