世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2507
世界経済評論IMPACT No.2507

コロナ禍の欧州における保健の連帯

尾上修悟

(西南学院大学 名誉教授)

2022.04.18

 コロナ感染の一大震源地であった欧州では,すでにウィズ・コロナの考えが定着する一方,新規感染者数は,フランスやドイツなどの主要国で高止まっている。一体,どうして欧州でコロナがこれほどまでに感染し,それを十分に食い止めることができなかったのか,さらに,ではこれを教訓として,欧州は今後いかなる対策を打ち出すべきか。これらの点が問われる。小論では,そうした問題を欧州統合のあり方と関連させて論じることにしたい。

 ジョンズ・ホプキンズ大学は,『グローバル健康安全保障指標』と題された調査書を,中国でコロナ感染が爆発する直前(2019年10月)に著した。同書は,世界各国の疫病に対する防衛状況を,様々な視点から綿密に調査して評価したものである。それによると,まず世界全体で防疫上の不備のあることがわかる。その中で欧州は,全体的に世界の平均以上の評価をえたものの,そこでは2つの問題が明らかにされた。1つは,北欧と南欧の間で評価に大きな差があることである。後者の評価は前者のそれに比べてかなり低い。もう1つは,調査項目の中で,患者と医療従事者を守る保健システム,並びにそのための融資体制に関して,欧州の評価が低いことである。欧州は,これらの問題にいかに対処すべきか。

 まず,第1の問題を考えてみよう。そもそも欧州で,イタリアが最初のコロナ大感染国になったことは,同国の防疫に対する低い評価と無関係では決してない。脆弱な医療体制がパンデミックを引起こしたのである。この点はスペイン,ポルトガル,並びにギリシャなどの南欧諸国に相通じる。しかし,かれらの保健システムが初めから悪かったのではない。それどころか,2000年の段階では,南欧の医療体制は北欧のそれよりはるかに優れていたのである(WHO報告)。では,どうして南欧の医療体制は崩れてしまったのか。それは,かれらがその後に被った経済危機により,EUから支援を受ける代わりに厳しい財政緊縮を強いられ,医療支出を削減せざるをえなかったからに他ならない。

 EUは,ユーロの導入に合わせて財政規律(公的赤字と公的債務の対GDP比を各々3%と60%にする)を加盟国に課した。以来,それは神聖不可侵の如くに運用された。南欧諸国が危機の毎に財政緊縮を強要されたのも,同規律を遵守するためであった。ところが今回のコロナ禍で,それが仇となって南欧諸国は感染を広げると同時に,経済・社会的な大打撃を被ったのである。そうだとすれば,このコロナ危機は,財政規律を抜本的に見直す必要を迫るであろう。そもそも,公的赤字を3%にする根拠はないし,公的債務の60%はたんなる計算値(公的赤字/経済成長)にすぎない。その際に想定された5%の成長率は,今日通用するはずがない。同規律はさすがに,コロナ禍での政府支出の激増によって一旦停止された。そこでさらに,ポストコロナの段階でその完全な修正ないし撤廃が目指されてよい。このことは,欧州のパラダイムの転換と共に,北欧と南欧の連帯の強化をもたらす。コロナ危機に続くウクライナ危機は,それを後押しするに違いない。

 もう1つの問題は,より根本的なものである。それは,保健の問題をEU全体としてどう扱うかに係わるからである。保健はこれまで,欧州統合の中心テーマに上ることはなかった。イタリアでコロナ感染が拡大したとき,欧州委員会はそれをイタリアの問題として片付けた。全体の保健相会議が開かれることはなく,ドイツやフランスは薬品輸出を禁じた。そこには,保健をめぐる欧州の連帯は見られなかった。保健は,あくまで国民的問題とみなされたのである。しかし,米国のウィルス研究者が強調したように,コロナ感染に立ち向かうためにはどうしても国際協力が必要とされる。確実なことは,欧州こそがそれを実行する上で最適な地域になりえるという点である。フランスのストラスブール大学のM. デヴォリュイ教授は,欧州統合を論じる際の最重要なテーマとして経済連邦制を掲げる。その1つの成立条件は集団的アイデンティティの確立であり,人々の保健はまさにその一翼を担う。今回のコロナ危機は,そうしたアイデンティティを築く上で絶好の機会を与えるに違いない。

 こうした中で,欧州委員会はついに欧州における保健体制の立直しを図る。独仏主導による「保健の戦略」の提言を受けて同委員会は,2020年5月末に「EU4ヘルス」プログラムを「次世代のEU」プロジェクトの一環として示したのである。そこでは,感染の阻止や薬品の備蓄などが謳われた。次いでU. フォン・デア・ライエン委員長は同年9月に,「欧州の装備」という考えを表明し,そこで医療用資財供給の保障が唱えられた。このようにEUは,ようやく保健問題を統合の重要テーマとして位置付けた。これこそコロナ効果であった。この点は高く評価されてよい。

 一方,そうしたEUの保健プランには大きな課題もある。その1つは,同プランを支える資金規模の問題である。その予算は,財政緊縮を主張する国の反対で大幅に削減された。保健システムに対する適切な融資が見込まれないのである。また,医療用資財の十分な供給を保障するには,その海外生産を止めてEU内での生産に戻す必要がある。それには,資本の自由化という大原則を打ち破らねばならない。EUはこれらの課題を乗り越えることで,連帯の証となる,言わば保健連邦制なるものを達成することができる。それは,ポストコロナの防疫体制を堅固なものとするためにも,さらには経済連邦制を支えるためにも強く望まれる。

*本論における議論に関して詳細は,拙著『コロナ危機と欧州・フランス』(明石書店,2022年,2月)を参照されたい。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2507.html)

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