世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2077
世界経済評論IMPACT No.2077

1989年のトラバント

鶴岡秀志

(信州大学先鋭材料研究所 特任教授)

2021.03.15

 1989年11月9日,ベルリンの壁が崩壊して東西冷戦時代の終焉が始まった。その時,著者は英国の片田舎の自宅でBBCを見ながら夕食中だった。突然,緊急放送となり,音声無しの「西ベルリンから中継」と字幕が表示され若者が壁を崩す映像に切り替わった。そして翌朝のBBCニュースは,東側から東ドイツ市民が西へ流れ込んでいく映像を伝えた。その映像に,歓喜に湧く人々を乗せた,見慣れない古めかしい自動車の行列が現れた。それが東ドイツ製のトラバントであった。英国にはReliantというオートバイに無理やり自動車のボディを載せたハリボテのような三輪自動車があり,時々,町中で「転倒」している場面に遭遇したので欧州にはとんでもない車があるものだと思っていた。ところが,トラバントはそれを上回る衝撃的な自動車だった。

 ベルリンの壁解体後,リバプール郊外の田舎にもトラバントが時たま現れるようになった。青い煙を吐きながらノロノロとしか走れない,ドアがヘロヘロと撓むトラバントを目のあたりにして東西の工業力の差を知った。教科書に載っていたソ連のコルホーズ・ソホーズの機械化された農業や東欧の工業生産品の優秀さは,マスコミと文部省が作り上げた虚構に成り果てていたことを知った。1990年は社会主義体制の実態が大々的に暴露された年である。

 当時の英国の見方では,第二次大戦後の40年余りで東西に生じた民生品工業技術力の差は,官僚機構による統制経済と党上層部の「赤い貴族」化による「帝国」化の結果とされた。航空宇宙技術,兵器,重工業力を誇らしげに西側へプロパガンダしていたが,専門的に見ると80年代以降に肥料,合成樹脂,界面活性剤等の化学工業が劣化しつつあることは判っていた。合成洗剤どころか石鹸でさえも十分に供給できないことから,モノの循環にかかわる工業と経済の何処かに問題が生じていることが推察できた。

 ソ連崩壊後の1999年12月末に訪れたモスクワとキエフでは,米ドルで払えば英国よりよっぽど良い食事が可能であり,キエフの中央市場(いちば)では生鮮食料品が豊富でキャビア,ウオッカ,グルジアワインが驚くほど安価であった(ただし,国外持ち出し禁止)。ところが,当時のウクライナは5ヶ月以上公務員給与支払いが停止になるほど困窮していたので,天然ガスや石油が不十分であった。キエフ訪問は,友人の米国大使館員の招待で,キエフではその方の自宅アパート(元は共産党高級幹部用)に滞在した。当時,米国大使館が管理していたにもかかわらず,集中供給方式の暖房とお湯が夕方の2時間しか使えないことには閉口した。

 米国大使館手配のおかげで万事融通が効き,「公式」行動として進出していた米国企業,キエフ大学,ウクライナ正教教会,正教地下修道院を訪問した。大学と教会からは窮状を訴えられ,ハイパーインフレで暖房や修繕費用に加えて食事もままならないので国宝と思しきものを米ドルと交換してほしいと要請されたが丁寧にお断りし,米ドルで僅かばかりの寄付をした。面会した方々や友人(米国の法学博士・弁護士)の話から,東側経済は前例踏襲と過去の失敗の弥縫策の積み重ねを続けた末に崩壊したことが目の前の事実と一致した。もちろん,旧ソ連の崩壊については,各分野の専門家がこの30年で多くの研究を発表している。しかし,キエフやモスクワのレストランで米ドルさえ払えればロンドンよりもずっと良い豪勢な食事が可能だったことや,当時のウクライナの個人家計外貨獲得の重要手段がアムステルダムへの売春出稼ぎであったことは研究されてないのではないか。破綻状態のウクライナで国家の窮状というものを見聞したことは筆者にとって貴重な経験になった。

 トラバントは,計画経済とその修正で国家運営を推進し,無駄や失敗も多いが活力のある資本主義的な市場ニーズを無視してきた結果の象徴のような存在であった。メカ的には1940年代のままモデルチェンジ無し,ダンボールと間違うような繊維と木材からなるボディの自動車しか買えない社会では心が貧しくなる。人々は「いつかはクラウン」のような夢を持つことも叶わなかっただろう。

 国家と人々が活力を維持し続けるためには経済的な基盤に加えて夢と希望がなければならない。我国は,池田勇人首相の「所得倍増計画」,米国は「アポロ計画」という長期の展望,夢を国民に示した。左翼インテリ(死語ですね)は社会主義革命を唱えて同調することを否定したが,我が国の人々は犠牲を払いつつも夢に向かって努力をした結果,所得を倍増し,世界的に優秀な工業製品と美味しく安全な農産物を生産・消費する産業基盤を作り上げた。

 我国の科学技術第6次計画は過去の失敗(霞が関は失敗と言わないが)をつぶさに検討し,デジタル化を推進して「多様な幸せ」を追求すること目指すと宣言している。非常によく練られた内容で見落としの無い内容を称賛するが,「幸せ」はあまりにも抽象的で「夢」が描かれていない。提案されていることは全て目標達成の手段である。それが「幸せ」とどの様に結びつくのかがイマイチ分からない。そのため,同じフレーズが何度も繰り返される書面を読んでいると眠くなってくる。コロナ禍から再興することは大震災以上に困難なことになりそうな状況なのに,SDGsやESGでグリーンリカバリーと言われても,庶民レベルでは電気代等のインフラコストの値上げ,年金縮小,教育費や自動車価格の上昇,厳格なゴミの分別など気が滅入る話でしかない。「シン・ゴジラ」も結構現実的なので,いっそのこと科学技術計画が「2050年,木星を有人探査する」「2099年にワープ航法を確立する」という,無茶苦茶な「夢」目標を掲げてよいのでははないか。貧しかった昭和20年代でも,「ゴジラをやっつける」光線砲を実現しようと考えた子供が科学を学び,技術立国を支えた科学者や技術者に育っていった。誤謬のない反対しようもない科学技術振興案ではなく,「炎上」してもよいので規格外の夢をぶち上げるべきである。未来はその場しのぎの批判をする政治家やマスコミのためにあるのではなく,子ども達のものなのだから。丁寧に整理され前例を踏襲した誤謬のない優等生の作文から生まれたのはトラバントであったことを肝に銘じることから始めよう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2077.html)

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