世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ホスピタリティ産業化に活路を見出す「金融産業」:「金融老年学」の示唆と「4つの自由」の実現へ
(桜美林大学院 教授)
2020.01.20
平成時代の約30年(1989~2019)を振り返ると,日本の金融環境は,総じて
- (1)本邦のバブル経済崩壊(1990年)と,米国リーマンショック(2008年)という,深刻な内外の金融危機に直面し,
- (2)金融危機が引き起こした,直接・間接のダメージや負の遺産は非常に大きく,実体経済は低迷し,デフレ基調と低成長が長期化し,
- (3)(1),(2)に対応して金融政策は,超低金利と量的緩和を両輪とした,非伝統的→異次元的な金融緩和で,同時に「金融抑圧的」な施策の実施に,踏み込まざるを得なかった。
こうした環境下,現在の金融機関とくに銀行は,a. 利ザヤ縮小が継続し,b. 企業部門への資金運用難が持続し,c. 各行の日銀当座預金に対するマイナス金利適用による収益悪化,d. カードローンをめぐるトラブル,賃貸不動産融資を巡る不祥事多発,といった逆風に悩まされている。さらには2015年前後から登場した内外ベンチャー企業による「FinTech」が,キャッシュレス決済をはじめ,さまざまな金融ビジネスモデルの「ICT化」を推進しつつあり,金融業界は,日本版金融ビッグバン(96~2001年)以来の大きな節目を迎えている。
こうしたなかで,日本の家計部門における金融資産については,平成年間を通じて,
- 1.現金・預金のシェアが約50%超(900兆円超)と非常に高く,バブル経済の崩壊により一段と高まった家計のリスク回避傾向が強いままで推移し,長期的に資産を増大させていく,「投資マインド」が地道に醸成されたとはいえなかった,
- 2.平成時代を通じ家計の可処分所得が停滞したことに加えて,経済のグローバル化を追い風に成長を遂げてきた世界の他地域の資産保有や,ジャンル・銘柄・時間の分散などによる,ポートフォリオ投資が十分に構築されず,運用成果面で米国等先進国に水をあけられ,
- 3.一方で,FXや仮想通貨など不確実性が高く,さらにはその他不透明度の高い金融商品や不動産投資に資金が投入され,トラブルや投資詐欺が繰り返されており,
- 4.ゼロ金利政策により金利の果たすべき「価格」形成機能がマヒしていく一方,マネーの量的拡大が図られたが,家計の金融資産増大への効果は乏しかった。しかも「貯蓄から投資」の掛け声が先行するも,(最近になりようやく一連の投資優遇策-NISA制度―が実現したが)家計の資産形成を積極的・効果的に支援する施策に乏しかった,こともあって,日本の家計-就中,資産保有の大宗を占める高齢者層が,資産運用において平成年間では低調な成果しか挙げられなかった,といえよう。
これは,「人生100年時代」と称される超高齢化時代に向けて,日本の高齢者層,そして高齢者層を顧客とする金融業界にとって,重い「現実」,将来の課題といわざるをえない。
金融庁が2018年に公表した「高齢社会における金融サービスのあり方〔中間的とりまとめ〕」によれば,高齢社会の現状(①長寿化進展,②金融資産の伸び悩み,③資産の高齢化)では,さまざまな金融面でのリスク(①資産寿命が生命寿命に届かない,②老後不安による過度な節約,③地方から都市部への資産の流出の加速,④家計の資産構成の硬直化)などが顕在化している。そして「高齢者が安心して資産の有効活用を行うための環境整備」を検討していくために,金融老年学(フィナンシャル・ジェロントロジー)の進展を踏まえたきめ細かい高齢投資家保護,を重視している。
ここで「金融老年学」とは,行動経済学を基礎に置き,「老年学,脳・神経科学,認知科学における豊富な研究蓄積を,資産選択,運用,管理に活用する学問」(駒村康平慶応義塾大学教授,季刊「個人金融」2019年夏参照)であり,2019年に慶応大学・大手金融機関を中心に「日本金融ジェロントロジー協会」が発足している。
現在の「金融老年学」の知見によれば,高齢者については,
- a.認知・判断機能の低下による資産管理・運用能力の衰えやバイアスの増大
- b.金融リテラシー〔理解度〕能力の低下
- c.平均寿命と資産寿命とのミスマッチ
- d.資産の高齢化進行と,高齢者資産の効率的な運用・取り崩し方の必要性
等が指摘され,これに対応した金融市場・商品・(金融機関や行政による)保護/サポート体制が必要,とされている。
一方で,人生100年時代の金融を考える場合,高齢者にとって健康長寿なマネーライフ(お金との賢い付き合い)を実現していくためには,「資産の運用(管理)」面だけでなく,以下4つの自由ができる限り担保されることが肝要である。またこれは高齢者の金融行動における「危機予防・危機管理」の観点からも大きな意味を持つと考えられる。すなわち
- ①「争族(相続)」からの自由
- ②「詐欺(振り込め・なりすまし)」からの自由
- ③「IT難民」からの自由
- ④「資産(同時に負担ともなる資産(不動産等))からの自由
である。
①では,遺産分割を巡る争いやトラブルの件数が,平成年間で増加傾向をたどっている(2017年家庭裁判所の審判・調停件数は約13000件にのぼり,とくに相続財産5000万円以下の事例が多い)。またその原因として,生前の被相続人介護者の貢献を巡る評価や,離婚を経た複雑な家族関係などがからむ事例が増えており,多くの高齢者にとってもはや他人事とはいえない問題である。
②は,「特殊詐欺」と総称されるが,とくに高齢者の現預金が狙われている。2018年度の被害件数16,496件,被害額364億円にのぼり,内訳は「(所謂)オレオレ詐欺」9,145件,「架空請求詐欺」4,844件,「還付金詐欺」1,904件等で,対象はキャッシュカード5,824件,現金4,367件となっている。犯罪手口は様々に変化しているが,高齢者に認知・認識の錯誤を生じさせ,現預金を奪うという重大な金融犯罪といえよう。
③は,スマホやネットによる行動に慣れている若年層(主にミレニアル世代)であれば歓迎し,順応するであろうFinTechに,高齢者が今後どう対応していくか(いけるのか),高齢者金融サービスにおけるミスマッチは生じないのか? の問題である。
金融老年学が指摘する高齢者の認知能力や金融リテラシー力の衰えを,ICT化がカバーしていく方向に金融サービスが発展するのか,それともデジタル難民が増大してしまうのか,が問われよう。
④では,最近時空き家問題としてクローズアップされている「負[不]動産」の問題である。
負動産とは,高齢者にとって,相続処理での重荷(相続財産の約7割は,評価/処分が難しい不動産が占める)に留まらず,マイナス・キャッシュフローの負担が生じるからである。すなわち高齢者のキャッシュ・イン(主に年金)に対して,居住不動産はa税金[固定資産税他],b各種ランニングコスト(光熱費・管理費),c修繕・維持メンテナンス費用 d保険料 e設備更新費用,などの費用が確実に生じる。そして相続の面からは,少子化時代,相続人(子)不在,法定相続人(遠い親戚)の相続放棄(2018年は約21万件と,1989年4万件比著増)などが,主に地方を中心に「空き家」を増大させている。
さてこうした,a.高齢者社会の現状,及びそのニーズ,そして,b.今後若年層を中心にFinTechの浸透とビジネスモデルの革新,さらには当面・今後も続くと推定される,c.厳しい外部環境(超低金利・金融緩和,ディスインフレの持続)は,日本の金融業界に大きな構造変化をもたらしつつある。
これまできめ細かいサービスと多くの品揃えを提供してきた日本の「金融業界」であるが,従来のスタンダードな金融サービスが,FinTechなどによってICT化していくなかで,高齢者層(金融老年学が指摘するように,認知能力の衰えなど様々な問題を抱えているが,金融資産の主たる保有者でもある)の個々のケース・ニーズに,プロとして対応(相談・助言・コンサル・信託)する形の「ホスピタリティ」産業化していく,という動きが進行中である。
課題として,リスクに慎重な日本の家計は,サービスの対価を払うことにも消極的という実情があるが,新たなビジネスモデルなどで,どう打開していくかが問われよう。
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