世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1917
世界経済評論IMPACT No.1917

「ジャパン・プラットフォーム」の回顧と展望:民間セクター主体による国際貢献の意義

金原主幸

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2020.10.19

世界初のユニークなしくみ

 全地球がコロナ禍に覆われ,トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」を筆頭に自国中心主義が世界中に蔓延している。対外支援など2の次,3の次になりがちだ。そんな逆風のなか,小粒ながらキラリと光る民間主体による日本の緊急人道支援のしくみが今年で設立20周年を迎えた。それが「ジャパン・プラットフォーム」(以下,JPF)である。この間,JPFは50以上の国・地域において120のプログラム,1,650の事業に助成総額670億円超の支援活動を展開してきた。これまでの支援対象国はモンゴル,アフガニスタン,南スーダン,イエメン,イラン,イラク,シリア,ミャンマー,アフリカ南部など多くが紛争地域,破綻国家だ。

 その活動の中心はピースウィンズ・ジャパン(以下,PWJ)はじめ日本の国際協力NGOだが,JPFは単なるNGOの寄せ集めではない。NGO,経済界,政府の3者が対等なパートナーシップのもとに連携し,ひとつの旗の下で日本の国際貢献活動を展開するという他国には例のないユニークな取り組みであり,設立当初より世界の援助関係各方面から大きな注目を浴びてきた。「日本は市民社会の形成が最も遅れている国」との見方が国際社会に根強いが,JPFの実現はそうした偏見に一矢報いた形となったのである。本稿では,設立20周年を迎えたJPFの設立当時に遡ってその背景と経緯を顧み,今後の期待と課題について延べたい。

なぜJPF構想は実現したのか

 本来,地球市民益志向のNGOと利潤追求の企業や国益前提の政府とは,親和性が低い。水と油とも言える。それがなぜ20年も前に対等なパートナーシップのもとの連携という〝奇跡〟が起きたのだろうか。なぜJPF構想は絵に描いた餅に終わらなかったのだろうか。いくつかの幸運な偶然が重なったからだというのが筆者の見立てである。4点指摘したい。

 第1に,何よりNGO自身が連携に向けて動き出したことだ。JPF構想の実現に中核的役割を担ったのはPWJだった。当時からPWJは日本のNGOではほぼ唯一,UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のパートナーの資格を得て国際的な活動を展開していた。PWJの創始者で代表理事の大西健丞氏は,自ら銃弾飛び交う紛争地域の現場で陣頭指揮をとって多大な功績をあげ,イラクでは英雄視された。国内でも塩崎恭久,河野太郎はじめ若手の“国際派”国会議員らが「大西は国の宝」と賞賛し,エールを送った。大西氏の「日本のNGOはまだまだ弱体で個々では諸外国のNGOに太刀打ちできないが,チームになれば力を発揮できる。各方面の支援を得てその仕組みを作りたい」との強い熱意と突破力が各方面を突き動かした。

 第2は,当時の援助分野をめぐる国際情勢である。ODA大国日本(リーディング・ドナー)が円借など経済開発型援助の量的拡大路線からの転機期を迎えつつあるなか,国際的にはイラク難民,コソボ紛争などへの対応として人権擁護や民主化支援など所謂「人間の安全保障」という概念が援助の重要な要素となりつつあった。JPFは,まさにそうした世界の援助潮流の変化に呼応する構想となった。

 第3は,経済界の意識変化である。特にグローバル企業の間ではNGOの活動に対する関心と理解が徐々に浸透し,社内に社会貢献(後年の用語ではCSR,,SDGs等)の専門部署を設置するようになりつつあった。ただし,単独でNGOと具体的な関係を構築するところまで踏み切れる企業は少なかった。そもそも企業側からすれば,知名度も低く弱小なNGO群のなかでどれが信頼に足る相手なのかといった十分な情報を持ち合わせておらず,総論ではNGOの意義は認識できても各論としてはまだ躊躇する傾向が強かったのである。NGO側からは,有名企業の社会貢献室に面会を申し込んでもなかなかアポがとれない,との声をよく耳にした。こうした実情が,JPF構想に共感した経団連を通じた呼びかけに多数の日本を代表する大企業が応じ,参画することになった背景である。いわば経団連がJPFにお墨付きを与えたのである。また,メディア,とりわけ企業人に馴染み深い日経新聞が一貫して好意的な報道を続け,経済界でJPFの知名度が高まったことも追い風であった。

 第4に政府の援助関連当局の理解である。当時から外務省経済協力局(現国際協力局)はNGO重視の姿勢を打ち出していたのだが,決定打は大蔵省(現在の財務省)の異色の担当主計官(後にニュースキャスターに転身)による英断であった。同主計官は「JICA等の〝官〟が行うより低コストで効率的,効果的な援助が〝民〟でできることがあるなら,ODA予算をつけてもよい。ただし,条件として,税金を使う以上,透明性と説明責任の担保された組織作りをして欲しい」旨明言し,無償協力予算から数億円をマネープールとしてJPFの活動にイヤーマークすることを認めたのである。ODA予算の運用について単年度主義,機動性欠如等の硬直性が長年にわたり批判されていたことに鑑みれば,これはまさにbreakthroughだった。

JPF活動は未だ道半ば

 冒頭に記したようにJPFは20年間にわたる支援活動を通じて国際的に高い評価を得るとともに援助の世界で日本のプレゼンスを示してきたが,設立当初の崇高な理念とミッションを遂行するには,まだまだ道半ばである。残りの紙幅で克服すべき課題として3点のみ指摘しておきたい。

 まず第1に民間からの資金集めである。設立以来,紆余曲折はあったものの外務省内におけるJPFの認知度は徐々に高まり,この数年間はODA予算から毎年50~60億円供与されてきた。だが,ここにきてコロナ禍で2020年度は激減している。同じ海外支援でも市場開拓に繋がる経済開発分野ではなく,緊急人道支援を担うJPFに積極的に資金提供する企業を見出すのは決して簡単ではない。現在,JPFでは企業,個人の両面で民間からの戦略的なファンドレイジングに着手しているようであり,成果を期待したい。

 第2はJPF加盟NGO同士の連携強化と各NGOの力量の向上である。現在40余りのNGOがJPFに加盟しているが,規模や実績にはかなりばらつきがある。また,現場におけるオペレーションでは分散,重複があるとの外部監査の指摘もあり,設立当初の狙いであるワンチームとしての活動が必ずしも十分ではないようだ。

 最後にJPFのガバナンス強化である。理事会や各種委員会は経済界,官界,学界等の出身者で構成されているが,全て非常勤のボランティアであり,日常的に様々な重要業務を担っているのは,援助分野のプロ集団たる事務局である。如何なる非営利組織においても事務局の基本は〝たかが事務局,されど事務局〟であるべきというのが筆者の持論だ。JPFが国際競争力をさらに高め,国際援助社会で光を放ち続けるためには,事務局機能のさらなる強化が不可欠である。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1917.html)

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