世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2234
世界経済評論IMPACT No.2234

酒類提供禁止は政権の横暴?

鶴岡秀志

(信州大学先鋭研究所 特任教授)

2021.07.26

 世界のアルコール飲料市場規模は2020年に1兆5870億USDに達したとのこと(㈱グローバルインフォーメーションWEB)。世界半導体統計の2021年予測額,5200億USDの約3倍の規模である。外食におけるアルコール飲料の消費額をまとめたものはなかなか見当たらないが,経産省の動向調査やサントリーの調査から国内アルコール類販売額の6割程度は外食向けである。これらの数字を見ると,コロナ禍の酒類提供を禁じた西側諸国の消費経済に与える影響は大きいと予想される。以下は,世界経済評論の専門家方々の経済議論から外れて,毒性研究に携わっている研究者の重箱の角をつつくような話である。

 お酒は毒である。世間一般の処世訓ではない。世界保健機関(WHO)傘下の国際がん研究機関(IARC)が公表している発がん性分類で,アルコール飲料はグループ1「ヒトに対する発がん性がある」(ヒトへの発がん性の証拠が十分にある)に分類される。グループ1は紫外線,アスベスト,プルトニウム,そしてタバコといったよく知られたものが含まれる。発がんの閾値(安全限界濃度,曝露量)の有無については見解が分かれていて決着していないものの,グループ1は微量でも危険であることに変わりはない。厚生労働省の推奨する飲酒量暫定値は,純粋アルコールで20g/日,つまり,アルコール含有量5.5wt%の標準的ビールでは350ml缶1本,カップ酒3/4本である。英国ケンブリッジ大学の推奨値は100g/週である。よく言われる休肝日は毒性研究的には認められていないので,週一回,飲酒をしない日があればよいという巷の理解は飲兵衛のための言い訳といえる。ここ数年,勉強している医者は休肝日を論じなくなっている。また,飲酒にはリラックス効果など良い面があるのでベネフィットとリスクのバランスを取るべきである,飲酒は文化であるという識者の意見もあるが,これも毒性学から見ると科学と関係のないものである。さらに飲酒運転のように社会的な害も現実に存在する。ただし,いきなり酒類禁止を導入すると政権が潰れかねないのでタバコのように長期間をかけて飲酒習慣を減衰させる方策を取る必要がある。

 東京オリンピックに向かって緊急事態宣言が発出され,マスコミは「酒類提供禁止は死活問題」という飲食店へのインタビューを使って話題を盛り上げている。西村大臣の拙速とも言える酒類販売規制も伴ってマスコミと一部野党は言いたい放題である。また,1920年代に施行された米国の禁酒法は悪法と政治史に刻まれているので,憲法22条の営業の自由という権利の剥奪であるという言説を軸とした政府非難が凄まじい。「安全安心」と具体案もなく呪文のように唱え,「科学的議論を」と主張しながら不安を煽るTV番組など必要ない。多くの人々は,タバコと違ってアルコール類は多量のCMが許されている,飲酒は合法であるということを根拠に飲酒は自由と理解している。ところが酒類販売は様々な規制があり,他の食品や飲料と違ってかなりの額の税金が課されている。すなわち,ゆるいがそれなりの制限が設けられている。他方,欧米では日本ほど飲酒について寛容ではなく,宣伝広告及び販売について厳しい規制が存在する。缶チューハイの類(RTDと言うそうです)でフルーツドリンクのようなノンアル飲料と見間違うようなラベルは,たとえアルコール0.5wt%の水みたいな米国のLight系ビールでさえも認められない。また,路上飲酒は多くの街で禁止されている。つまり,我国の飲酒に関する規制は大甘なのである。そのため,コロナ禍以前では深夜の六本木はまるで街全体がパーティ会場であった。渋谷周辺のコンビニの前で路上飲酒しているよりよっぽどひどかった。

 ビール会社がTV・CMの大口スポンサーなので,マスコミはスポンサーの機嫌を損ねないように飲酒自体の危険性や欧米の規制について触れたくないのだろう。また,広告主は免責として,目を凝らしても読めないような注意事項を「瞬写」してよしとしている(試しにビール会社の社長にTV画面を見ながら音読してもらってはどうか)。これなど,ジョークであろう。さらに,上述のようにアルコール飲料ビジネスは巨大であり,多くの場合個人消費経済を支える柱となっていて,酒類提供制限は消費動向を左右する要因となっている。さらに酒類提供制限に対する政府支出,すなわち税金で飲食店を援助することを行っているが,特に我国の場合,納税者から見ると天災で被害を被った人々への救済に比べてかなり過大な支援であると言える。

 タバコビジネスを思い出していただきたい。WHO・IARCの発がん分類で同じグループに分類されているアルコールは,リラックス,文化,その他諸々の理由が飲酒と殆ど同じである喫煙と全く異なる扱いで良いと言える科学的根拠は無い。当然,タバコのようにアルコール容器にオドロオドロしい危険表示が必要であり,飲食店での酒類提供も禁煙喫煙分類のようなことを導入することが「安全安心」を満たすために必要だろう。TVで執拗に「飲食店は悲鳴」と報じることは,単にマスコミ関係者が堂々と飲み会をできないので,代理としてTV出演依頼をしているのではないかと勘ぐってしまう。

 酒席は社会的に優れた政治やビジネスの場であるという識者は多い。しかし,前米国大統領トランプ氏や西郷隆盛のように全く飲酒しない,あるいはウインストン・チャーチルのようにディナー席上では飲んでいるフリをしていただけという指導者は結構存在する。また,グローバル経済の現在,投資家は24時間,社会や市場の動向を注視しなければならないので飲酒どころではないと思われる。

 ヒトへの発がんが確認されているアルコールを制限することに対するマスコミの非難合戦は非科学的であり,金科玉条の如く唱える「安全安心」に真っ向から矛盾・対立する事柄である。さらに,SDGsの「作る責任,使う責任」にも触れることになる。コロナとオリンピックで安心安全を強く主張することと,発がん要因である飲酒の禁止に反対する(インタビューは編集,出演は打ち合わせされているので,どちらもマスコミの意見である)という矛盾に対してマスコミ各社の意見を聞かせて欲しい。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2234.html)

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