世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2636
世界経済評論IMPACT No.2636

「安心」の行くつく先

鶴岡秀志

(元信州大学先鋭研究所 特任教授)

2022.08.15

 新型コロナ第7波は安全保障より重みのあることなのか。国家は国土と国民からなり,国土が脅かされればいかなる行政立法福祉と公正な経済活動は絵に描いた餅でしかない。

 7月最後の週から発熱外来に患者が押しかけて医療業務がパンク状態と報道された。コロナ以外の疾病で救急搬送しようにも「コロナに罹患したと思われる」患者への対応繁多で救急受付を拒否されることが多数という話が頻出している。メディアに登場する臨床現場の方々は,感染(非感染)確認を目的とした来院を止めてほしいと訴えている。学校や事業所が陰性証明,罹患証明を求めることにどれほどの意味があるのだろうか。元厚生省医務官木村盛世氏などが指摘するように,マスコミは自らの視聴率(=広告収入,NHKは担当の成績)のために不安を過度に煽っている。その手法,ある一例を全般に拡張する話法は,最近増加している健康食品や保険と同じで「安心」を逆用した不安惹起である。社会正義を標榜している媒体が最も悪質な手段を使っている。

 「安心」は日本人の心に宿る言霊である。日本人の過度な「安心」希求にまつわる行動として読者諸氏は空港で次のような光景を見たことがあるだろう。空港搭乗口のカウンターで年配の人が係員に長々話している。係員は丁寧に対応しているが,件の人物は同じことを何度も繰り返している。乗継変更手続きや当日座席指定乗客などの行列が次第に伸びていくが,お構いなしである。耳をそばだてると,「搭乗口はここか?」「何時までに搭乗すればよいのか?」等。殆ど空港内や搭乗口に大きく表示されている内容である。米国空港係員はそっけないので「座ってお待ち下さい」と答える場合が多いが,JALは親切なので米国の空港でも毎便ほぼ確実にこのようなメンドーな人がカウンターを占拠する。

 実のところ,筆者の母も特急や急行の利用時に構内通路や発車ホームで必ず駅員に「ここで良いのか」と繰返し尋ねる「癖」があった。ほとんどビョーキで一緒にいると恥ずかしかった。本人曰く,「何度も確かめると安心でしょ!」。何度確かめれば気が済むのか…。

 最近,TVでもやたらと「演出上のものです」「使用された方の個人的意見です」「番組が推奨するものではありません」という言い訳が多い。裏返せば,それらの内容は特異的に正しいが一般的には間違いである可能性があると言っているようなものである。結局,視聴者の利益のためではなく,CM出稿企業や放送局自ら「安心」を得るための「言い訳ツール」となっている。もちろん,TVや新聞雑誌は公的な媒体とみなされるので,リーガル的な配慮を行う必要があることは認めざるを得ない。しかし,法的規制,行政指導,業界合意事項等とは異なり,報道側・広告主の「安心」確保という姿勢はビジネスに後ろ向きの印象を与える。むしろ世田谷の用賀にあるS自然食品のように,判読ほぼ不可能な小さな文字(我家のTVサイズが小さい?)で読み切る時間もない「一応やってます」的な注意書きのCMの方が買ってくれというガッツが見えて好ましい。

 筆者が石鹸洗剤工業会の技術委員を努めていた時に,洗剤の混合による塩素ガス発生事故対処のために業界・監督官庁・消費者団体協同で「混ぜるな危険」というラベル表示基準を作成した。この際,消費者団体の主張する「安全安心」は4文字熟語であり安全についての科学的な説明や証明を要求していないことに気がついた。科学技術の世界で100%の安全は存在しない事を丁寧に説明したが,結局,「安心を担保しろ」という要求であった。最高学府の教育を受け社会正義を目指すリベラルな方々ですら言霊の世界に生きていてリスクとベネフィットの議論に入れなかった。

 安全議論のポイントはリスクとベネフィットのバランスである。洗剤だけではなく自動車や飛行機も同様である事は言を俟たない。牽強付会な話になるが,日本の美徳とされる「おもてなし」もコストとリターンとして考えると企業・消費者双方にとって必ずしもメリットにならない。今の「おもてなし」は一種の過剰包装である。

 我国経済・産業の成長,即ちGDPが成長せず平均給与もほとんど上昇しない原因としてイノベーションの欠如に焦点が当てられている。まるで科学技術関係者の怠慢であるような論調が多い。他方,小西工藝社長のアトキンス氏が指摘するようにゾンビ状態の企業を退場させない延命措置が産業の構造転換を妨げている。淘汰されるべき企業の存続を求める経済団体,マスコミ,国民は,「安心」という「祈り」を求めているように見える。実際に菅前首相が「自助共助公助」という当たり前の事を発言した時にマスコミは一斉に噛み付いた。その心は,「安心をないがしろにすることはけしからん」という学問やジャーナリズム本来の議論とはかけ離れた,日本独特の平等主義的・お花畑的社会主義とごちゃまぜになった言霊の感情論である。

 不安を煽ることで巨大ビジネスになっているのは地球温暖化とESGであろう。科学的には判断が難しい事をあたかも「科学的に証明された」として議論を封じるマスコミや訳知り顔の科学コメンテーター,それを儲け口にするNGOと投資家である(これについては,S.E. Koonin,「気候変動の真実。科学は何を語り,何を語っていないか」日経BP (2022)を参照されたい)。

 我国の国力回復を目指すためには,「安心」という言霊を一旦捨てて,百家争鳴で時間と労力が必要であろうとも経済学・経営学の理論や科学技術の進展予想を下にして計画を練る必要がある。当然リスクとベネフィットによる判断が主となるので,科学技術の軍事利用も原子力技術開発再開も冷静に議論ができるようになるだろう。課題に触れることすら拒むという民主国家であるならありえない態度を示し続けた左翼リベラル人の論拠は,「安心」という言霊の下に自らのアイデア・実行力のなさを糊塗して責任回避を続けているだけである。

 イノベーションと「安心」,あるいは国防と「平和中立」は科学と言霊という両立し難いものである事を理解して,政界・経済界・科学界が中露北の脅威と対峙するロジスティックス案を練ることを願いたい。「安心」は幻である。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2636.html)

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