世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.705

阿房列車の復活:「こだま」をローカル特急からレジャー準特急に一新せよ

大山道広

(慶應大学 名誉教授)

2016.09.05

 先日,京都に行く用事があって横浜から「こだま」に乗ったが,私の不案内,不注意のせいでひどい目にあった。車内販売も食堂車もなく,京都まで飲まず食わずに行くことになったのだ。かつて愛読した内田百閒の「特別阿房列車」を思い出した。百閒先生いわく「阿房というのは,人の思わくに合わせてそういうだけの話で,自分で勿論阿房などと考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけではない。なんにも用事はないけれど,汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。」

 私は学会出席という目的があって京都に行ったのだから,「こだま」に対して文句を言う筋合いはない。しかし,「特別阿房列車」のなつかしい思い出をきっかけに,これからの新幹線旅行についてあらため考えさせられた。近年,ベビーブーム世代の退職とともに,金と時間に余裕のある中高齢者が増え,百閒流の阿房列車に対するニーズが高まっている。しかし,現在の「こだま」の運営は,果たしてこのニーズに応えていると言えるだろうか。

 百閒先生の阿房列車には少なくとも2つの特徴がある。第1に,一等でなければ乗らないということだ。現代の旅行に当てはめれば,さしずめグリーン車でなければ乗らないということになろう。百閒先生は五十になった時分から二等には乗らないと決めたと言う。先生の時代にはグリ-ン車などというものはなく,一等のほかに二等車と三等車があったのだが,先生はどっちつかずの曖昧な二等には乗りたくない,二等に乗っている人の顔付きは嫌いであるとまで云い放っている。現代の新幹線に当てはめれば,普通の指定席に乗るくらいなら自由席のほうがいいという考えになるのかもしれない。

 第2に,何も用事はないけれど汽車に乗って大阪に行って来ようという着想からわかるように,百閒先生は大阪に行くという目的よりも汽車に乗って大阪まで行くという行程を大事にしているのだ。そこで重要になるのは車窓の風景だ。「ぼんやりして窓の外の景色を眺めていると,汽車が何だか止まりがつかなくなった様に走って行って,そうして時間がたつ。遠くの野の果てに,見えないけれど荒い砂浜があって,その先に遠州灘がひろがっていると思われる見当の空に,どことなく夕べの色が流れている。」そうなると食堂車に行く時間になる。阿房列車で欠かせないのは食堂車だ。

 百閒先生の阿房列車から現在の「こだま」の運営に関していくつか改善への示唆が得られるように思う。グリーン車のサービス,食堂車の復活,自由席の増加などだ。現在のグリーン車は座席がゆったりしているのは当然で悪くはないが,阿房列車の一等車に比べれば車内販売がないという点では明らかに落第だ。「こだま」は現在全列車について車内販売を実施していないが,せめてグリーン車については料金を上げてもこれを復活する必要があるのではないか。グリーン展望車の設置も望ましい。こうしたサービスの導入によって「こだま」のイメージを一新し,現在のローカル特急からレジャー準特急に面目を改めることができる。

 それとともに,百閒先生が愛用した食堂車の復活も必須だ。東京~京都,東京~大阪などの比較的長く,トンネルの少ない区間では,高齢社会の到来とともに食堂車へのニーズが高まっているはずだ。話題の「七つ星」ほどの贅沢車両はおそれおおいが,ある程度メニューと体裁を工夫すれば,十分大方に親しみやすく,付加価値の高い食堂車を再現できるのではないだろうか。

 他方,一見矛盾するようだが,身軽な若者世代のために自由席の増設が望まれる。百閒先生もお金がなくて用事が出来れば,やむを得ないから三等車に乗るかもしれないと言っていた。健康で長寿の老人が増え続けている時代に,「こだま」を厄介者扱いにするなんてとんでもない話だ。装いを新たにした「こだま」の再生はアベノミクスのスローガンではないが,「老人が女性とともに輝く社会」を作るための一助となるだろう。

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