世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1993
世界経済評論IMPACT No.1993

追悼エズラ・ボーゲル氏:親中国は日本への失望からか

藪内正樹

(敬愛大学経済学部経営学科 教授)

2020.12.28

 ボーゲル氏とは,一度だけお話ししことがある。その時にいただいた警句を胸に刻むため,記しておきたい。2010年12月に辛亥革命100周年をテーマにしたシンポジウムの後の懇親会で,講演者の一人だったボーゲル氏にご挨拶した。ハーバード大学に留学する日本人が最近は減っているそうですねと話しかけると,ボーゲル氏は流暢な日本語で,一気に話された。

 減ってもいますが,落第する学生が多いんです。特に官庁派遣の学生に落第する人が多い。なぜ落第するかというと,授業中にあんまり黙ってるから,君の意見はと聞くと,それは難しい問題だとか言っちゃって,決して自分の意見を言わないんです。だから点を上げられなくて落第するんです。

 ボーゲル氏はあの柔和なお顔で話されたが,その語気は苛立ち,あるいは怒りさえ含んでいた。官庁からハーバードに派遣されたと言えば,日本では文化系で最も優秀と考えられていた人たちである。日本の秀才は,正解のある問題にだけ強いということだろうか。ハーバードの教室で,正解のある問題を議論している訳はないのだ。そう言えば,霞ヶ関は,リスクを取らない,責任を引き受けない,決して過ちを認めようとしないことで知られている。ボーゲル氏の苛立ちは失望の現れであり,アジアをリードするのは日本ではなく中国だと考えた,最大の理由だったのではないか。

 渡部悦和・元自衛隊東部方面総監が12月24日の「いくバズ」というYouTube番組でボーゲル氏を語った。渡部氏は2015年から2年間,ハーバード大学アジアセンターでシニアフェローとして滞在。そこでボーゲル氏の指導を得たことが自分の財産だと語った。しかしボーゲル氏は,中国に寛大で常に高く評価するので,意見は衝突したという。日本人は喋らないからダメ,中国人は自分の意見をどんどん主張するから良いというボーゲル氏の口癖に応じて,渡部氏は毎回反対意見を言い,言いすぎて顰蹙をかったこともあったという。

 1979年のベストセラー『ジャパン・アズ・ナンバーワン』についてボーゲル氏は,渡部氏に次のように語った。日本企業の強さの理由を詳細に分析し,米国への警告として書いたのに,米国より日本で評判になってしまった。あれ以来,日本のビジネスマンは傲慢になり,社会全体はすっかり緩んでしまったと。残念だが,傲慢になり,気が緩み,自分の意見を言わない日本人に,アジアを託すことができないと考えても止むを得ない。

 似た話を,90年代初めに米国留学したことのある同僚教員から聞いた。留学先の学生寮に,近隣の大学から外務省から派遣された留学生が週末ごとに集まっていたという。どうして日本人だけで集まっているのか聞くと,もはやアメリカから学ぶことは何も無いからと言ったそうだ。

 ボーゲル氏は2000年,70歳でハーバード大学教授を退職して名誉教授となり,中国に長期滞在を繰り返しながら10年かけ,『鄧小平』を2011年に出版した。上下2冊の大著だが,中国がGDPで日本を抜いて世界第2位になったことが発表された年だっただけに,世界中で大ベストセラーになった。渡部氏によれば,高名なボーゲル名誉教授が中国に行くと,中国政府は最大限の便宜を図り,中国政府要人,党史研究者,家族など誰にでも会って,堪能な中国語でインタビューできたという。また鄧小平を知る世界の政府首脳にもインタビューし,日米中の公文書など膨大な資料に当たって『鄧小平』は書き上げられた。

 1999年から翌年にかけてハーバード大学で客員研究員として滞在した社会学者の橋爪大三郎氏は,これから鄧小平の本を書くと語るボーゲル氏の知遇を得た。『鄧小平』の出版後,ボーゲル氏に会った橋爪氏は,次のように書評を述べたそうだ。

 膨大なデータをまとめるのに社会学理論を下敷きにし,疑いのない歴史事実だけを書き,背後にある動機や意図は暗示されるだけで,読者の推論に委ねられている。これに対してボーゲル氏は,それを意図したと肯定したそうだ。橋爪氏は,大著の『鄧小平』の簡略版を出したいと提案し,ボーゲル氏との対談を講談社新書の『鄧小平』として出版した。

 ボーゲル氏は,次は胡耀邦の本を書きたいと語っていたという。毛沢東時代に抑圧され,圧縮された人々のエネルギーが,改革開放で解き放たれた鄧小平時代が関心の的だった。リベラリズムの牙城のハーバードの中心的存在として,パックスアメリカーナを相対化する多様性の星として,日の出の勢いの日本に注目した。その日本に失望すると,昇竜の勢いを見せる中国が,世界の多様性のヒーローだと考えたのだろう。

 鄧小平は,毛沢東が抑圧した人々の欲望を肯定したことによって経済発展を実現した。経済発展によって利権集団が形成されると,江沢民は「三つの代表」論によって,党幹部の欲望を肯定した。その結果,俗人的な不正腐敗は体制に構造化され,いわば合法化された。ここに至って習近平政権は,国民の信頼を失えば体制は維持できないと考え,毛沢東時代への逆回転を始めたのである。

 ボーゲル氏は,日本に失望したのは日本の責任だが,今年の中国を見て,傲慢だとは思わなかっただろうか。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1993.html)

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