世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1475

あれもできる,これもできる,何もできない

鶴岡秀志

(信州大学先鋭研究所 特任教授)

2019.09.09

 多くの研究開発成果発表が「あれもできる,これもできる」と応用出口を掲げるが,実際に10年以内に商業化へ至ることは稀である。役所も自分達に責任が及ばないように研究者に出口案を求めるので,厳しく「失敗」という評価をしないまま数十年が経過している。「それを言っちゃおしまいよ!」と言われそうだが,これが我が国の科学技術研究の現実である。

 戦後の高度成長時代は,米国や欧州の技術を土台にして低コスト高品質を追い求める問題解決型の研究開発を実行していれば良かった。ところがバブル崩壊以降,政府を始めとしてマスコミ文化人や評論家がゼロからイチを創造することを奨励した(囃した?)ので,奇抜な発想を追い求めるようになってしまった。真逆の例もある。平成の前半に行われた「ニューサンシャイン計画『細菌・藻類等利用二酸化炭素固定化,有効利用技術研究』」は,21世紀に入って米国の微細藻類からのバイオ燃料開発や将来の食料不足対策の基礎として活用されている優れた微細藻類研究である(ドイツは戦前に微細藻類で食料不足を解決する計画を持っていた)。地味ではあるが欧米の評価は高く,表題から明らかなように出口が定まっていた。

 問題解決型研究が廃れたことは,セレンディピティの名の下に大学の学部名から具体的名称が消えて「環境〇〇」「創造◯◯」のような漠とした名前が増えたことでも判る。国の指針により「目指せノーベル賞!」として創造性を推奨されるので,研究者にとって「何に使うのか」は二の次である。商業化に必要なサプライチェーンは事業者が検討すれば良いという建て付けである。研究成果報告では可能性を並べてあるので,企業がそれを信じて実用化しようとすると技術の「死の谷」に直面して苦しむことになる。

 科学研究として筋が良くても頓挫することもある。

 フラーレンは炭素原子がサッカーボールの縫い目のように繋がった立体構造をもつ。日本の研究者が計算化学でその存在を証明したことから合成を試みる研究競争が始まった。米国NASAとRice大学が専用発電所付きの巨大な装置を作り,極々微量の合成に成功してノーベル化学賞に輝いた。この成果は科学の進歩に大きな寄与を果たしたが,分子の存在証明を目指した研究だったので応用は後付になった。「大量」合成方法が開発されたものの大半が煤なので,独特の立体構造を壊さずに精製することが容易ではなく,高価な製造コストに見合う用途分野を見つけることは容易でなかった。大手商社と化学メーカーが非常な努力を重ね,フラーレンの販売にこぎつけた。ところが,実際に合成された粉末を使用してみると期待された物性が発現しないのである。添加剤としてプラスチックやセラミックに加えるとスーパー材料が得られると言われたが,これも駄目。結局,大規模に工業化されたものは無い。

 フラーレンの失敗から学ぶこと。第一に,応用目的は後付であったこと。理論計算で導かれたものを実際に合成したところまでは素晴らしかったが,煤の粉は予想された性質とは程遠かった。科学者は分子1個の物性から応用の可能性を語るが,マクロな世界では殆どの可能性は否定されてしまった。第二に,生成した煤の中のフラーレン純度が極めて低く精製コストが膨大という点である。第三に,合成装置と生成プロセスに多額の費用がかかったので,マネージメントは開発担当者に「なんとかしろ」と無茶な圧力をかけた事である。単に合成だけの問題ではなく,製品として世に出すには,貯蔵安定性,輸送方法,工場での取り扱い,分析方法,各工程での品質管理,更に毒性評価というお金のかかる問題がのしかかる。

 結局,フラーレンに限らず新規なナノ材料は,合成してみたものの使いみちが見いだせず,開発担当者らがあちこちに聞きに廻るという如何ともし難い状況に陥ってしまうことが多々起こった。ある大手企業が競合を含めた他社を内々に集めて「応用提案お願い会」を行ったこともあった。このケースの場合,研究者は有名な方で政府の科学関係会議等の委員を務められていたが,足元で所属企業が苦境に陥っていたことを知らなかったと言われている。流行,科学者の競争,乗り遅れまいとするマネージメントの焦りから出口目標を定めず走った研究開発は屍累々の結果が多く,企業が我が国研究者を信用しない一因となっている。

 ITを含めて米国は未だに問題解決型のアプローチが主流である。米国の主要学会はたいてい展示会が併設されていて,企業のニーズ説明を集めたセッションが数多く催される。また,企業と大学・研究所の人的ローテーションも普通に行われるので,解決すべき問題が,常時キャンパスに持ち込まれる。もちろん,解決したら表彰モノというものが数多く含まれる。ところが我が国は大学と産業界の人的ローテンションに乏しく,大学と産業界の交流は学会レセプションか夜の宴会に託されているので企業のニーズがキャンパスに届かない。学術の世界でチャレンジ精神は讃えられるべきであるが,論文目当ての研究に偏ると次第に産業力が低下する。科学技術開発は成功の何十倍も失敗例が存在するがほとんど論文として表に出てこない。講座制がなくなったので過去から現在への研究引き継ぎが乏しくなり,中堅若手の研究者が昔の蒸し返しに手をつける例が散見される。また,これを評価するベテラン教員・評価委員がいるので呆れるだけである。

 「あれもできる,これもできる」というシーズ側の宣伝ではなく,以前にも記したが米国のTechConnectのようなユーザー側が示す「寄ってらっしゃい見てらっしゃい」的出口ニーズのConferenceを行うことが,科学技術再興のてっとり早い解決策と思うがいかがだろうか。せっかく防衛施設庁がニーズを掲げて研究予算を公募しても,軍事嫌いが先に出てしまっている状況は,我国の安全保障を考える上からも情けない話である。「なにもできない」研究の繰り返しにピリオドを打つ時である。

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