世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1066
世界経済評論IMPACT No.1066

映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」

大石芳裕

(明治大学 教授)

2018.04.30

 久しぶりに映画館で映画を見た。2017年に米国で封切りされ,日本でも2018年3月30日に公開された「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」である。泥沼化するベトナム戦争に対する厭戦気分が高まりつつあった1971年,ベトナム戦争の経緯を詳細に調査した国防省の最高機密文書のコピーがニューヨーク・タイムズに渡り,発表された。当時のニクソン政権(共和党)は国防の危機であるとして掲載の差し止めを要求したものの,ワシントン・ポストまでコピーを入手し公表したものだから,「政府対メディア」の訴訟となり,結局,メディアの勝利で幕を閉じた。機密文書の内容は膨大でさまざまなものを含むが,歴代の大統領が米国の敗戦を潔しとせず,勝利の見通しもないまま戦争を継続したことが記されてあった。その後,1972年の大統領戦のさなか,民主党本部が入るウォーターゲート・ビルに何者かが不法侵入しているのを警備員が発見したところで映画は終わる。後日,この侵入者がニクソン大統領再選委員会の関係者であることが発覚し(以前仕掛けた盗聴器の修理のための侵入),2年2カ月の闘争の末,米国史上初めて現職の大統領が辞任するという「ウォーターゲート事件」に発展したことは周知の事実である。ちなみに,この「ウォーターゲート事件」で政府を厳しく糾弾したメディアの急先鋒はワシントン・ポストであった。

 映画はスティーブン・スピルバーグが監督を務め,メリル・ストリープとトム・ハンクスというアカデミー主演賞受賞の名俳優が出演している。実話に基づいたストーリーであるが,政府の圧迫と企業倒産という恐怖に怯えるワシントン・ポストの経営陣や弁護士の反対を押し切って,社主であるキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)と編集長のベン・バラディー(トム・ハンクス)が公表の英断を下すというハラハラドキドキ感が映画のクライマックスである。名監督・名優・名ストーリーなどから,アカデミー賞をはじめとする各賞を受章するのではないかと評判である。もっとも,ここで映画評論をしたいわけではない。

 映画の原題は「The Post」である。ワシントン・ポストが主題である。ニューヨーク・タイムズの方が先に最高機密文書を暴露したのに,なぜ2番手のワシントン・ポストが主題になったのか,ウォーターゲート事件を追及したのがワシントン・ポストであったからか,本当のところは監督に聞いてみなければ分からない。ただ,ワシントン・ポストが2013年にアマゾン・ドット・コムのCEOであるジェフ・ベゾスに2億5000万ドルで買収されたことはご存じであろう。これはベゾスがワシントン・ポストのオーナーであったドナルド・グラハムと15年来の友人であったからであるとされているが,ベゾス自身は「有力なメディアであるから」と発言している。このジェフ・ベゾスと現在の米国大統領であるドナルド・トランプは仲が悪い。ワシントン・ポスト(≒ベゾス)は2016年の大統領選の時からトランプを批判してきた。一方,トランプはワシントン・ポストも「フェイク・ニュース」であると強く非難している。トランプが大統領になった時には,アマゾン・ドット・コムの株価下落でベゾスの資産が13億ドルも目減りしたくらいである(1000億ドル超の資産を有するベゾスには大した被害でもないが)。

 一方,監督のスピルバーグ。この映画の制作発表はトランプ大統領の就任45日後。別な企画があったにもかかわらず,この映画を優先制作するとした。映画の時代設定は50年近く前の話であるが,スピルバーグはこの映画で現代の問題を語りたかったのではないか。2016年のゴールデングローブ賞の授賞式で「無礼は無礼を招き,暴力は暴力を招く。権力者がその地位を使って他者を虐めたら,私たちは全員負け」と名指しは避けたもののトランプを批判したことでも有名なメリル・ストリープに重大な決断をする社主の役を任せ,「プライベート・ライアン」などで何度もタッグを組んだことのある明白な民主党支持者であるトム・ハンクスを編集長に用いた。

 要するに,この映画はベゾス(ワシントン・ポスト),スピルバーグ,ストリープ,ハンクスなどによるトランプ政権批判である。かつて,ウォーターゲート事件を取り扱った映画「大統領の陰謀」(アラン・パクラ監督,ダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォード主演,1976年)がやはりワシントン・ポストを舞台に展開されたが,今回の映画におけるワシントン・ポストの社内や編集長室のレイアウトなども同じであり,「大統領の陰謀」へのオマージュともなっている。

 ワシントン・ポストは2017年から,そのスローガンを「Democracy Dies in Darkness」として,ウェブサイトのみならず紙面1面の題字の下に掲載するようになった。メディアがすべからく民主主義を代表しているわけでもなく(米国の巨大メディア・シンクレアやフォックスはトランプ寄りの「フェイク・ニュース」批判を展開),ワシントン・ポスト(ベゾス)が民主主義の守護神でもないが,闇の中にある強大な権力が国民の目を欺き,国民の耳を塞ぎ,国民の声を潰すことには闘わなければならない。

 米国議会では4月10・11日,フェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEOが公聴会で証言をし,議員から8700万人の個人情報流出について厳しく問い詰められている。新聞やテレビなどの報道機関に課されている規制が,フェイスブックのようなプラトフォーマーには課されていないことから,今後,規制が強化されるのではないかという予測もある。個人情報については欧州の一般データ保護規制(GDPR)が5月24日に発効予定であるが,政治的な思惑は別として当然守らなければならない問題である。とりわけ,この個人情報流出がトランプの大統領当選に一役買ったことが大きな問題である。

 国民の「知る権利」と政府の隠蔽,それは遠く離れた海外の話だけではない。極東の島国においても,この問題が現在大きく取り上げられている。映画「ペンタゴン・ペーパーズ」が主張しているのは,「民主主義は誰かが与えてくれるものではなく闘い取るものだ」ということであろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1066.html)

関連記事

大石芳裕

最新のコラム