世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1397
世界経済評論IMPACT No.1397

覇権の推移から見るアメリカの中国叩き

三輪晴治

((株)エアノス・ジャパン 代表取締役)

2019.07.01

覇権争い

 近代資本主義社会の歴史は,大国の覇権争いの歴史でもあった。その中で覇権国は,新興国が発展してその覇権の座を侵しそうになるとそれを叩く。覇権国の座を巡り,経済の争いだけでなく,独立戦争や本当の殺し合いの戦争が起こる。これをある人は「ツキジデスの罠」と名付けた。

 筆者は,1981年から5年間アメリカに住み,日本企業がアメリカ市場でどんどんビジネスを拡大し,それに対してアメリカが巻き返しをしようとする動きを見た。1988年に『アメリカの底力』という本を書き,「もはやアメリカから学ぶものなし」と豪語していた日本の産業界に,アメリカが日本に逆襲してくると警告をした。日本は,1969年アメリカに次ぐ第二の経済大国になって,1979年にエズラ・ボーゲル氏が書いた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉に酔いしれ,ソニーの盛田昭夫氏が「安くて良い商品を販売してどこが悪い」と言い,石原慎太郎氏と盛田氏が『「NO」と言える日本』という本を書いてから,残念ながら私の警告の通りになり,アメリカは日本に逆襲してきた。半導体戦争,自動車貿易戦争が起こった。アメリカは,スーパー301条,日米構造協議,年次改善要望書などあらゆる理由をつけて日本産業を叩いてきて,日本半導体産業と家電産業を壊滅させてしまった。アメリカは日本の自動車産業も叩いてきたが,トヨタが咄嗟にアメリカに11の工場をつくり50万人以上の雇用を創って,なんとかアメリカの逆襲をかわした。だがそれ以来日本産業は衰退し,そして日本経済は1998年以降デフレに陥り,GDPはゼロ成長という不振が続いている。

アメリカの中国叩き

 中国は,鄧小平が1978年に打ち立てた「改革開放政策」で先進国の資本と技術を呼び込み「世界の工場」に乗り出し,急速に経済を拡大してきた。2010年には中国はGDPで日本を追い越し世界第二位の大国になった。鄧小平は「韜光養晦」という「才能を隠し,時期を待つ戦略」で,表向きはアメリカに対抗しない方針を出して旨くやってきた。

 ところが習近平になり「中国製造2025」を発表し,「アメリカを先端技術でも追い越し,かつての中華帝国の座を取り戻す」と習近平は宣言した。アメリカのトランプが中国を叩きはじめた。トランプは立て続けに法案:NDAA(国防権限法),FIRRMA(外国投資リスク審査現代化法),IEEPA(国際緊急経済権限法),ECRA(輸出管理改革法)を創り,中国を徹底的に叩いている。中国が民主主義国家になればそれでアメリカは満足するのではないようだ。

覇権国の推移

 近代資本主義における覇権国の推移を見てみよう。覇権国の座とは世界経済の発展をリードする国のポジションである。覇権国の座に着くのにどのような動きをしたのであろうか。

スペイン

 最初の世界の覇権国はスペインであったとされている。海洋国であったスペインは1492年イベリア半島を奪還する独立戦争により覇権国になった。スペインは,海洋国として新大陸を植民地化していったが,1545年植民地のぺルーのポトシで大銀山が発見され,膨大な銀を手にして大きな力をつけた。その銀で兵器,軍艦を買いまくり,グローバリズムで領土を拡大し,帝国を実現した。スペインの無敵艦隊の船もオランダ製であった。しかしそのために国内に自分の産業力を持つことはなかった。経済力をつけてきた新教の低地地方であるオランダをスペインは叩いたが,スペインはその銀が底をつくと覇権国座から落ちてしまった。

オランダ

 オランダはスペインの支配下にあったが,1568年にスペインに対して市民革命を起こし,1579年ユトレヒト同盟を結成して覇権国に座に着いた。オランダは,その低地の自然の強風を利用し,風力エネルギーを使った「のこぎり」を開発し,それを木材加工機にした。これまでの手作業の木材加工よりも加工精度が高く,高スピード加工となり,生産性が飛躍的上がった。この技術で,大航海時代に増大した木造船舶の製造をした。これがオランダの産業革命である。オランダは大航海時代の船舶の60割以上を持ち,これで世界の交易を展開し,支配した。この風力による機械は毛織物の加工や穀物の粉砕にも使われ,いろいろの産業を興し,経済力をつけた。

 しかしその後オランダは東インド会社をつくり,多くの船舶により世界の市場での貿易事業を進め,同時にアムステルダム銀行をつくり金融のセンターとなり,グローバル化に走った。従ってオランダではそれ以上の国内での産業革命は起こらず,内需の拡大にはならず,フランスとの戦争,イギリスとの戦争で疲弊し,衰退していった。

イギリス

 1642年イギリスで清教徒革命が起こり,クロムウェルが航海法をつくりオランダに挑戦した。イギリス経済は農業,牧畜であったが,蒸気機関をもとにした「産業革命」を起こし,近代資本主義経済を創り上げた。そして1815年フランスとのワーテルローの戦いに勝って覇権国になった。石炭エネルギーによるニューコメンが蒸気機関を発明し,アークライトが織機を発明して,鉄道産業,造船産業,繊維産業を興した。当時イギリス東インド会社は,イギリスの特産品の毛織物をアジアで売ろうとしたが,風土に合わず売れなかった。逆にインドの綿製品キャラコ衣料をヨーロッパで売り始め,これがブームになった。しかしこれで輸入が増大しイギリス経済は弱体化していった。そこでインドから綿花を輸入し,より生産性の高い繊維機械を開発して,インドのキャラコ衣料の国産化を始めた。手作りの方式に比べて生産性は300倍に跳ね上がり,イギリスの高い賃金でもこの生産方式でキャラコ衣料が安くできるようになった。インドから買っていた衣料を逆にイギリス製にしてインド,アジア市場に輸出し,大発展を遂げた。

 しかしやがてイギリスはグローバリズムに走り,イギリス海軍をバックにして船で世界の商品の交易に力を注ぐようになった。そして金融資本をベースにして外国を次々と植民地化して富を収奪していった。そのために国内産業の発展は停滞し,イギリス経済は弱体化していった。やむなくアメリカなどの植民地に大きな税金を徴収したり,インドのお茶をアメリカに高く売りつけ,国費を賄おうとしたが,これに対してアメリカが反発して英米戦争になった。

アメリカ

 イギリスで虐げられた人たちが「丘の上の町」を創るべくメイフラワー号に乗りアメリカ大陸に渡った。彼らはイギリスの産業革命とは違って,民衆が生活のために使う道具を創る事から始めた。ホイットニーの「精度と互換性技術」を基に,テーラーの「作業システム」により,生産性を飛躍的に上げるモノづくりを「マスプロダクションシステム」として開発した。最初は専門家や職人の道具を一般の人にも使えるよう単純化し,安く商品にして大衆に広めるというイノベーションを興した。南北戦争で使った小銃を安くできるようにしたし,金銭登録機,自転車,ガソリンエンジン,電気モーター,ミシン,タイプライターなどを次々と大衆商品にした。その最も偉大なものはヘンリー・フォードの「ModelT」であることはいうまでもない。このいろいろの新しい産業での仕事に,農民や,移民,開放された奴隷が従事するようになり,その人たちが消費者にもなった。このようにして自動車産業,石油化学産業,機械産業,家電産業,半導体産業などの近代産業を陸続と開発していき,「アバンダン社会」,「新しい高度大衆消費社会」を創った。こうしてアメリカは国力を飛躍的に強化し,アメリカ経済の黄金時代を創り上げた。

 しかし1980年ころからアメリカは新自由主義でグローバリズムに走りだし,世界の賃金の安いところに出ていき,産業の空洞化を起こし,アメリカの経済社会の構造を壊してしまった。儲かるのは国際金融資本と多国籍企業だけである。その結果1981年から所得格差が急速に悪化し,内需が下がり,アメリカ経済が衰退していった。1990年代にシリコンバレーでデジタル産業革命を起こしたが,あまり大きな職場を創らず,逆に格差を拡大している。覇権国としての世界の警察の役割もできなくなってきた。これをトランプが修正しようとしているが,一度産業が衰退すると回復は容易ではない。ここで頭角を現してきたのが中国であるが,アメリカは,ツキジデスの罠で,中国を叩き始めた。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1397.html)

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