世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2498
世界経済評論IMPACT No.2498

イギリス議会は「財政と金融の癒着合体」を阻止しようとした:19世紀初頭イギリスで起きた「地金論争」

紀国正典

(高知大学 名誉教授)

2022.04.11

 日本においては「アベノミクス」と称して,今も進行中である「財政と金融の癒着合体」とは「財政と金融がそれぞれ独立して各々の職務を遂行し,国民に利益を還元すべきところが,一方が他方に従属することによってそれぞれの健全な働きが妨げられ,国民に不利益を与えてしまうこと,主に金融が財政に従属し,これによって財政規律が緩み財政が不健全になるとともに,貨幣価値や金融システムが不安定になること」である。これは歴史で何度もくり返されてきた。人類はこの教訓から学ばなければならない。

 「地金(じがね)」とは,金を棒状に加工したいわゆる「金の延棒」のことであり,これをコインに鋳造すれば当時の貨幣の基本(正貨)となる。ところが1800年代初頭のイギリスにおいて,この地金の市場価格が継続的に鋳造価格を上回って高止まりするという現象が発生するようになり,これにともない物価が上昇し,ポンド為替も下落(自国貨幣安,外国貨幣高)し始めたのである。そしてこの原因を解明するため,議会(下院)に調査委員会が設置され,1810年6月に『地金委員会報告』を発表した。この『報告』をめぐって,これを支持する者(地金派)と反対する者(反地金派)との間で,国をあげての大論争が起こった。これが「地金論争」である。この論争は,貨幣・信用論研究に多大な業績を残した。

 地金派は,リカード,マルサス,キング卿などの主に理論家たちが中心となって,次のように主張した。地金価格の騰貴,物価騰貴,為替相場の下落は,すべて共通の原因に基づいており,イングランド銀行券が過剰に発行された結果,それが減価したからである。

 反地金派は,ボーズンキット,ジャクソン,ヴァンシタートなどのイングランド銀行理事や政府当局者,実業家などが中心になって,次のように反論した。銀行券が減価したのではなく,地金価格の方が実質的に騰貴したからである。それは,金需要の増大および対外支払いと穀物輸入増加による国際収支赤字という実質的要因によって生じたのである。

 事の起こりは,1789年7月に,フランスにおいて絶対王政打倒のフランス大革命が勃発したからである。当時イギリスにおいて政権を担当していたピット(小ピット)は,1793年にフランスとの戦争に踏み切った。そのうちナポレオンが台頭しヨーロッパ制服の野望を実現すべくイギリスに対して大陸封鎖を強行し,ピットもこれに対抗して3度にもわたる対仏大同盟を組織し,この戦争は実に22年間もの長きにわたって続いた。

 これによる巨額の軍事費や同盟国への軍事支援金は,イギリスを財政危機におとしいれた。ピットは財政赤字を埋めるため,公債を発行するとともに,当時事実上の中央銀行として機能していたイングランド銀行からの政府貸上げに頼った。この政府貸上げに加え,対外支払費や信用不安も加わって,イングランド銀行から多額の金が流出してしまい,破産の危機にたったイングランド銀行は,1797年2月に,銀行券と金との兌換を停止する措置に踏み切った。この不換銀行券制度も,それから24年間もの長きにわたり続いた。

 『地金委員会報告』は,下院議員であったホーナー,ソーントン,ハスキッソンの3人によって執筆された。『報告』は,不換銀行券制度のもとでイングランド銀行券が過剰に発行されて信用低下を招き,物価上昇を引き起こしたことを実証し,物価騰貴は正義に反する大衆収奪であること,貨幣価値の維持は議会の誠実さと名誉にかかわることであるとして,2年後には兌換再開すべきであると提言した。さらに,下院における論争において,ホーナーは,エリザベス女王に対してバーレイ卿が与えた忠言を引用して,ピットの行為を批判し,次のように演説した。「王国の経費の支弁は,知恵の末片や策略のやりくりなどによってではなく,健全で確実な方法によって可能になるものである」。またソーントンも,演説においてスミスを紹介して,次のように発言した。「スミスはどの国でも君主と国家の貪欲や不正義が国民の信頼を濫用して鋳貨の悪化を行ったことを述べているが,このことは現在のような難局においては,あらゆる国民が侵しがちな弊害なのである」。

 ホーナーとソーントンは,「財政と金融の癒着合体」を,阻止しようとしたのであった。

 (詳しくは,紀国正典「貨幣数量説と貨幣減価の謎(2・完)―アダム・スミスの残した課題―」高知大学経済学会『高知論叢』第121号,2021年10月参照。この論文は,金融の公共性研究所サイトの「国家破産とインフレーション」ページからダウンロードできる)。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2498.html)

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