世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1560

トランジスターラジオと牛肉

小浜裕久

(静岡県立大学 名誉教授)

2019.12.02

 ここのコラムで「小説であれ歴史書であれノンフィクションであれ本を読まないとドナルドおじさんみたいになっちゃうぞ」と書いた(「ポピュリズム・権威主義と民度」2019年9月9日)。受験勉強の弊害か,本を読んで知識を蓄積すればそれでいいと誤解する向きがあるかも知れない。でも知識は必要条件。個人であれ国であれ国際政治であれ,直面する諸問題は千差万別。本を読むということは,自分の経験だけでは知ることが出来ない人間の営みや争い事,政治の綾や戦争の収め方を自分の頭で考えるためのよすがなのだ。

 自分ではいたってまともな考え方の人間だと思っているが(異論がある友人が多いか少ないかは知らない),どうも受験勉強は嫌いだった。高校受験のための勉強など2か月くらいしかやらなかった。まあ,大学に入ったら勉強しようかなとは思っていたが。

 筆者は,結構長く大学で教えていたが,大学生のことを知らないのかもしれない。全国大学生活協同組合連合会の「第54回学生生活実態調査」によれば,大学生の48%は本を読まないらしい(一日の読書時間0分)。どうしてそれで進級・卒業出来るのだろうか。筆者の学部のゼミは,「毎回日本語なら1冊,英文教材なら100頁予習のこと」とシラバスに書いた。でも残念ながらというべきかどうか,ゼミ生がゼロになったことはない。『日本経済新聞』の春秋子は「文化庁が16歳以上の約2千人から回答を得た調査によれば,電子書籍も含め,1カ月に1冊も本を読まない人が約半数にのぼったという。たぶん1年に1冊も,という人だって少なくはないだろう」と書いている(2019年11月5日)。教師も楽をし,学生もさぼり,大人もゲームにうつつを抜かし,日本も没落していくのだろうか。

 平和が長く続き,豊かになりすぎたのだろうか。日本が発展途上国経済を脱して先進国になったのは1960年ころだと思う(『戦後日本経済の50年』「序章」参照)。日本の貿易収支が黒字基調に転じたのは1960年代半ばのことである。

 1962年11月だったろうか,池田首相がヨーロッパ歴訪に際し,小さなトランジスターラジオをお土産に持って行って,売り込みを図った。フランスのドゴール大統領は,「池田はトランジスターラジオのセールスマンなのか」と言ったとか言わなかったとか。

 一方,今年(2019年)9月25日,ニューヨークでトランプ米大統領は安倍首相と日米貿易協定に最終合意した。その首脳会談の途中,ドナルドおじさん,カウボーイハットをかぶった農業団体の代表らを招き入れ,「みんなうれしいだろう。多くのカネが入ってくる」と彼らに言ったと報道されている(「最終合意に「ルビコン」で乾杯 日米貿易協定の舞台裏」『日本経済新聞(電子版)』2019年9月30日)。「牛肉のセールスマン」の面目躍如。個々の農場主や商店主が目先の金銭的利益を追求するのは,資本主義である以上当然のことだ。

 ドナルドおじさん,何しろトランプ商店の親爺の発想だからバランスシートの黒字こそ「善」。貿易収支も黒字大好き,ひょっとすると,すべての二国間貿易収支を黒字にすることが,「アメリカを偉大な国」にすると考えているのかも知れない。短期的に自分だけ,自国だけよければいいと言いつつ,尊敬されたいとも言う。筆者には理解不能な頭脳構造だ。

 どこの国であれ,大統領や総理大臣は自国産品の売り込みに熱心だ。発展途上国であれ,新興国であれ,一定期間自国産業を保護して国際市場で競争できるようになるまで育成しようとするのは,政治的にも経済学としても理解出来る。1960年代初めの日本経済の発展段階は,今風に言えば「新興国のフロントランナー」であった。

 しかし,今のアメリカは,新興国ではない。たしかにパクス・アメリカーナの時代は過ぎ去り,オバマ前大統領も,「もはやアメリカは世界の警察官の役割を果たすことが出来ない」と言っていた。オバマは,パクス・アメリカーナの時代を取り戻す力はアメリカにはもうない,という思いでそう言ったと思う。

 でもドナルドおじさんの仕掛ける貿易戦争は重商主義的政策であり,時にマッチポンプまである。例えば,今年6月の対メキシコ関税見送りなど典型例だろう。お堅いNHKの解説委員が「マッチポンプと言っては言いすぎでしょうか」と言っていたので,少しNHKを見直した。保護政策を長く続けて経済が強くなることはない。トランプ大統領は,アメリカ経済没落の引き金を引いた大統領として,人々に記憶されるだろう。

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