世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1961
世界経済評論IMPACT No.1961

台湾・国家衛生指揮センター(NHCC)の教訓

朝元照雄

(九州産業大学 名誉教授)

2020.11.30

設置の経緯:2003年SARSの痛ましい教訓

 2003年,SARSの疫情発生時に情報の交換,人員の調整,政策の施行などの運用に制限を受けた。当時,NHCCは疾病管制署(CDC)ビルの地下室に設けられた。2003年,国家安全会議(安全保障政策を決定する総統府直轄の機関)の張榮豊副秘書長が密かに指揮センターの構想を決めた。当時,衛生署長の陳建仁(蔡英文政権1期目の副総統,現在は中央研究院特別研究員)と疾病管制局長の郭旭崧(現在,陽明大学学長)はアメリカに渡り,アメリカ保健福祉長官(U.S. Secretary of Health and Human Services)のトミー・トンプソン(Tommy George Thompson)を訪ねた。トンプソンは長官事務室の傍のSOCに連れて行って見学させた。

 アメリカのSOCの設置経緯は次のようである。2001年,アメリカでは世界貿易センターのテロ事件と生物兵器の炭疽菌・バイオテロ事件が発生した。トンプソン長官は,アトランタに設置されたアメリカ疾病予防管理センター(CDC)とメリーランドに設置されたアメリカ食品医薬品局(FDA)の設置場所が離れていたため,互いの意見交換に支障を感じた。そのために,ホワイトハウスの戦情室を模倣し,SOCを設けるようになった。

 当時の2003年,台湾は多くのSARS感染者と死亡者がでたという痛ましい教訓を受けた。いままでCDCビルの地下室に設けられた指揮所の組織や対策の不都合が反省の材料になった。陳衛生署長と郭疾病管理局長はアメリカのSOCを見て,これこそが台湾が構築すべきモデルであると理解し,「台湾版SOC」を構築することを決心した。帰国後,陳は疾病管理局の7階に1億台湾元をかけて機器設備を購入し,建設したのが現在の国家衛生指揮センターである。

 疫情の掌握にメディアの重要性が認知されるようになり,台湾と全世界のメディアの情報の蒐集を行い,国会チャネルを設け,衛生福利部の長官が立法院(国会)での質疑応答に答えるために,最新の疫情を掌握するころが必要になった。また,指揮センターはテレビ局の同意を得て,SNG (Satellite News Gathering,通信衛星を使い,テレビニュースなどの放送番組素材収集システム)車両の信号を傍受し,テレビ局の最新の疫情を入手している。これはメディアを監視するのではなく,情報の蒐集が目的である。平常時に国家衛生指揮センターには最小限の人員を配置し,感染症流行時には他の部署から人員を調達して対応している。これはアメリカSOCの経験を真似たものである。

 そのほかに,過去においては疫情を管理するCDCのスタッフが感染症発生の警告ベルを押していた。しかし,担当者が警告ベルを押すことは,万一誤った判断を下した場合,責任が追及されやすく,どうしても慎重になりやすい。これは防疫上,直ちに対処することが遅れる要因になれやすい。そのために,消防署への火災通告のシステムを導入し,通告者は必ずしもCDCのスタッフでなくてもよく,仮に誤った判断で警告ベルを押しても本人の責任にしない仕組みに転換した。なぜならば,電話で消防署に火災発生の通告をしても,消防車が駆けつける前に消火される場合もある。一刻も早く対策を打つことが重要視される理由である。

組織のシステムと活躍:アメリカの第七軍種を模倣

 ハード(機器設備,医療器材),ソフト(組織の仕組み),マンパワー(人員調達)を整備し,国家衛生指揮センターの雛型ができた。しかし,国家衛生指揮センターの機能が発揮できたのは,アメリカ第七軍種の防疫医師の制度を学んだことである。郭旭崧によると「アメリカのCDC防疫医師,専門人員はアメリカ公衆衛生局部隊(United States Public Health Service Commissioned Corps,略称PHSCC)に属し,第七軍種に属し,待遇は軍人と同じである」。アメリカのPHSCCの防疫医師は平常時から軍服を着ている。軍服を着ていることは,「随時に派遣を受ける用意がある」ことを意味するもので,軍人は上司からの命令を拒否ができない。

 国家衛生指揮センターの防疫医師は軍服を着ていないが,国家衛生指揮センターの「NHCC」の文字入りのベストを着ているため,軍服を着ていることを意味し,軍人と同じように命令に服従しなければならない。指揮センターの防疫医師の公募時に,「第一時間に君たちを疫病地域に派遣する」と防疫医師の応募者に前もって教えている。

 2003年5月末,SARS感染が落ちついたあと,当時の陳水扁総統はSARS防疫総指揮の李明亮に命じ,アメリカのPHSCCの防疫医師を総統府に案内し,防疫に協力したことに感謝の言葉を述べた。陳総統は「台湾のCDCの改善すべき課題はなにか」を訪ねた。アメリカのPHSCCチームのスーザン・マロニー(Susan Maloney)隊長は「アメリカのCDCには7000人のメンバーがいて,そのうち防疫医師が3000人である。しかし,台湾のCDCには1000人のメンバーがいて,そのうち医師は僅か7人である」と語った。要するに,台湾のCDCの医師が少ないことを意味している。マロニー女史のひと声で,陳建仁衛生署長と蘇益仁疾病管理局長は,36名の防疫医師の人員枠(医師は公務員であるが,医師手当付き)と防疫手当を政府から得ることができた。

 国家衛生指揮センターの防疫医師が感染地域に行くことはこの部署のDNAである。2005年の中国の安徽省で鳥インフルエンザの感染時,2名の台湾人防疫医師が現地の農村に派遣された。2013年,ビルマで腸チフスの発生時に台湾人防疫医師が現地に派遣された。2014年のナイジェリアでエボラ出血熱の発生時にも,羅一鈞医師が現地に派遣された。2018年,韓国のMERSの発生時に,台湾の防疫医師は最初に派遣された外国医師団である。また,今回の新型コロナウイルス(COVID-19)発生初期の2020年1月12日に,台湾の防疫医師2名が武漢に派遣された。

日本版国家衛生指揮センターが必要だ

 2003年のSARSショックによって台湾は大きなダメージを受けた。その教訓から国家安全会議は国家安全保障の角度から国家衛生指揮センターを構想し,アメリカからSOCの組織メカニズムとPHSCCの第七軍種の防疫医師制度の導入などを経て17年間も経過し,現在の国内外に誇れる強力なセンターを築くことができた。

 国家衛生指揮センターの役割は,日常生活では注目されていなかったが,今回の新型コロナウイルス対策を裏で支えたことは言うまでもない。総合的に台湾のケースを考えて,「日本版国家衛生指揮センター」の設置は必要だろうと提言したい。

 また,日台の防疫担当のトップの違いを見ることができる。

 西村康稔内閣府特命担当大臣は大学法学部と通産省出身の衆議員であり,2つの異なる省庁の長官を担当しているため,よく言えば2つの省庁のバランスを取れるといえるが,新型コロナウイルスの感染抑止と経済再生のどっちを優先に採用するか相反することが発生する場合がある。前厚生労働相の加藤勝信は経済学部,旧大蔵省出身の衆議員であり,現役の厚生労働相の田村憲久は法経学部経済学科出身,衆議員,厚生労働相の再任である。厳格に言えば,これらの閣僚は大学の経済学部や法学部の出身の衆議員で,行政能力は高いが防疫関係の専門家でない。

 他方,台湾の衛生福利相(保健相)やその前身の衛生署トップの陳建仁はジョンズ・ホプキンズ大学公共衛生博士,郭旭崧はイェール大学衛生政策博士の防疫のプロ出身である。専門領域の背景の違いが見られる。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1961.html)

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