世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.973
世界経済評論IMPACT No.973

親日国モンゴルの対日感情悪化と日馬富士問題の本質(その2)

田崎正巳

(STRパートナーズ 代表)

2017.12.25

2.なぜ品格とか,わけのわからないことを言い出すのか?

 これは日本相撲協会という組織の問題に関わっている。それはこの協会が「公益社団法人」の認定を持っているということである。公益社団法人とは,一般社団法人とは違いその事業の公益性を認めてもらう代わりに,大幅な税制優遇を得られるというメリットがある。要するに,宗教法人のように税金を払わなくてもいいということなのだ。

 このメリットは非常に大きく,日本相撲協会としては誰が理事長になろうが,どんな不祥事が起きようが,この認定を持ち続けることが至上命題であり,何よりも優先する。もちろん,横綱だろうと親方だろうと,これに比べれば組織内の論理としては優先順位が低い。

 では日本相撲協会は公益財団法人の認定をどのように受け入れられたのか? これは協会の目的として明確に書かれているので,一部抜粋する。

 「太古より五穀豊穣を祈り執り行われた神事(祭事)を起源とし,我が国固有の国技である相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させるために,本場所及び巡業の開催,これを担う人材の育成,相撲道の指導・普及,相撲記録の保存及び活用,国際親善を行うと共に,これらに必要な施設を維持,管理運営し,もって相撲文化の振興と国民の心身の向上に寄与することを目的としています」

 ここで出てくる単語は,「神事」「国技」「相撲道」「相撲文化」などで,これだけを読んだら,相撲がどんな競技なのかわからないほどである。少なくとも,格闘技の団体には見えない。この「相撲道」が「茶道」や「弓道」と書かれていても,違和感なく読めるであろう。ここに相撲が他のスポーツと違うように見える原因があるのである。

 相撲は大昔は別にして,近代になってからは神事というよりは興行であった。要するに「相撲を見せてお金を頂く」というもので,寄席や芝居と基本的には何ら変わるものではなかった。が,いろんな経緯でこれを「国技」としたところから,話が面倒になってきたのである。国技なので,国の管理下に置かれる。プロ野球の選手が飲んで事件起こしたからと言って,コミッショナーがいちいち役所に行って謝ることはないが,相撲は「国技」で「公益法人」なので,のこのこ出かけなければならないのである。

 徐々に,相撲がこの「国技」という呪縛の影響を受けだしてくる。国技,文化だから「勝てばいいってもんじゃない」とか「横審なる奇妙な年寄りの偏見にも頭を下げないといけない」など,当たり前のスポーツではどんどんなくなっていくのである。そこで,相撲は勝ち負けだけじゃない,「品位品格が大事だ」という話になる。なぜなら,相撲は「格闘技ではなく文化」なのだから。すると,どんなに強くても「品格がない」の一言で批判される。土俵の上ですら「ルールを破ってはいない」のに,横綱が張り手をすると批判される。

 「スポーツとは一定のルールの下で,勝敗を決するもの」と言っていいであろう。だが,相撲はスポーツではないのである。だから,ルール違反してないのに,漫画家などの門外漢にも公に批判されるのである。なぜか?それは「国技」であり「文化」だから。プロレスの場合は,相手を殴るとき「グー」はだめだけど「パー」はOKとルールにあるので,平手で殴っても誰も文句は言わない。

 結局,「国技」である大相撲は,公益法人であることを守るため,役所や横審などの「スポーツでない」と考える人たちの顔色を窺いながら意思決定をせざる負えない組織になってしまったのである。明文化されたルールがなくとも,横審が「あれは品格がない」と言いだしたら,それを止められない仕組みになってしまったのである。(続く)

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article973.html)

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