世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1920
世界経済評論IMPACT No.1920

真面目にイノベーションは,あり得ない

鶴岡秀志

(信州大学先鋭研究所特任 教授)

2020.10.26

 最初に,本稿の裏テーマは「ワクワク」である。執筆中の10/15に,日経ビジネス・山崎亮平の出口治明〜九門大士対談で「ワクワク・ドキドキする国」が取り上げられたので,そちらも是非参照されたい。

 突出したアイデアが出現するイグ・ノーベル賞をジョークと扱う石頭の霞が関とメディアからイノベーションは永遠に出現しない。そのメディアと一部野党がタッグを組んで前例踏襲の政府批判を行ったことで,逆に学術会議の硬直化した問題点を世間一般に知らしめる結果となった。下々の研究者には縁のない世襲的学術会議は,藤原道長時代の殿上人に例えても言い過ぎとはいえないだろう。

 過日,通勤時にラジオから流れてきた1979年の日本航空CMの,数十年ぶりに聴く楽曲に思わず聞き入ってしまった。1978年,成田空港開港後にアメリカ向けJALパックが大々的に開始されたものの高嶺の花で,特に米国東海岸はおいそれとは行けなかった。当時は,JALがアンカレッジ経由東京〜NY便の時代である。そのJALが東海岸キャンペーンをサーカスの「♫American Feeling」で始めた。ミッドタウンでも物騒だったことなど知らず,幼少時からHersheyチョコレートを高級品と信じていた若者にとっては憧れを掻き立てるCMであった。なお,パックツアーCMであるが同曲の歌詞は女性の一人旅となっている。

 現在60〜70歳で日本の産業経済の発展に貢献されてきた方々は,一つ上の世代の欧州留学から米国留学に変わった時期を過ごしていた。大学理系博士論文がドイツ語から英語になった世代で,ミッキーと名犬ラッシー,可愛い魔女ジニーと奥様は魔女,タイムトンネルや宇宙家族ロビンソンで育った世代である。全共闘世代とは縁の薄い理系学徒は,次々と放映される米国TVプログラムの影響で米国へのあこがれは強く,また,産業技術全般で米国に追いつきたいという思いが強烈であった。戦前から彼我の格差の大きかった応用化学系の筆者は,教科書は米国のもの,彼我の実力差を埋めるために他の学科よりかなりキツイ授業でしごかれたが,留学した米国の大学院は桁違いに厳しい教育を行っていた。

 高度成長時代に入っていたものの,米ソの宇宙進出競争に比べて我国は背伸びをしても追いついていなかった。東大に大型電子計算機日立HITAC8800/8700が設置され計算速度はIBM370より速く,追いついた感はあった。しかし,もう少しで肩を並べそうな電気電子分野とは異なり,応用化学は装置や材料でも米国製しか使えないことがあり戦前からの基礎技術力の格差を痛感していた。しかし,この格差をなんとかして埋めて追いつこうという気概を持っていた時代でもあった。

 1982年に米国の大学院に留学して最初に驚いたのは,大学の図書館規模が日本の大学とは桁違いに大きく,論文に引用されている学術誌や書籍の殆どは手にとって閲覧可能,NASAの報告書はマイクロフィッシュ(フィルム状の書類)で全部揃っていて軍事機密以外は閲覧可能,蔵書していないものはコピー代だけで他の大学図書館や連邦図書館から入手でき,24時間年中無休という当時の日本では考えられないシステムであった。また,宇宙航空研究の米国内特別指定大学だったために,学内共用大型コンピュータが複数あり中型機種も数十台あった。ちょうどパンチカードから画面入力に変更された時で,キャンパス内にある複数のセンターは24時間いつでも使用できた。

 設備の違いだけではなく研究アプローチにも差異があった。我国では工学部でも議論の過程を重要視するが,米国では具体的結果の導出を優先するという違いに気が付いた。「応用工業数学III(大学院レベル)」という講義の試験で,日本ならば定理を使った解法を問うことが普通だが,定理の有用性と活用方法を述べよという設問には面食らった(空軍の将校見習学生が満点を取った)。勿論,大学院では理論体系を徹底して勉強するが,研究では実際の現象を体系化していくことが重んじられた。そのような違いの中で切磋琢磨して,半数以上が落第・失格になる米国の大学院Ph.D.課程を勝ち抜いてきた方々が日本の科学技術を支えてきたことも確かである。

 冷徹な事実として,世界の化学物質登録を牛耳っているのは米国である。アンモニア合成法を確立したドイツは化学工業大国で有機化学分野を牛耳っていたが,21世紀初頭に有機化学物質登録の権利を全て米国に渡してしまった。その後,ドイツの化学産業と応用化学研究は急速に衰退した。現在,新規化学物質は米国で登録されなければ大手を振って使えないのである。化学,応用化学,化学工学は国家の基盤を左右する学問・技術である。素晴らしい物質を発明して工業化方法を確立しても米国が登録を拒否したらビジネスにならない。日韓対立で周知されたように,化学製品1つが欠けただけで電子産業が止まることから判るように化学工業は大変重要である。米中対立も中国が化学物質で覇権を奪取しない限り現状が大きく変わることは無いだろう。

 日本から米国への留学者数は直近2019年で中国の5%程である。中国が国策等で突出していると謂えども,ベトナムや台湾の半分以下,我国だけ見ても20年前の半分以下である。歴史的にみても,イノベーションは富国強兵,夢の実現,危機の克服という大きな目標が原動力であるが,もう一つ,若者にはトキメキが必要である。バブルを経て米国技術への信頼感喪失後は,なんとなく目標を失ってしまった。識者や評論家は近い将来の科学技術の衰退を叫ぶのは直ちに止めていただきたい。コロナでひどい目に合わされたことを克服するためにも,ネットベンチャーばかりに投資するなどとみみっちい現実的目標ではなく,幅広い物理・化学技術が必要な木星探査,ガニメデへの定住を目指すぐらいを掲げてはどうか。経済人が囃すDXは看板の掛替,コンサルの小金稼ぎとしか見えずオジサン救済事業である。安全性評価(毒性評価)も含めて応用化学とその製造分野を担う化学工学の振興を図り産業力の再活性を図ろう。秀才的真面目な投資からはイノベーションは生まれない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1920.html)

関連記事

鶴岡秀志

科学技術

教育・学び

日本

最新のコラム