世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
そして誰もが社会民主主義者になった
(杏林大学総合政策学部 教授)
2021.07.05
前回のコラム(「そして誰もがケインジアンになった」)に引き続き,新型コロナ禍がもたらした社会的認識地図の変化について論じてみたい。
問題となる対立軸の一方には,個人の尊厳・権利というものを最優先事項とみなす人々がいる。文脈に応じて「新自由主義」「リバタリアニズム」などと呼ばれることも多い。そしてもう一方の側には,個人の自由に加えて,社会全体の厚生に対する配慮を重視する立場がある。紛らわしいことに,これに対して「リベラル」などという言葉が割り当てられることも多いのだが,ここではそのような立場を「社会民主主義」と呼ぶことにしよう。
いずれもそれを極限まで突き詰めれば,前者はアナーキズムに,後者は集産主義,全体主義にもなり得るわけであるが,ここでは,どちらもそのはるか手前のところにあるものを対象としながら,議論を進めていくことにしよう。
経済政策をめぐる対立は,その少なからぬ部分がこの二つの立場から発しているように思われる。リバタリアンは,各人の選択の自由を重視し,したがって政府による経済への介入や規制は,皆無とは言わないにしても,最小限であるべきであると考える。そしてその前提として,自由競争市場のメカニズムに対しては,多大な信頼を置いている。政府による所得の再分配などは,努力して稼いだ人のポケットから強制的にお金を取り上げて,他の人々に与える行為であり,それが個人の自由と尊厳への冒瀆を伴わないことは難しい。
これに対して社会民主主義の立場は,市場メカニズムにはさまざまな機能不全があり得ることを認め,それを正すために政府が経済活動およびその結果に介入することを是とするだけでなく,その必要性を強調する。そして,所得の再分配についても,それを社会的厚生の観点から必要なものと考える。
一つの重要な論点として,リバタリアニズムの主張が説得力をもつためには,個々人の自由な選択が,社会全体として望ましい状態,あるいは少なくとも調和した状態をもたらすことが示されなければならない,ということがある。ご存じの通り,この点に関してもっとも強力なアイデアを提示したのは,アダム・スミス(1723−1790)であった。
そして経済学は,そのスミスの提示したアイデアを精緻に定式化することで,彼を引き継いだ。標準的な経済学の教科書では,自由な競争市場メカニズムがもたらす状態は,ある望ましい性質をもつことが「証明」されている。たいていはその後に,市場メカニズムが必ずしも十全に機能しない「市場の失敗」についても説明されているのだが,肝心な時には都合よく忘れられていることが多い。ドグマとは果たしてそういうものである。主に1980年代以降,総体的には,リバタリアニズムが優勢なコンセンサスとなり,それが(金融市場を含めて!)競争市場メカニズムの賛美と共にあったことは少しも不思議なことではない。
そしてようやく新型コロナ禍の話である。ここに来てついぞ聞かなくなった言葉に「自己責任」がある。夜の街で飲み歩き,コロナ・ウィルスに感染しても「自業自得だ」では済まない。それは他の人々に対する感染リスクをさらに高めるからだ。つまりそれはおのずと「それが社会にもたらすもの」によって評価される他はないのだ。
飲食店の営業やイベントの開催も,もはや個々人の自由な選択は,その個人の責任と利益の中にのみ納まることはできない。結果として,人にうつさないようにマスクをし,営業を自粛し,全国や他県の感染者数に関するニュースを日々注視する。ワクチンの確保・提供が政府によって行われ,酒の提供時間に至るまでが規制される。それが何やら戦時下の配給制度や統制経済に似ていることをことさら問題にする論点も影を潜めている。
リバタリアンにとっては,はなはだ都合が悪い状況であるが,さらに,人々はそれが感染症にのみ関わることではないことに気づくのではないだろうか。交通事故も人を巻き込む以上は,事故を起こした人の自己責任では済まない。実は,人々のあらゆる選択は,必然的にさまざまな形で他の人々に影響を及ぼし,われわれはその影響がスピルオーバーする海の中を泳いでいるようなものである。残念ながらそれらを放置して,なお調和状態がもたらされるという言説は,ますます説得力を失っている。
こうして誰もが,ごく自然に社会民主主義者になったのである。
1930年代の世界大恐慌は,ニューディール政策をもたらし,リーマンショックは金融市場の暴走への歯止めへと思いを至らせた。
大きな災厄が人びとの認識地図を変えるきっかけとなる様には驚かされる。残念ながらその点,著名な先生方が苦労して書かれたベストセラーの啓蒙書の比ではないようだ。
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