世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3661
世界経済評論IMPACT No.3661

タクシン復権とタイ政治

山本博史

(神奈川大学 名誉教授)

2024.12.16

はじめに

 タクシンは2006年9月のクーデターで政権を追われ,長らく海外逃亡生活を送っていたが,2023年8月22日に帰国した。帰国すると最高裁に出頭し刑務所に収監された。収監された日の深夜に体調不良を訴え警察病院での「治療」が許されることとなった。8月31日に恩赦を申請し,国王はその能力や知見を国家に役立てるとの理由で,8年の刑期を1年に短縮した。その後は警察病院に滞在したことになっていたが,病院外で静養しているとの噂もまことしやかに囁かれていた。2024年2月18日仮釈放が認められた。7月28日の国王誕生日恩赦対象者となり,8月18日正式に刑期は終了した。

 2006年のクーデター後タクシン派は2023年の選挙で第2党になるまで国政選挙では第1党であったが,保守派によって政権を転覆され続けた。今回タクシン派が保守派と連合政権を樹立し,タイの政治は新局面に突入した。その背景は何であろうか。そこにはタイ社会の構造変化を反映した国民意識の変容により,保守派の地盤が衰退しつつあるタイ政治の現状がある。国民の政治意識(言説空間)が変わったことで,新未来党とその後継政党前進党,国民党が,保守派にとってタクシン派にまさる新たな脅威として台頭しているのが,今日のタイ社会である。

新未来党→前進党→国民党

 前進党の躍進がタイ貢献党と保守派による政権樹立をもたらした。その経緯を見てみよう。新党であった新未来党は2019年3月の総選挙で81議席と大躍進したが,憲法裁により解党された。同党の首脳部16名(国会議員11人)は10年間被選挙権をはく奪された。残された新未来党国会議員の多くはピター新党首のもと前進党を結成し,国会内で野党として活発な活動を続けた。野党であるにもかかわらず構造改革を訴え高い評価を勝ち取ったことは,これまでのタイ憲政史上にないことであった。2023年5月の総選挙で前進党は当初の貢献党圧勝との予想を覆し,議席を倍増させ151議席で第1党となった。保守派は政権参加を模索し,再度憲法裁判所を盟主とする司法主導政治(世界経済評論Impact No.3155参照)を行い,前進党主導の政権構想潰しに乗り出した。クーデター勢力により任命された上院250名が首相指名権を任期末の2024年5月までもっており,彼らの大多数は保守派の意向に従うため,下院のみで首相を指名するには,500議席のうち376議席以上が必要であった。改革派8政党は312議席であったため,上院と連立外の下院から64議席の支持が必要であった。改革派8政党は前進党党首ピターを首相候補とし7月13日1回目の首相指名投票に臨んだが,上院250名のうち13名の支持を獲得したにとどまり,過半数には達しなかった。2回目の首相指名は7月19日であったが,国会の規定,一事不再議にあたるとの動議が提出され,可決されたため,ピターは候補者になれなかった。この動議には憲法違反との訴えがなされたが,憲法裁は結局この判決を当事者が利害関係者ではないと取り上げなかった。多くの法学者はこの動議が憲法違反と判断している。第2党タイ貢献党が多数派工作を行うが難航し当初成功しなかった。保守派が前進党の入った与党構想を拒否したからである。貢献党は保守派政党との連携を模索し始める。タクシンの帰国と関連して貢献党が親軍政党である国民国家の力党と組むという噂は総選挙の前からあった。総選挙前の5月5日から7日にかけて,国王の側近アピラット元陸軍司令官とチャルームポン国軍最高司令官がマレーシアのランカウィー島でタクシンと交渉したとの情報がある。当人は否定しているが,タクシンの帰国に関する条件が話し合われたのであろう。このような動向から,タイ貢献党の前進党との連立政権構想は茶番だったとする見解すらあった。

 タイ貢献党は2023年8月21日,親軍派を含む11政党から成る連立を結成した。貢献党は前進党を連立から排除したことで上院の支持も取り付けた。タクシンが帰国した8月22日は,貢献党の首相候補者セターが首相指名を勝ち取った日であった。保守派にとってのタクシンの役割は,タイ社会の構造改革を掲げる前進党政権を阻止することであった。タクシン派は保守層が握っている軍(クーデター),司法,行政組織などにより何度も潰されてきたが,選挙で勝ち続けてきた。都市下層や農村部の人々へ行った再分配政策の実績により強固な支持があったからである。タクシンの選択はこれらの人々への裏切りととらえる旧支持層も多い。そのため貢献党の保守派との連立は一部の赤シャツの貢献党離れを誘発し,内部分裂を引き起こしている。一方,貢献党には長らく政権から遠ざかり,選挙基盤を維持するためにも与党の権益に与りたい事情があった。

前進党解党とセター政権転覆

 タイ貢献党を取り込み政権に参加した保守派は前進党潰しに邁進した。前進党は2023年5月の総選挙で,金銭をほとんど使わない選挙活動にもかかわらず,体制変革を掲げ151議席を獲得し第1党となった。その革新性が保守派にとっては脅威であった。2024年1月末憲法裁は,不敬罪改正を訴えた選挙公約や選挙活動に関し,国家転覆罪の裁定を下した。この判決を受けて選挙管理委員会は前進党解党の審議を憲法裁に求めた。この裁判が2024年8月7日に結審し,大方の予想通り前進党は解党された。前進党の解職されなかった議員143名は全員がナッタポンを党首に国民党(プラチャーチョン)を結党した。新未来党の解党時は65名の議員のうち55名のみが前進党に転籍したのと比べ結束の固さを誇っている。前進党に移籍しなかった議員は多額の移籍料を保守政党から受け取ったようであるが,2023年3月選挙で全員落選した。欧米の政府は前進党解党裁定を非難した。特に米国は国務省が民主主義を破壊する暴挙との声明を出した。さらに1月末の憲法裁判断を受け,2021年不敬罪の改正案を提出した前進党議員44名に対し,倫理規範違反(本コラム No.3155参照)での訴訟が進行中である。これらの議員に対する被選挙権の剥奪が懸念されている。

 政治化する憲法裁判決は倫理規範違反を任命権者にまで拡大適用する暴挙に踏み込んだ。2023年8月22日に首相指名に勝利したセター政権は2024年8月14日に憲法裁判所によって終焉した。セターが4月の内閣改造で入閣資格のないピチット(タクシン一族と親しい元弁護士)を閣僚に任命したことが罪に問われた。憲法裁はセターに対し倫理規範違反との判決を下した。この首相解任劇は倫理規定違反が保守派による改革派潰しの新たな道具となったことを示している。倫理というあいまいな価値基準を恣意的に判断することで首相であっても罷免できることとなった。上院の首相指名権は2024年5月に失われているので,タイ貢献党が前進党と組めば改革派の政権奪取が可能である。そのため今回の首相解任劇は保守派が懸念するタイ貢献党の前進党との連携を抑止する意図があったのかもしれない。

 セターの失職を受け8月16日首相指名投票が行われタクシンの次女ペートーンターン・チナワットが首相に指名された。18日国王承認,任命により正式に首相に就任し,タイ国政史上最年少の首相となった。ぺートーンターンはまだ37歳と若く名門チュラーロンコーン大政治学部を卒業している。タクシン一族4人目の首相であり,他の3人はいずれも保守派によってクーデターと憲法裁で首相の座を追われている。

おわりに

 「国王を元首とする民主主義体制」を脅かすとしてタクシン派を権力の座から排除し続けた保守派は今回,タクシン派との連携にかじを切った。タイ貢献党は保守派と連携する見返りとして政権をとることができた。しかし保守派は貢献党の支配者であるタクシンを信頼していないようである。2024年5月首相任命権をもっていた前上院の任期が切れると,タクシンへの不敬罪訴追が始まった。現行は下院のみが首相指名権をもつため,貢献党が民主派政党と組むことを阻止する予防策であろう。つまり,貢献党が改革派政党と組めば,タクシンに実刑判決がくだり投獄されることを暗示している。新未来党,その後継政党前進党,多くの国民の支持を受けた政党が安易に解党されている。2017年憲法により強化された憲法裁など独立機関(前掲No.3155参照)による司法主導政治の暴走が止まらない。旧前進党44名の議員免職と被選挙権はく奪が起こったとしても,次の選挙でも国民党の優位は覆らないであろう。新未来党の党首で罷免され被選挙権を停止されているタナートーンは次の選挙では単独政権を目指し270議席を目標にすると言っている。民主派勢力は何度潰されても不死鳥のようによみがえってきた。復活を可能にするのは,保守派が国民を敵としているからである。どのような権力であれ国民を敵とした戦いは長い目で見れば勝利することはできない。タイ社会の社会構造変化に従って,国民の政治的覚醒はますます高まっている。新未来党,前進党,国民党には旧来の社会構造を変革する意思をもった人材が集結している。時代が人を創っている。権力層による理不尽な抑圧は最終的には敗北を免れないであろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3661.html)

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