世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
開発経済学の視座:ジェラルド・ローランド『開発経済学』
(九州産業大学 名誉教授)
2021.03.08
この開発経済学の視座のシリーズは,いままで邦訳されていない開発経済学の典型的なテキストを数冊選んで紹介する。通常,文章の展開に「起承転結」という基本的な順序がある。各書籍の分量が多いため,その「起承転結」の“起”の第1章に相当する部分の紹介を行う。それを考察することで,それぞれの著者が示す開発経済学の視座を知ることである。
まず,最初にジェラルド・ローランド著『開発経済学』(Gérard Roland, Development Economics , Routledge, 2014,計20章,625頁)を紹介することにする。ローランド氏は1954年に生まれのベルギーの経済学者で,カリフォルニア大学バークレー校の開発経済学担当の教授である。そういう意味で名門校のバークレー校で教えられるテキストと考えられる。
第1章は「発展の格差(development gap)」である。本章は発展の格差をもたらしたいくつかの事実を分析し,3つの重要な課題を提出した。
- 1.なぜいくつかの国々は他の国々と比べて発展が更に速いのか。
- 2.なぜ一部の貧困国の経済面でキャッチアップが開始され,他の一部の国々の発展ができなかったのか。
- 3.なぜ一部の富裕国が凋落し,最終的に貧困国になったのか。
紙幅の関係で全部を紹介することができないが,経済のキャッチアップ日本と衰退の中国(清朝時代)を選んで紹介する。
- (1)発展の格差に関する事実(省略)
- (2)絶えず変化する発展の格差(省略)
- (3)経済のキャッチアップと衰退の事例
発展の格差が発生する原因は,いくつかの国々の発展が他の国よりも速いことである。イギリスの経済の離陸(take off)は18世紀後期であり,アメリカと多くのヨーロッパ大陸諸国の経済の顕著な成長は19世紀からである。日本とドイツはそのあとにキャッチアップした初期の発展国家であるが,いくつかの国々は達成できなかった。経済のキャッチアップと衰退を理解しようと試みる場合,非常に重要な一点は歴史的角度から見ることである。過去の数十年に何が発生したかだけでなく,過去の数世紀の経済の変化を見ることである。経済のキャッチアップに成功したのが日本とドイツである。同時に歴史的に見ると,経済が衰退したのが中国,アルゼンチンとトルコのオスマン帝国である。後者の国々は近年において急速な成長が得られたが,過去では明らかな経済の衰退を経験した。
日本は経済史上のキャッチアップで最も成功した国の一つである。伝統的に,日本は封建社会であり,特に,徳川時代(1603~1867年)では鎖国し,当時の日本は幕府と世襲の軍事独裁政権の統治を受けた。1867年,明治天皇は徳川幕府の権力を回収し,非常に進歩した社会と政治改革計画を全面的に実施した。過去において日本は厳しい封建制度を実施し,その社会を貴族・武士,農民,職人,商人の4つの階層に分けられた。これらの封建制度が廃止され,改革では武士(侍)が持つ伝統的な権力が解除された。天皇は使節団をヨーロッパとアメリカに派遣して工業化国家の制度を学び,学生を海外に送り教育を受けさせ,数千名の西側からお雇い外国人教師を招聘し,日本人学生を指導させた。
日本政府は大規模のインフラストラクチャーの投資を行った。日本政府は広範囲に鉄道と道路システム,電化システムの構築が全国的に急速に行われた。政府は工業化を全力に推進し,大型工場に投資させ,低い企業税を設定し,主導的に企業に協力して業務関係の連携ネットワークを構築した。その結果,大型企業グループが誕生するようになり,いわゆる大型企業グループとは財閥(zaibatsu)と呼ばれる商業グループであり,異なる経済部門に跨って企業(三菱,住友と日産など)を組織した。第二次世界大戦に至るまで,これらの大企業グループは経済成長に対し,大きな貢献を果たした。財閥は大規模な資金力を持ち,大企業グループ内部の融資に有効的な構造を提供した。
第二次世界大戦の終戦後,日本の大部分のインフラ施設が破壊されたが,高品質で低コストの製造業に基づいて,日本は急速的に元気を取り戻し,数十年の驚異な成長を経験した。大量な日本製の自動車,オートバイと電子製品が世界各地の市場に輸出された。日本経済のキャッチアップ過程を示している。
経済史学者のアンガス・マディソン(A.Maddison)の推計のデータによると,1881~2001年の日本の1人当たりの所得がイギリスとアメリカの1人当たりの所得に対する比重の変化が見られる。イギリスは最初の工業化国家であり,19世紀の大部分の期間では世界の上で最も発達した国家である。19世紀末に,アメリカが世界最大の強い国家になった。観察できるのは,明治維新後の最初の10年間のうち,日本の1人当たりの所得はイギリスやアメリカの1人当たりの所得の30%未満であった。1930年代初期になると,この比率が40%を超えるようになった。第二次世界大戦以降,顕著な衰退を経て,日本はキャッチアップ過程を辿るようになり,1970年代末,日本経済はイギリス経済を凌駕した。第二次世界大戦以降の数十年間,イギリスの経済は力強い勢いの成長が既になくなった。戦後の2回目の10年間に日本の1人当たりの所得は,アメリカに対しても明らかに上昇が見られ,1990年前後に頂点に達した。日本の1人当たりの所得はアメリカのそれの80%以上に相当するようになった。しかしながら,1990年代に日本経済は停滞の10年を迎えられるようになった。
有名な経済史学者のアレクサンダー・ガーシェンクロン(A.Gerschenkron)は工業化進展の歴史研究で優れた成果を挙げた。氏は “相対的後発性利益”という独創的な論点を提出した。工業化進展において工業化の後発者が先発者との競争に直面する場合,彼らは依然としてより速い工業化の推進ができ,最終的には工業化の先発者に追いつくことである。要するに,後発者は既存の技術を模倣することによって後発性利益を享受することできる。そのあと,この国が必要となる規模の経済が得られた場合,彼らは素早く産業のフロンティアに到達することができ,それぞれの産業部門で最先進の技術を使用する一種の状態である。キャッチアップの奨励には充分で多額の資本が必要であり,これらの資本は民間部門から提供ができるし,政府部門からも提供ができる。日本においてこれらの役割は財閥が担当していた。
歴史的に考察すると,いくつかの国々は世界において過去では最も富裕国の1つであったが,貧困や停滞に陥入った最も有名な事例は中国である。少なくとも数世紀の期間において中国は世界で最も豊かな国であった。近代の多くの発明(火薬,クロスボウ(弩),ソロバン,一輪車とコンパス)の起源は中国であった。中国人は鋳鉄術を発明し,最初に動物(牛,馬など)を巧みに使い,農業生産率を大幅に向上した。彼らは紙,油墨と印刷術を発明した。最初に地震振動を記録する地動儀も中国で制作された。
マディソンが中国とヨーロッパの異なる歴史時期の1人当たりのGDPの推測値を示している。1人当たりのGDPは1990年の米ドルを基準に計算され,購買力平価で示された。少なくとも14世紀から17世紀の初頭まで,中国の平均生活水準はヨーロッパよりも高い。19世紀初頭に至るまで,中国の平均生活水準は日本に生活水準よりも高い。明朝(1368~1644年)と清朝(1644~1912年)の2つの時代において,中国は長期間の経済的停滞を経験した。19世紀と20世紀初期に中国では数回の内戦を経験し,軍閥との混戦,日中戦争,国共内戦があった。1946~1976年の間に中国経済は不安定の時代を歩み,1978年以降に中国は計画経済から市場経済への移行期を経て,経済が再び成長するようになった。
[追伸]
- 過去にはR.T.ギール(安場・安場訳,1965年),C. P. キンドゥルバーガー(坂本・加野・菅訳,1968~69年),W. エルカン(渡辺・高梨・小島・高橋訳,1976年),H. ミント(木村・渡辺訳,1981年),P. A. ヨトポロス・J. B. ヌジェント(鳥居訳,1984年),K. バス(大西訳,1986年),M. P. トダロ(岡田監訳,1997年),G. マイヤー(松永・大坪訳,1999年)などの代表的な開発経済学のテキストがある。しかし,近年ではその翻訳書が見当たらない(研究書を除く)。ここで紹介される数冊の書籍から1冊を小生と共同で翻訳者を呼び掛け,共同翻訳者の連絡をお願いしたい。お願いの条件は,⑴現役の大学で開発経済学担当の教員,⑵出版後この書籍をテキストとして使用する(近年,出版界では厳しく,テキストとして使用しないと出版ができない),⑶翻訳に多少自信がある人。連絡先は(asamoto@lep.bbiq.jp)。
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