世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2000
世界経済評論IMPACT No.2000

追悼ヴォーゲル教授

朝元照雄

(九州産業大学 名誉教授)

2021.01.11

 2020年12月20日,ハーバード大学名誉教授のエズラ・ヴォーゲル先生が逝去しました。謹んで,ご冥福をお祈りいたします。

 ヴォーゲル先生が日本で有名になったのは,著書の『ジャパン・アズ・ナンバーワン―アメリカへの教訓』(広中和歌子,木本彰子訳,TBSブリタニカ,1979年)である。のちに,『中国の実験―改革下の広東』(中嶋嶺雄訳,日本経済新聞出版,1991年)が日本で翻訳され,大学院時代に恩師の渡辺利夫先生が授業中にこの書籍を絶賛した。

 その後,ヴォーゲル先生の新著『The Four Little Dragons』の中国語版(「傅高義」はヴォーゲル先生の中国名)が台湾で翻訳され,私が偶然に台湾でこの翻訳書を入手した。読んだあと,直ちに英語の原書を入手し,渡辺先生に翻訳の話を持ち込んだ。先生は直ぐに私を含む数人を集め,下訳を行い,最終的に渡辺先生が統一翻訳で完成したのが『アジア四小龍:いかにして今日を築いたか』(渡辺利夫訳,中公新書,1993年)である(この訳本の「訳者あとがき」に下訳担当者の名前が紹介され,私は第2章「台湾」を担当)。

 1995年,勤務校から1年間(1996~97年)の海外研修のチャンスがあったため,劉進慶名誉教授(東京経済大学,歿)から,ハーバード大学フェアバンク東アジア研究センターの台湾研究フォーラム担当のカルビー教授を紹介してもらい,彼に訪問研究員として受け入れてもらった(1993~95年,ヴォーゲル先生は国家情報会議(NIC)の東アジア・太平洋担当の国家情報官に就任)。

 アメリカ留学の経験がなかったので,この1年間は貪欲にヴォーゲル先生の授業のほか,経済学部の開発経済学の学部や大学院授業,国際開発研究所(HIIS)での大学院セミナーや講演会などにも積極的に出席するようになった。ハーバード大学のヴォーゲル,ドワイト・H・パーキンス,アマルティア・セン(ノーベル経済賞受賞)など諸先生は,人々に魅力を感じさせるオーラがある大物である。

 ヴォーゲル先生の授業は大変人気で,学部の授業は約200名の学生が集まる。日本の大学ではマンモス授業が多いので200名の授業では珍しくないが,ハーバード大学では少数精鋭の教育を行い,通常の授業では約30~50名の受講生のため,200名の授業生は凄い人気である。当時,ヴォーゲル先生はよく自分が撮ったあるいは所有した日本や中国の風景,産業,社会などのカラースライドを使って授業している(当時の授業ではまだパワーポイントは使われていない)。魅力のある授業にするための惜しまない努力を感じさせた。新学期最初の授業時にシラバスを配布し,毎回の授業の参考資料リストの書籍・論文を必ず読んでくるように指示している。ハーバード大学学部の授業は50分であるが,週2回(例えば,月曜日の2限目と水曜日の2限目)を行い,土曜日はティーチングアシスタント(通常は博士課程の院生)がこの週の講義内容の復習を行っている。

 また,ヴォーゲル先生が凄いのは,日本語と中国語に精通し,英語のほかに,この2つの言語を使って講演や授業ができる。そのために,先生の傍に多くのファンが集まっている。例えば,『現代中国の父 鄧小平』の共訳者の杉本孝(京都大学経営管理大学院客員教授)は,新日本製鉄から退職し,私が滞在時に同じく訪問研究員として滞在していた。

 「パンダハガー(Panda Huggers)」とう英語がある。これは直訳すると「パンダを抱く人」のため,中国語では「擁抱熊猫派」と訳された。日本語では単に「親中派」と訳され,その意味がわかり難い。広義の意味でヘンリー・キッシンジャーやヴォーゲル先生はパンダハガーに属する。ただし,ヴォーゲル先生の名誉のために,説明を加えたい。日本は戦前の軍国主義から戦後の民主化国家になり,韓国,台湾は権威主義国家から民主化国家へ変化した前例から,中国も豊かになるといずれ民主化国家になると,ヴォーゲル先生たちは期待した。しかし,中国のWTO加盟で世界の工場で多くの外貨が集まり,加盟前に約束した承諾を破ったこと。香港の中国返還で約束した「一国二制度,50年間不変」を僅か23年間で破ったこと。習近平がオバマ大統領に,南シナ海の島礁は「軍事基地にしない」とした約束を破ったこと(現在,これらの島礁には滑走路が建設され,戦闘機が駐在している)。中国は国際間での約束を履行せずに,次々に破ったことによって,パンダハガーが持つ中国への期待が失望に変わった。

 そのかわりに登場したのが,「ドラゴンスレイヤー(Dragon Slayer)」である。直訳すると「竜(中国や中国共産党)を殺す人」であり,中国語では「屠龍派」と訳されている。「ドラゴンスレイヤー」の由来は,同名の1981年,2008年,2011年のアメリカ映画シリーズや1984年からの日本のゲームソフトシリーズである。日本語では「反中派」や「対中強硬派」と訳されている。代表人物はトランプ政権のポンペオ国務長官や『米中もし戦わば』(文藝春秋,2016年)の著者のピーター・ナヴァロ国家通商会議トップなどである。

 1997年の夏に日本に戻り,ヴォーゲル先生とはご無沙汰になった。2014年に福岡アジア文化賞大賞の受賞時の講演と2019年に先生の著書『日中関係史』の出版後の西南学院大学ホールでの講演時,先生とお会いしたのが最後である。

 手持ちの『The Four Little Dragons』に先生の自筆のサインがあり,私の一生の宝物である。

 ヴォーゲル先生,どうもありがとうございました。安らかに。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2000.html)

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