世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2627
世界経済評論IMPACT No.2627

NATO東方拡大とウクライナ戦争

中島精也

(福井県立大学 客員教授・丹羽連絡事務所 チーフエコノミスト)

2022.08.08

 ロシアのウクライナ侵攻が始まって5ヶ月が過ぎた。プーチンは何故ウクライナ侵攻を決断したのか。それはウクライナのNATO加盟を絶対に許さないという点に尽きる。NATO加盟国数は1991年ソ連崩壊とウクライナ独立の時点で16カ国であったが,1999年にポーランド,チェコ,ハンガリーの東欧3カ国が新たに加盟,更に2004年以降も東欧諸国の加盟が続き,現在30カ国となっている。地図を見ると,NATOがじわじわとロシアに迫って来るのが良く分かる。もし,ウクライナが加盟すればロシアは緩衝地帯を失う由々しき事態となる。

 実は1990年初め,東西ドイツの統一交渉が行われていた時,ゲンシャー西独外相はミュンヘン郊外で「NATOはソ連国境に接近するような東方拡大を排除すべきである」と演説している。これがゲンシャー方式と呼ばれるNATO東方不拡大論である。続いてベーカー米国務長官も「NATOの範囲を東方に1インチも拡げない」とゴルバチョフ・ソ連共産党書記長に約束している。よって,ロシアはその後の欧米の約束違反を強く非難している。しかし,米政府はベーカー長官は「東方に1インチも拡げない」と「保証することが重要である」と述べたのであって,東方不拡大を確約したわけではないと主張している。いずれにせよ合意文書を残さなかったのはゴルバチョフの致命的なミスであった。

 ウクライナに関して言えば,プーチンが対決姿勢に転じたのは2014年にウクライナがロシアと訣別して親欧米路線に舵を切ったことが契機となっている。1991年の独立以降,ウクライナの政治は親露派と親欧米派の間で揺れ動いていたが,2013年に親露派のヤヌコビッチ大統領がロシアの圧力でEUとの政治貿易協定を断念してロシアとの関係強化を進めようとしたことから,自由主義,民主主義を望む国民の反政府運動が激化して,2014年2月キーウは騒乱状態に陥った。生命の危険を感じたヤヌコビッチはロシアに亡命した。いわゆるマイダン革命である。すると,ロシアは間髪を入れず,翌3月電撃的にクリミアに武力侵攻して,クリミアを併合してしまった。更に,東部のドネツク州とルハンシク州がロシアの支援で独立を宣言したことから,ウクライナ東部では内戦が激化した。

 この内戦を停止するために結ばれたのが2014年9月のミンスク合意であり,⑴双方で即時停戦を保障,⑵ウクライナ法による「ルハンシク州,ドネツク州の自治臨時令」に基づく地方分権と選挙の早期実施,⑶違法な武装集団,軍事装備及び兵士,傭兵のウクライナからの撤去,からなるが,その後も停戦は容易に実現せず,内戦が継続したので,2015年2月ドイツとフランスが介入して停戦合意ミンスク2が調印された。この合意でドネツク州とルハンシク州に幅広い自治権を有する「特別な地位」を与えることが追記されたが,ウクライナが連邦国家となればこの2州の反対でNATO加盟を阻止できるというロシアの思惑もあったようだ。

 このミンスク2を反故にする動きに出たのが2019年に大統領に就任したゼレンスキーである。当初,ゼレンスキーはミンスク合意の履行に前向きであったことから,国内民族派の猛反発にあって支持率が急落した。そこで,ゼレンスキーは方針を一変させて,ミンスク合意の反故に動いたが,これがプーチンを激怒させたのである。もう1点,プーチンがウクライナのNATO加盟阻止に拘るもう1つの理由はロシア軍は戦闘機のジェットエンジンやミサイルのロケットエンジンの多くをウクライナのメーカーに依存しているからだ。もし,NATO加盟を許せば,ロシア軍に致命的な影響を与える。ウクライナのNATO加盟はロシアの安全保障を地政学,軍事技術の両面から脅かす。よって未然にその芽を摘んでおくことがプーチンにとって急務だったのである。現時点ではウクライナ戦争の行方は全く見通せないが,ただウクライナに1日も早く平和が訪れることを祈るばかりである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2627.html)

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