世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1887
世界経済評論IMPACT No.1887

タイ反政府運動における王制批判

山本博史

(神奈川大学経済学部 教授)

2020.09.21

 今年2月に始まった反政府運動の熱気を本サイトのNo.1652「タイ,革命前夜の新局面か」(3月9日付)で紹介した。タイの国内政治が再び動き始めた。7月中旬から再度熱を帯び始めた反独裁運動を2014年のクーデターから簡単に振り返り,なぜ王制改革が俎上に上がるか考察したい。

 プラユット陸軍司令官が2014年5月クーデターを行い,10か月の戒厳令施行後,暫定憲法を起草した。クーデターの成否は国王の承認にかかっており,立憲王制の枠組みを超えるタイ王制の問題が見える。独裁を支えた暫定憲法44条は司法,立法,行政すべてに優先する超法規的な条文であり,反対派を徹底的に抑え込む統治が可能であった。クーデター政権は2017年4月に憲法を制定したが,44条は内閣発足の2019年7月まで法的効力をもち,超法規的独裁を可能にした。

 プラユット首相は選挙を可能な限り引き延ばし,実にクーデターからほぼ5年を経た2019年3月総選挙を実施することで形式的には民政復帰となった。2017年憲法では5年間の経過措置として軍政が任命した上院250名が首相指名権をもち,下院500名の4分の1の民選議員を獲得すれば政権樹立が可能である。選挙の公平性も問題であった。当初野党の下院議席は過半数を超え組閣の可能性もあり,政権に加わりたい中間派の政党は態度を決めかねていた。軍政側が任命した選管は少しでも法律解釈の余地があれば,軍政に有利な判定を出し続けた。反軍政党の議席を減少させ,軍政が新たに結党した国民国家の力党の議席を増やす努力が続けられた。クーデター政権の意図を酌んだ憲法裁判所の牽強付会ともいえる新未来党の解党は,新未来党が若者の強固な支持を受け,彼らが希望を託した新党であったことから,学生による反政府運動に直結した。2020年2月21日の解党の翌日から全国の大学で反軍反独裁の抗議活動が広範囲に展開された。しかし,クーデター政権は新型コロナ感染を防ぐため,3月26日非常事態令を発布した。この法律により強力なロックダウンが実施された。集会は禁止され,反政府運動は不可能となった。学生側にも新型コロナを拡散させる懸念から運動を自重した感があり,反政府運動は気勢がそがれた形で一時期停滞しているように見えた。

 5月末には外国から帰国した人を除きほぼコロナ感染者がみられなくなった。学生たちは再度動き始めた。活動再開の契機を6月の亡命民主主義活動家のカンボジアでの「失踪」に帰する意見もある。この数年ラオスなどの亡命先で不敬罪や軍事政権から逃れた活動家が殺害あるいは失踪している。7月18日解放青年(ヤワチョン・プロード・エーク)という学生主体の団体が,民主記念塔で憲法改正,国会解散,国民への脅迫の禁止などを求めて集会を開催した。以来今日まで全国で反政府集会が開かれているが,特に注目されるのは,8月3日の人権派弁護士として知られるアーノン・ナムパーの民主記念塔での演説であった。国民主権の立憲王政から逸脱した王制の権力行使を批判した。反政府運動であっても大衆の面前で王制批判を行う論客はいなかった。タイ社会では王制批判はもっぱら蔭で話され,刑法112条の不敬罪も王室批判を許さない大きな重しとなっていた。この時のアーノン弁護士の演説はタイにおける言説空間の天井を破ることになった。以後の反政府集会は王制改革を主張に盛り込むようになっていく。8月10日ランシットのタマサート大学での集会(4千名を集めたと伝えられた)では学生たちは王制改革の10項目を掲げた。8月16日,学生らによる反政府集会が開催され,数万の人々が参加し,民主記念塔周辺は集まった人々で溢れた。この集会でも王制改革を求める演説があった。

 軍による独裁が成り立つ大きな要素として王制がある。タイの国家原理はラックタイと呼ばれ,民族・宗教(仏教)・国王である。クーデターは国王が認めることで,憲法の規定を超越し正当化される。独裁批判が王政改革へ向かう必然があるが,これまで論議されることはなく,触れてはならない論題であった。

 8月10日の10項目は以下のような内容であった。①憲法6条が禁じる国王への訴訟権の容認,②刑法112条の不敬罪廃止,③2018年王室財産法(公共財的な色彩があった王室財産が国王の私有財産へと変更された)の廃止,④王室予算配分を経済情勢に適した規模に削減,⑤国王に使える官僚制の職務明確化,国王直属軍や枢密院の廃止,⑥王室への献金の廃止,⑦国王の政治への意見表明権廃止,⑧教育制度における一方的で過度の王制抑揚神格化広報廃止,⑨王制批判関係事件の死者や行方不明者の調査,⑩クーデターの国王承認の禁止。詳しく説明できないが,この主張を王党派は大胆で屈辱的であると受け取っている。

 2006年クーデターの14周年9月19日,大規模集会が予定されるなか,クーデター,首相辞任による挙国一致内閣,戒厳令などいろいろな情報が流布されている。ルビコン川を越えたタイ政治は大きな変革に直面するかもしれない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1887.html)

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