世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ミャンマーは「狭い回廊」に戻れるか
(青山学院大学経済学部 教授)
2022.05.23
ダロン・アセモグルとジェイムズ・ロビンソンによる著作『国家はなぜ破綻するのか』(日本語版2013年刊)の続編である『自由の命運:国家,社会そして狭い回廊』(同2020年刊)は,世界各国のさまざまな国家形態を(1)国民国家の体をなさない「不在のリヴァイアサン」,(2)国家権力が独裁的に乱用される「専横のリヴァイアサン」,そして(3)国家と社会が抑制と均衡を保ちながらお互いの能力が向上する「足枷のリヴァイアサン」,の3つに分類する。自由と民主主義のバランスを取りながら国民生活が向上するのは最後のカテゴリーだけだとしながらも,そこに至る条件が揃うのは難しい「狭い回廊」と形容し,成功・失敗の豊富な事例を提供している。
アセモグルとロビンソンは,ホッブズ的闘争状態である「不在のリヴァイアサン」が生み出す無秩序よりも,中央集権化した「専横のリヴァイアサン」のほうが経済的繁栄をもたらしやすいやすいが,その繁栄は限定的で不平等に満ちている,と論じる。ミャンマーの場合,独立後の国づくりの試行錯誤期にビルマ族主導の軍政に堕してしまったことで,少数民族支配地域との火種を残したまま不完全な「専横のリヴァイアサン」に入ったと捉えられよう。それから半世紀後,2011年からの10年間,国内の改革機運と西側諸国からの支援が重なり,一度は「狭い回廊」に入ったものの,2021年2月のクーデターによって「不在のリヴァイアサン」に逆戻りした格好だといえる。
歴史学者であり改革期のミャンマー政治への参加者でもあるタンミンウー(第3代国連事務総長ウタントの孫)著の『ビルマ危機の本質』(日本語版2021年刊)は,英領時代からの歴史をたどったうえで,テイン・セイン政権からクーデター前に至る一時的「回廊」期の不安定さについて,以下のような洞察を提示している。
- ・過度に搾取的な植民地経済の後に,内戦と大失敗に終わる社会的実験が続いた。1990年代には資本主義が巻き返したが,その推進力となったのは非合法産業の寄せ集めだった。
- ・ミャンマー問題の根源は国軍の独裁にあるだけでなく,戦火,孤立,貧困化を生み出した,民族アイデンティティをベースにしたナショナリズムにある。明るい未来は,人種や民族に結びつけられたもの以外に基づいたものでなければならない。
- ・長い軍政は2つの未解決問題を残した。1つは中国の取り扱い,もう1つは,それに関連する未解決の内戦である。国軍にしても少数民族武装勢力にしても,地域のエリート層の関心は金儲けにあり,中国との国境沿いの村落が地下経済をベースにする新興都市に変貌した。
- ・少数民族武装勢力の利害は多岐にわたり,和平プロセスが国家形成を推進する最も重要な要素になればなるほど,改革の切り札を手にするのは銃を手にする者たちになった。
- ・テイン・セイン政権下の実験的妥協は,結果的に将来の不和と不確実性の種を蒔くことになった。
- ・西側による経済制裁は単に機能していないどころか,貧困層を苦境に追い込むだけである。長年続く民族間紛争に取り組むことと貧困を終わらせることこそ,国際的な政策の中心に据えるべき課題である。
以上のような複雑な歴史と利害の交錯から,アセモグルとロビンソンが言うところの「広範な連帯」への実験はいったん挫折した。ミャンマーははたして「狭い回廊」に戻れるだろうか。
先日,日本ミャンマー未来会議代表・井本勝幸氏と読売新聞元アジア総局長・深沢淳一氏によるトークイベント「長期化するミャンマー危機 分断状態の不完全国家」に参加したが,そこでは以下のようなポイントが強調された(裁量的報告であり,文責は筆者のみが負う)。
- ・ミャンマー各地で,少数武装勢力と連携しながら,老若男女,あらゆる階層の市民が反国軍活動に加わっている。国際社会への不満と絶望感が,彼らを武力闘争に駆り立てた。「国民防衛隊(PDF)」の武器装備の質は徐々に上がっており,戦闘能力が増している。
- ・一方,国軍は士気が下がり,離脱者が続出しており,新兵のリクルートにも苦労しているため,陸軍は海軍兵や警察隊の応援を仰がなければならない状況にある。とはいえ国家資金にものをいわせて抵抗勢力を鎮圧するだけの圧倒的な武器の補給は継続できる。ロシア,中国,ベラルーシ,さらにはウクライナからも武器輸入ができている。
- ・以上から,利害は交錯するものの反国軍で団結している市民と,国軍との和解は不可能な状況であり,(ウクライナ以上に?)長期ににわたる内戦が懸念される。
- ・現在の反国軍活動をリードするデジタル実装の若者層は,「8888世代」とそのアイコンであるアウンサンスーチー氏や国民民主連盟(NLD)から卒業し,新世代の抵抗運動を展開している。
- ・当面は挙国一致政府(NUG)が「反国軍」の旗の下に団結を呼びかけているが,ロヒンギャ問題などの根深い人種課題は,国軍に対して勝利を収めたとしても,別個の問題として残るだろう。
- ・ミャンマー社会の安定(民主制かどうかは別問題として)を望むという点では,中国とASEANの利益は一致する。中国は国軍と同時にNUGとも接触しており,PDFが石油・ガスパイプラインを破壊しないように話をつけているという。
- ・内戦収束に向けて日本の官民が直接関与できるチャンネルは限られるものの,井本氏の団体を含め,日本の複数の(不屈の元気な?)NGOは人道支援物資を届ける国境越えルートを地元の少数民族支援団体などと協力して開拓し,武装勢力地域の避難民に物資を届けている。
結局のところミャンマーが「狭い回廊」に戻るには誰が何をすればいいのか,についてはミャンマー専門家の方々の知見に譲り,本稿は同国の将来を憂える日本人の1人による書評めいたエッセイにとどめることでご容赦願いたい。
関連記事
藤村 学
-
[No.3440 2024.06.03 ]
-
[No.3333 2024.03.11 ]
-
[No.3203 2023.11.27 ]
最新のコラム
-
New! [No.3602 2024.10.28 ]
-
New! [No.3601 2024.10.28 ]
-
New! [No.3600 2024.10.28 ]
-
New! [No.3599 2024.10.28 ]
-
New! [No.3598 2024.10.28 ]