世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.763

フィルターバブルと構造的権力

古川純子

(聖心女子大学教授(在チューリッヒ))

2016.12.12

 2010年のメキシコ湾岸事故のあとに「BP」という単語を,米国北東部に住む,同等の教育水準と似た政治信条と持つ二人の女友達にGoogleで検索してもらった。検索結果は,ひとりはBPの投資情報や広告ばかりのヒット数1億8000万件,もうひとりはBPのニュースを1ページ目に含むヒット数1億3900万件と,大きく異なっていた。この小さな実験報告で始まるThe Filter Bubbleという著書で,イーライ・パリサーは,フィルタリング技術がもたらす社会的影響に警鐘を鳴らした。

 検索履歴,検索単語,表示された画像,検索者の位置情報,移動の有無,広告をクリックする回数などの情報はすべてGoogleに捕捉され,57種類の項目(シグナル)がトレースされているという。われわれが個人的かつ無防備に行っているサイト上の行動や履歴は,その人物の好みや性格を饒舌に語り,価値のある商品と化す。この情報からデータプロファイルが行われ,パーソナライズ,すなわち「個別最適化」された検索結果は主観的によくヒットする。満足したユーザーは,次もGoogleを検索エンジンとして選択することになる。これは,さらなる広告収入と個人情報をGoogleにもたらしている。Googleだけではない。Facebook,Yahoo,YouTube,楽天,Netflix,その他の無数のサイトが,ターゲット広告,「あなたへのおすすめ」など,消費行動を的確に刺激するパーソナライゼーションを中心的戦略のひとつに据えている。

 インターネットが,自由で開かれた市民同士の活発なつながりを保障すると期待されたのもつかの間,新聞やテレビのように誰もが同じ事実を共有していた時代から,自分では広く世界を検索しているつもりでも,好みの情報に囲まれた心地よいフィルターバブルにそれぞれが閉じこもり孤立しつつあるという時代に,われわれは知らぬ間に移行してしまった。しかも,ほとんどの人はそのことに気づいておらず,フィルターバブルの内側からではその情報の歪みを認識できない。他人の視点から物事を見ることを排除すれば,民主主義や成熟社会は成立し得なくなる。2009年以降の現象である。

 ビッグ・データ,IoTが進む方向は,個別最適化に加えて,プロセスの「全体最適化」,さらにはリアルタイムでフィードバックする最適化である。今までのように勘と経験に頼ることなく,膨大なデータが明確に示すポイントに,適切に資源を配分していく。

 「データは,新しい石油である」という言葉は,いまや説得力を持ちつつある。個人情報を含む「生のデータ」は,そこに法則性を見つける作業(データマイニング)を経て利潤を生む資源に変わる。ではこの生のデータという一次エネルギーをどう獲得するか。個人情報の取り扱いに関する法的な裏付けが必要になる。

 アメリカでは,政府にもテロ対策などの安全保障上の必要があり,個人情報へのアクセスに関するシリコンバレー優良企業の政府へのロビーイング活動は功を奏している。アメリカの圧力を受けて,EUの個人情報を欧州外に持ち出すことに関する条項の取り決めをめぐるEU内での厳しいせめぎあいは,モニカ・ホーテンの最新刊The Closing of the Netに詳しい。EUは最終的に個人情報のアメリカへの自由持ち出しに合意するわけであるが,さもなければ知識経済においてEUが情報サービスへの十分なアクセスから取り残されるおそれがあった。ホーテンは,このICT企業の技術が,いまやスーザン・ストレンジの提唱した「構造的権力」を形成しつつあるのではないかと主張する。この場合は,情報へのアクセスもしくは拒絶という目立たないフィルター技術その他の操作によって「ゲームのルール」を設定し,気づかぬうちにユーザーに遵守させることができる力である。また,ICT企業が保有する情報は政府が欲するものでもあり,情報と技術の提供と引き換えに法的保護を獲得する,もしくは政治的議題を設定していく力である。

 技術は本来,価値中立的である。ICTは,21世紀の基本的社会インフラであり,このグローバル社会のかたちを決めていく。経済的にも大きな可能性が情報とICTにあるのは間違いない。「生のデータ」は企業の利潤を生み出すこともできるし,市民生活を支える有益な公共財を生み出すこともできる。情報は,誰のものか。アルゴリズムを作り出す企業に誘導される経済や,その力を借りた政府に監視される社会を作るのか,誰もが個人の能力をおおらかに発信し,居場所を問わずに地球市民と協働する集合知の世界を作っていくのか。われわれはいま始まったこのパラダイムシフトのゆくえを,注意深く観察していかなくてはならない。

[参考文献]
  • Horten, Monica (2016), The Closing of the Net, Cambridge, UK: Polity Press.
  • Pariser, Eli (2011), The Filter Bubble;What the Internet Is Hiding from You, New York: Penguin Books. 井口耕二訳(2012)『閉じこもるインターネット』早川書房.

関連記事

古川純子

国際ビジネス

国際政治

科学技術

アングロアメリカ

最新のコラム

おすすめの本〈 広告 〉