世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
令和のコメ騒動・戦後農政が招く「有事の飢餓」:食料安全保障を求める「令和の百姓一揆」
(敬愛大学経済学部 名誉教授)
2025.03.17
昨年8月,スーパーの店頭からコメが消え,メディアが「令和のコメ騒動」と報道した。すると,コメの価格は,今年1月までの半年間で1.6倍に急騰。騒動は,「食料・農業・農村基本法」が25年ぶりに見直され,2024年6月から施行された直後だった。見直しが必要とされた要因のうち,少子高齢化による担い手不足,農地面積の減少による生産基盤の脆弱化の2点は,数十年来の問題なので,これまでの農政の無策の結果としか言いようがない。近年の変化としては,気候変動による自然災害の多発や栽培適地の変化,そして,ロシアのウクライナ侵攻,新興国の需要拡大,各国の異常気象による「食料安全保障上のリスクの高まり」である。およそ「安全保障」とは程遠かった日本の農政が,この言葉を使ったことは注目すべきだが,その実態はどうか。
日本の食料安全保障は,食生活の欧米化と,それと共に進めた減反政策によって,今や危機的な状況である。食料自給率(カロリーベース)は,1965年の73%から2023年には38%まで低下,先進国では最低である。さらに種子の90%,化学肥料のほぼ99%が輸入なので,実質的な自給率は9.2%という。(鈴木宣弘「日本の『食』が危ない!」文藝春秋2023年4月号)
つまり,日本周辺の有事によって海上封鎖されると,日本は壊滅的な飢餓を免れないのである。呉江浩駐日中国大使は,「台湾有事は日本の有事などと荒唐無稽なことを言うのは,日本国民を火の中へ連れて行くようなもの」と2度にわたって発言した。なぜ日本国民が火に巻かれるのか。それは,東京大空襲を始めとする主要都市への無差別爆撃と広島,長崎を経験した日本人に対する「核恫喝」に他ならない。しかし,日本を屈服させるのに核恫喝は要らない。日本は,海上封鎖だけで国家存亡の危機に陥るのである。
(次の記事も参考:山下一仁「日本の農業政策は有事に国民を飢餓に導く〜ウクライナ危機の教訓 台湾有事なら,ウクライナの飢餓が再現される」朝日新聞『論座』2022年3月22日の記事をRIETIコラム・寄稿に転載)
戦後の日本は,一貫してコメの消費が減る一方,小麦や肉の消費が増え,飼料用を含めて米国からの穀物輸入が増え続けてきた。これは,占領期からの米国の政策ではないかと思われる(前掲「日本の『食』が危ない!」)。
しかし,山下一仁「『日本の食が危ない!』は正しいのか?」農業経営者2023年5月号)によると,戦争直後の日本の食料不足を補うため,米国は脱脂粉乳とコメの輸出を提案したが,日本政府が価格の低い小麦を要求したという。その後,日本の食生活を変え,食糧自給率を下げて来たのは,JA農協,農水省,農水族議員の農政トライアングルだとしている。
日本の農政トライアングルは,戦後の農業生産が復興した後,2次,3次産業に比べて低かった農業所得を向上させるため,コメを高価格に維持することを基本方針としてきた。食生活が欧米化してコメの需要が減り続ける中,価格を維持するため,1970年から始めたのが減反政策である。
やがて機械化と化学肥料が普及し,兼業農家が増え,田植えはゴールデンウイーク,他は週末だけで済ますようになると,コメと小麦の二毛作が出来なくなり,小麦は輸入に頼るようになった。この時,日本政府はコメ生産農家の所得維持を,価格支持(消費者負担)から直接払い(財政負担)に変えるべきだった。換言すれば,農業規模を拡大して生産性を上げ,自給率を維持して食料安全保障を確保すべきだった。需要を超える豊作で価格が下がれば,輸出すれば良い。安全保障のためなら生産補助もWTO違反ではない。
実際,直接払い補助金が農業所得に占める割合(2016年)を見ると,スイス95.2%,ドイツ77.0%,フランス64.0%,EU28カ国平均50.4%に対し,日本は30.2%にとどまる。しかも日本の補助金は,減反や転作を奨励したのである(外国は農水省委託調査・平澤昭彦「直接支払制度の国際比較」2018.3,日本は鈴木宣弘「日本の食と農が危ない」2021.1)。
日本は,与党は零細農家の票数,JR農協は預金加入者数を優先させ,消費者利益と安全保障を毀損し続けたのである(山下一仁「〈令和の米騒動の本質〉コメ高騰,備蓄米放出…亡国農政のツケは国民に回る 食料途絶に備え減反廃止とコメ輸出拡大を」Wedge ONLINE 2025.2.20)。
OECD(経済協力開発機構)が定めたPSE(Producer Support Estimate:生産者支持推定量。財政負担+内外価格差×生産量)の農業所得に占める割合は,2020年で米国11.0%,EU19.3%に対し,日本は40.9%と極めて高く計算されている。「日本の農業は過保護」という言い方があるのはPSEのことである。しかし,PSEほど日本の農政の問題を見えなくする指標はない。なぜなら,PSEの中の価格支持(消費者負担)の比率(1986〜2022年の推移)を見ると,EU28カ国が87%から18%まで低下したのに対し,日本は90%から67%までしか下がっていない。日本は高価格支持(消費者負担)が中心で,しかも補助金は,減反や転作を奨励しているのである。
前掲の「『日本の食が危ない!』は正しいのか?」で山下氏は,食の欧米化を推進したのは米国ではなく,JA農協,農水省,農水族議員の農政トライアングルだと述べた。しかし山下氏は,農政トライアングルの背後に黒幕はいないのか?という事までは言及していない。
それについては,高嶋光雪『アメリカ小麦戦略:日本侵攻』1979.12 と,鈴木猛夫『「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活』2003.2 がある。また,決定的な役割を果たしたのは,木々高太郎のペンネームを持つ作家・詩人で慶應大学医学部教授・医学博士(大脳生理学)の林髞(はやし・たかし)氏である。同氏が1958年に出版し,3年で50刷のベストセラーになった『頭脳―才能をひきだす処方箋』で,「コメを食うと馬鹿になる」という「米食低脳論」を提唱した。コメを食べるとビタミンB類が欠乏して脳が正常に働かなくなる,日本が欧米に劣っているのはコメを食べているから,せめて子供たちの主食はパンにした方が良いという内容だった。
ウィキペディア「木々高太郎」によれば,「この主張の背景には,アメリカに本拠を置くいわゆる穀物メジャーからの強い働きかけ,さらには研究費の提供等があったことが現在では判明している」としている。ウィキペディアはその根拠を示していないが,60年代を記憶する世代の大半は「コメを食うと馬鹿になる」という言葉を覚えており,この異様なキャンペーンが穀物メジャーによるものであった可能性が高いことは否定できないだろう。
日本人は,3000年前からコメに適応してきた。それが戦後,急速に欧米化すれば,不適合を起こす人が出るのは自然である。漢方医の家系11代目にして歯周病研究で歯学博士をとり,銀座のクリニックを経営しながら政治活動も始めた吉野敏明氏は,日本人の大半の体調不良は,過剰摂取となっている4毒を断つことで改善すると言う。4毒とは,小麦,植物油,砂糖,乳製品。
「令和のコメ騒動」や米価高騰の一方で,農家は生産コスト高騰などから窮地に陥っている。稲作農家の所得を時給換算すると,2年連続で10円(農水省:営農類型別経営統計 稲作 2022年)だと言う。まさに「亡国の農政」のなせる結果である。
そして,市民や農家有志による「令和の百姓一揆」実行委員会が結成された。2月18日に衆院議員会館で国会議員らを呼んで集会を開き,①農家への欧米並みの所得保障,②貧困層を含め全ての市民が命の危険を感じることなく食べられる仕組み作り,③低迷する食料自給率の向上を目指すと訴えた。
3月30日午後には,「日本の農,食,いのちを守ろう」と呼びかけ,都内の青山公園南地区のほか,那覇,山口,富山,奈良,岐阜でトラクターデモが計画されている。6月30日まで続く寄付は,目標100万円,ネクストゴール1000万円に対し,既に1400万円を突破している(『令和の百姓一揆』)。
欧州やインドでは,農家がトラクターで高速道路を占拠したり国会周辺を包囲したりして政府を動かしたことに触発されたとのこと。また,フランス人から「なぜ日本人はおとなしいの」と言われたとも聞いた。3月30日は,100台のトラクターを集めようとしたが,青山公園南地区では30台しか集まれないとのこと。やはり日本人は穏やかである。
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