世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4047
世界経済評論IMPACT No.4047

米国の雇用鈍化の謎

榊 茂樹

(元野村アセットマネジメント チーフストラテジスト)

2025.10.27

実質GDPと失業率の関係が変化

 米国では新会計年度の予算成立が遅れ,政府機関が閉鎖に追い込まれました。その影響で雇用統計などの重要経済指標の発表も遅れ,経済状況の判断が難しくなっています。

 ただ,政府機関閉鎖の前から雇用統計等の動きには判断が難しい部分があります。最大の謎は,実質GDPが比較的堅調に成長している一方,雇用の伸びが鈍化し,失業率が上昇傾向にある点です。実質GDPは2023年4−6月期から2025年4−6月期までに年率+2.6%で成長しています。一方,失業率は2023年8月の3.7%から2025年8月には4.3%へと上昇しています。米国では実質GDP成長率が高まると失業率が低下し,GDP成長率が低下すると失業率が上昇するという関係があり,オークンの法則と呼ばれます。

 2007年1−3月期から2019年10−12月期までの期間における最小二乗法の推計では,以下推計式が得られます。

  • y=−0.6626x+1.1176 補正済み決定係数:0.779 標準誤差:0.580
  •  (−13.431) (9.336) ( )内はt値
  •   y:失業率の前年同期との差, x:実質GDP前年同期比,1四半期ラグ付き

 ここからy=0,つまり失業率が変化しない時の実質GDP成長率を求めると,1.69%となります。これは労働需給面から見た潜在GDP成長率と考えられます。

 一方,2020年1−3月期~2025年4−6月期の期間では,以下の推計式が得られます。

  • y=−0.8689x+2.2178 補正済み決定係数:0.862 標準誤差:1.188
  •  (−11.520) (7.073) ( )内はt値
  •   y:失業率の前年同期との差, x:実質GDP前年同期比

 この式で失業率が変化しない時の実質GDP成長率を求めると2.55%となり,労働需給面から見た潜在成長率が上昇した可能性があります。つまり,コロナ禍前と比べて,より高い実質GDP成長率を維持しないと失業率が上昇するようになったと言えます。

知的財産投資の増大と労働分配率の低下

 潜在成長率上昇の背景としては,知的財産投資の増大による生産性の向上が考えられます。知的財産投資のGDP比は,2010年1−3月期の3.87%から2020年1−3月期には5.18%,2025年4−6月期には5.55%へと上昇しています。ただ,知的財産投資のGDP比は長期的に上昇しており,なぜコロナ禍を経て実質GDPと失業率の関係が変化したのかは説明できません。

 その点の一つの説明要因となりうるのは,コロナ禍後の労働分配率の低下です。企業部門の労働分配率(企業部門雇用者報酬/企業部門純付加価値)は2007年1−3月期~2019年10−12月期の平均75.38%から2020年1−3月期~2025年4−6月期の平均では72.47%に低下しています。コロナ禍の下での行動制約をきっかけに,ロボットやAIを導入して労働投入を削減する方向に生産技術の変革が進んでいる可能性があります。

雇用減退が個人消費支出に波及するか

 ただ,雇用減退の一方で経済成長は堅調という状態が,今後も続くとは限りません。実質雇用者報酬の前年同月比伸びは,2023年12月の+3.6%から2024年12月には+2.6%,2025年8月には+2.1%へと減速しています。雇用減退の一方,トランプ関税の影響などで個人消費支出価格のインフレ率の低下が遅れているため,今後,実質雇用者報酬はさらに減退することが予想されます。

 2005年1月~2025年8月の期間において,実質個人消費支出の前年同月比上昇率と実質雇用者報酬の前年同月比増加率の相関係数は0.702です。一方,実質可処分所得の前年同月比増加率と実質個人消費支出の前年同月比上昇率の相関係数は−0.149です。米国の景気一致指標に採用されている移転所得,所得税支払い分を除く実質個人所得の前年同月比の場合は0.649です。個人消費支出は利子,配当,地代などの受け取りや,社会保障給付,増減税よりも,雇用者報酬の変動の影響を受けやすいことがうかがわれます。実質雇用者報酬の減退を受けて実質個人消費支出が減退すれば,実質GDPも鈍化し,雇用減退に拍車がかかるでしょう。

 雇用と個人消費支出のスパイラル的減退の様相が強まれば,FRBによる追加利下げは10月28,29日と12月9,10日の年内2回のFOMCでの合計0.5%では終わらず,来年も利下げが続いて1回の利下げ幅が拡大することにもなりそうです。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4047.html)

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