世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.711

ICTとテロリズム:欧州の苦悩

古川純子

(聖心女子大学国際交流学科 教授)

2016.09.05

 在外研究中のETH(スイス連邦工科大学)で「ICT(情報通信技術)とテロリズム」と題した国際コンファレンスに参加した。スイスおよびスペイン政府,マイクロソフト,グーグル,フェースブック,カスペルスキー(ロシアのアンチウイルス・ソフト会社)が共催し,「平和のためのICT財団」,国連テロ対策委員会事務局が実施した。ETHをはじめ大学の研究者,国連,欧州評議会の専門官,ICT企業各社がプレゼンター兼討論者として参加し,世界4か所で連続して開催される会議とのことである。

 2015年のフランスのシャルリー・エブド襲撃事件,パリ同時多発テロ,2016年に入ってブリュッセル連続テロ,ニース・トラックテロ事件,ミュンヘン・ショッピングセンター銃乱射事件と,EU関連に限っても深刻なテロが続いた。この会議と類似した危機対応プロジェクトが多く開催されており,欧州がテロ問題と苦闘していることがうかがえる。

 会議のアジェンダは,ISやアルカイダによる戦闘員リクルートや組織構築へのICT利用をどう阻止すべきか,民間ICT企業はどう協力すべきかであった。したがって議論の主要論点は,テロリズムを過激化させるサイトをどう摘発し排除するかに傾いた。議論を聞きながら考えたことを3つほど論じたい。

 1つは,欧米が最も重要とする価値観,すなわち「人権」「法治」「民主主義」が,人権超越的なテロ行為に対峙するときに自らの手足を縛るというジレンマである。ある参加者は「たとえそれがISの情報であってもインターネットから排除するべきではない。今われわれはISのサイトを読もうともしない。もし読めばテロリストと認定されかねないからだ。排除すれば効果的な対応だというのは,やり方が間違っている」と発言し,「ならばこの現状をどうするのか」とかなり感情的な反論を受けた。「民主主義」の基本である表現の自由がいま,自分たちの民主主義を脅かしている。そこにいらだちがある。米系ICT企業からの討論者は速い口調で「毎日すさまじい数で増加するアカウントからテロリストのものを選び出す作業などはできない。どれがテロリストのものかなど分かるわけもない。なんらかの法的基準および透明性をもって対処する以外は何もできない」と自社の立場を説明した。アカウントの安易な峻別と排除は,できたとしても当然「人権」を侵すことになる。

 「違法であれば取り締まれるが,では何が違法サイトなのか」「あるICT企業が中国の国家的情報管理命令に屈した事例を覚えているか」「もし世界のすべての国がどの行為を違法とするかの共通の認識に立てないのであれば,たとえ国際的な取り決めを行ったとしても早晩一からやり直しだ」という「法治」に関わる基本的な疑義も提起された。

 「そもそもテロリズムをどう定義するのか」たしかにネルソン・マンデラはかつて南アフリカでテロリストと呼ばれた。ウィキリークスは国家の横暴を制する究極のジャーナリズムなのか,それともただのテロ行為なのか。テロリズムとは弱者による意思表明の最終手段であり,マイクロナショナリズムによる分離独立運動もテロと呼ぶというテロの拡大解釈は「民主主義」への脅威である。

 欧米の知識人は,国際的テロ行為に対峙して,自らの価値基準に自縄自縛される。それは,支配階級だけに許された自由を万人が手に入れるために歴史を通じて自ら戦い取った最も価値ある概念群だからである。日本のように薄い金箔ではない。一方で,民主主義を守ろうとする明確な意志はここでこそこれだけ強いものの,グローバルな視点でみると決して普遍でも強固な価値概念でもないのかもしれない。西洋が衰退していくとき,人類がこの価値基準を大幅に後退させる可能性もあるのではないか。

 2つ目には,テロが第一義的に政治問題であり,第二義的には経済問題を背景にしているという可能性への認識が希薄である。中東出身の研究者が「彼らが過激化する原因はICTにではなくて政治にある」とたまりかねて発言したとき,筆者は思わず頷いた。

 イスラム過激思想は,オスマン帝国領を欧州3か国で山分けする国境線を約したサイクス=ピコ協定を批判する。イラク戦争中に欧州のみならずアラブ諸国からも見殺しにされたイラク・スンニ派の怒りが,イラク解体の中で生み出されたISの残忍さにつながったことを誰も問わない。いま劣勢に転じつつあるISが「ISの地にたどり着けないなら自らの場所で行為せよ」という政策に転じていることを論じない。

 そして欧州のテロの多くが,欧州育ちのアラブ系欧州市民によって実行されたことや,シリアでのIS戦闘員の1/4がなぜ欧州から渡ったのかに誰も触れない。そこに政治的・経済的要因があるはずなのに,欧州人はそれを直視し言及する余裕を失いつつあるのだろうか。

 3つ目に,ICTが影響を及ぼす社会を迎え,ネットワークが持つ構造に対して社会科学的な目を向けるべきだという反省である。さきほどの中東出身の研究者のグループがレバノンで行った過激思想への感染ルートを特定する調査によると,過激思想に染まっていく拡散ルートは,身近な信頼する人からの情報によるという。テレビには政治的・資本系列的情報操作があるので敬遠される。個人的なWhatsApp(LINEに類似するSNSサービス)やFacebookによって彼らは情報更新を行っている。インターネットで配信される精巧に制作された画像が拡散経路として効果的なのだという先入観に反して,説得は口コミなどのオフラインで起きている。ICTオンラインでも極めて口コミに近い個人的なつながりを通じて起きているというのである。したがって効果的なテロ対策もまた,信頼のおける人物によるスーパー・ローカルな対面の説得が効果を持つだろうという。この知見は会場に刺激を与え,その後彼の元へは個人的にコンタクトをとろうとする参加者が押し寄せた。

 この調査結果は,ネットワーク科学が示す「スモールワールド」現象と合致する。これは,小さいクラスターの存在が広大な複雑ネットワークを構成し,その経路を通じて情報は拡散していくというものである。ネットワークの構造と情報伝達のしくみを科学的に考察することは,今後この問題への考察にも意義を持つであろう。

 会議は「このような国際的に議論を続けることで何が違法かの国際標準を作り出したい」と総括して終わった。これからのグローバル社会を見渡す貴重な視座を得た時間でもあった。

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