世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
大きな政府の時代,出遅れる日本
(武者リサーチ 代表)
2021.08.23
コロナ禍を契機に世界の経済学と経済政策の常識が根本的に変わった。レーガン・サッチャー時代から40年近くの間,支配的であったネオリベラリズム(新自由主義)的常識が大きく変わっている。財政赤字はできるだけ避けるべきである,貯蓄は美徳である,自由貿易を尊重し産業や市場への国の介入を避けるべきである,等という見方はあっさり捨て去られつつある。それに代わって大きな政府を柱とする,いわば「ニューケインズ主義」が前面に出てきた。バイデン政権はコロナ対策1.9兆ドルに続いて,8年間で2.25兆ドルの環境,インフラ投資(American Job Plan)を打ち出した。半導体国産化支援500億ドル,EV開発と充電ステーション投資1740億ドル,クリーンエネルギーなどの産業支援や,高速ブロードバンド網構築1000億ドル,スマートグリッド等電力インフラ投資1000億ドル等新技術基盤整備が盛り沢山に,盛り込まれている。さらに教育・育児などに10年間で1.8兆ドルを補助する家計計画(American Families Plan)も提起された。議会との協議中であり,民主・共和両党合意での法案成立までには相当の減額も予想されるが,財政支出の役割が根本的に変化したことは明らかである。
この巨額の財政資金需要に対してFRBは量的金融緩和で財政ファイナンスのニーズに対応する。トランプ時代まで続いていた,労働意欲を阻害する税金や社会保障は最小限との通念が棚上げされ,富裕者や企業への増税により社会保障も増額される。
中国のハイテク覇権に対抗するには米国も,国家主導の技術産業育成が不可欠になっている。ハイテク産業は巨額の初期投資が勝敗を決するので,初期コストを政府の支援により軽減することは必須である。まして国家ぐるみで露骨に産業育成をしてきた中国に,素手では対抗できなく成っている。中国はEVで先行しているだけではなく太陽光パネルや風力発電の最大の生産者であり,世界特許3分の1を保有し,エネルギー革命の先陣を切っている。EUも新エネルギーや半導体強化プランを打ち出した。米中欧国家ぐるみの産業競争が展開されつつあるのである。
これまでの経済常識から空前の財政赤字は,モラルハザードを引き起こし,インフレや金利上昇など将来に禍根を残すとの批判が語られる。しかしコロナ化が起きる前から,世界経済は先進国経済の3分の1が長期金利マイナスに陥るという異常事態にあった。またデフレによる経済成長の下方屈折という日本化(Japanification)の危機が進行していた。つまり尋常ではない貯蓄余剰(=購買力の先送り)と,需要不足にさいなまれていた状態であった。そうした環境は,ケインズが直面した1930年代の世界大恐慌下の経済状態と酷似しており,当時と同様に政府による財政を活用した需要創造が強く求められる環境にあった,と言える。
経済学者でもあるイエレン米国財務長官は,「財政政策による大規模な経済対策は政府債務を増大させるが,金利が歴史的低水準にある現在,政府による大きなアクションは最も賢明なことである。長期的には,大規模な経済対策は雇用と経済成長などの恩恵もたらし,それはコストを大きく上回る」と主張している。このイエレン氏の主張に対して,今では米国の大半のエコノミストが支持を表明している。これまで貯蓄不足を懸念し財政赤字を厳しく批判してきたIMF,世銀などの国際機関も主張を大きく転換させている。
この急激な世界思潮の変化に,日本はついていけていない。巨額の余剰貯蓄を持ちながら,それを全く生かしていない。日本の経済学者やエコノミストのコンセンサスは旧態依然たる,新自由主義の思考パターンにとらわれている。
ことに財務省は財政赤字の呪縛にとらわれている。コロナ対策ではスケールの大きな財政支出が打ち出されたが,産業支援や技術開発による国際競争力強化には大きく後れを取っている。経産省は日米摩擦時の米国による産業育成の非難が,トラウマになっていて,どのように政府支援を企業競争力向上につなげるのかの戦略が描けない。
日銀はスイス中銀のように為替水準が不当な自国通貨高だと主張することもしない。貿易黒字がなくなり,新興国水準まで物価と賃金が低下しているということは,日本の為替は1ドル110円のレベルであっても,分不相応の円高ということである。米中対決において強い日本経済が必要だとするならば,米国に不当な円高強要をやめさせるべきである。円が120~130円で定着すれば,直ちに日本においてデフレ完全脱却が始まるだろう。
今の日本には,政治・軍事・地政学・経済金融・技術等国際競争を統括する戦略中枢,司令塔が必要である。
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