世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2693
世界経済評論IMPACT No.2693

ウクライナ戦争:地政学的欧州情勢と世界地図の変動

瀬藤澄彦

(ITI 客員研究員・帝京大学 元教授)

2022.09.26

 ロシアのウクライナ侵攻をフランスの経済学者トマ・ピケティ(Thomas Pikkety)は「クリミアとドンバス両地方の占領をヒトラー・ドイツがフランス北西部のアルザスとロレーヌを1870~1945年にかけて占領支配したことに似ている」とし,またルフィガロ紙ルノ・ジラール(Renaud Girard)記者は「米国北部と分離独立派の南部23州米国連合の間で戦われた米国合衆国の南北戦争に相似するところがある」としている。現代世界史はまだ19世紀からの延長線上にある。このような歴史的な解釈に加えて,第2次大戦後解禁になった地政学によってウクライナ戦争を分析すると,戦況の情勢把握だけでは見えてこない国際関係の新たな変化が見えてくる。

 英国の積極的なウクライナ支援外交,フィンランドとスウェーデンの中立政策放棄とNATO加盟,ポーランドの例外的に寛容な400万人のウクライナ難民受入れ。これら英国-北欧-東欧の国々で形成されつつある反ロシア・プーチン「同盟」が米国とNATOの支援を背景に誕生しつつある。米国に代わってEU加盟国としての「トロイの馬」の役割を担うかのようにジョンソン前英国首相は,ドイツやフランスの曖昧な対プーチン・ロシア外交とは対照的に積極的なウクライナ支援外交を行ってきたことは記憶に新しい。ロシア侵攻後初めて6月17日に特別列車を仕立ててやっと仏独伊3首脳が始めてキーウを訪問し,ゼレンスキー大統領と会談したのとは対照的である。しかし,英国の伝統的な外交政策は欧州大陸からは距離を置きながら「光栄ある大英帝国」(glorious isolation)をグローバルな立場で構築することであった。英国は今やBrexitによってEUの対外政策に縛られることなくフリーハンドで影響力を発揮できるようになった。Brexitは英国と米国の関係を一層緊密にして,かつ欧州におけるNATOの強化を推進する機会となった。

 米シンクタンク,アトランティックカウンシルのフランス人研究員ロール・マンドビル(Laure Mandeville)は,9月2日付けフィガロ紙で「欧州全体の戦略的な重心の中心が明白に東方に移動しつつある」と注目すべき論評を行っている。彼女が注目するのは英国が完璧なまでのリーダーシップを発揮してウクライナと米国の間に立って今や中東欧諸国,スカンディナビア諸国,バルト海沿岸諸国などの国々も巻き込んだ形で対ロシア包囲網の共同戦線ともいうべき同盟を形成させているという点である。「北東欧州同盟」の浮上である。そしてフランスとドイツの戦略的リーダーシップの衰退は明白であるとする。欧州のエネルギー政策に現れているように「曖昧で盲目的」であるとさえされる「対話路線」に拘泥してきた独仏の対ロシア外交は,英国の主導する北東欧州諸国の対ロシア「敵対路線」に比べて迫力を欠いてきた。ポーランドを中心に東欧の政治的な優位が確実に台頭しつつある。独仏の首脳の評判は東欧と北欧で著しく低下した。言行不一致の「マクロネ」(macroner)と「ロボット外交」(Scholzomat)という表現がそれぞれに対する失望を表している。今般のウクライナ戦争は単にロシアとウクライナの2国間の闘いという以上に20世紀の世界大戦の歴史と深く関係していることを示している。ショルツ首相の優柔不断さのドイツに比し,ポーランドの新しい外交攻勢が今回の危機で徐々に明らかになってきた。ポーランドのモラヴィエツキ首相はバルト3国首脳とともにいち早くゼレンスキー大統領を訪問した。ポーランドは同時にドイツに対し1939~45年に被った521万の犠牲者と430万の強制労働者の賠償を通じて,①1939年の独ソ協定と,②ナチズムと共産主義独裁の「ショア」(Shoa)大量虐殺の関連性を認知させ「過去の歴史の清算」を求めて,欧州の新しい大国の地位を築こうとしている。ウクライナも甚大な損害にも拘らず西欧の軍事支援で今やポーランドとともに東欧では第1級の軍事大国になり,EU加盟の地位も確保され未来への展望が見えるようになった。

 英国の海軍将校マッキンダー(Sir Halford Mackinder)は戦前,オックスフォード大学で地理学の教鞭を執った。自然科学と人文科学を綜合することによって「帝国主義的思考」(thinking imperially)の再考を迫り閉塞分割された世界を海路支配による「シーパワー」,鉄道による「陸のパワー」に対峙させる考えから「アジアが歴史の枢軸になった」と講演した。マッキンダーは当時,資源大国で人材豊富なロシアに技術経済大国のドイツが同盟することで英国の世界的覇権が揺らぐことを強く懸念した。英国は「光栄ある孤立」政策を捨てて欧州大陸に介入し独露同盟を阻止する必要を提唱した。「ハートランド」(heartland)の概念がマッキンダー理論の中核であり,その地域は英仏の海洋国家欧州(coastland)とユーラシアと呼ぶ巨大世界島(World-Island)の中間地域たる中央アジア・バルティック海からロシアを含むアドリア海までの空間を指した。ウクライナ紛争空間はまさにこの中心部分に位置する。この「ハートランドを制する者はWorld-Islandを支配,その支配者は世界を制する」(マッキンダー)というのがその理論的帰結であった。海洋国家と大陸国家の抗争の構図でもあり,米国でも1997年のブレジンスキーの「世界島論」として登場,ユーラシア大陸が世界地政を決定するという構図のなかで,ユーラアシアの勢力均衡バランスがロシア,中国など6カ国の上海協力機構などを対抗軸としてグローバル覇権支配が左右されいくという展望が見えてくる。

[参考文献]
  • Macron roasted for pro-Russian comment, EUOBSERVER, 6. JUN, 23:10
  • CARL BILDT,“I THINK IT’S TIME TO RECOGNIZE THAT THE FRENCH ROLE OF BEING “A MEDIATING POWER” WITH RUSSIA –PURSUED SINCE YEARS – HAS SO FAR BEEN A SPECTACULAR FAILURE”, 06/04/2022 - 07:50
  • Thomas Piketty : Il faut cesser immédiatement de financer l’Etat russe par les hydrocarbures et repenser le fonctionnement des sanctions, 12 septembre 2022, Le Monde
  • Thomas de Istea, Emmanuel Macron, Allié mal aimé des Ukrainiens, le 16 juin 2022, Le Monde
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2693.html)

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