世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
したたかな英国外交:スターマー首相とチャールズ国王の連携プレー
(同志社大学法学部 教授)
2025.03.24
唯一の超大国とも呼ばれる米国との関係を「最も重要な二国間関係」として位置づける国は,わが国をはじめとして少なくないかもしれない。しかし,対米関係を「特別な関係」と見なしているのは英国だけだろう。もちろん,国力の違いが大きいため,英米の特別な関係は,米国よりも英国にとって,より「特別」なものと意識される非対称的関係であることは明らかだ。
この英米関係にとって重要な出来事が2025年2月末から3月にかけて見られた。まず,2月27日にワシントンのホワイトハウスでスターマー首相とトランプ大統領の首脳会談が行われた。中道左派の労働党の政治家で人権派弁護士としての経験を持つスターマーと,米国第一主義の立場を掲げる不動産王のトランプは,イデオロギー的にも性格的にもまさに水と油の関係と見られていたため,首脳会談の行方が危惧されていた。
しかし,こうした危惧は杞憂に終わった。予測不可能な言動をすることで知られるトランプ大統領との会談がおおむね成功に終わったのには,スターマー首相をはじめとする英国側の周到な準備が功を奏したと言える。
まず,首脳会談の日程が決まる前から,英国では公式,非公式のコンタクトを通じて,ウクライナ戦争や国際貿易を始めとする主要問題に関するトランプ政権の立場について綿密な情報収集が行われたようである。また,トランプ大統領の一期目に首脳間での良好な関係を築いた安倍首相の対応について検討されたとも言われている。
こうした周到な準備にもとづき,スターマー首相はトランプ大統領の言動や行動に反論や意見をするのではなく,英米の立場に関して一致点を探る一方,米国側が求める事柄について可能な限り対応する姿勢を明確にした。その姿勢をまさに表したのが,訪米直前に発表した防衛費増額であった。労働党は総選挙で防衛費のGDP比2.5%への増額を公約していたが,その時期については経済財政状況によるとして明確にしていなかった。しかし,かねてより欧州諸国の防衛費増額を求めていたトランプ大統領に対して,2027年までに2.5%を達成し,さらに次期総選挙後には3%をめざす立場を示したのである。
防衛費増額はトランプ大統領への手土産と揶揄されるかもしれないが,ロシアの軍事的脅威による欧州をめぐる安全保障環境の悪化に対する必要な対応とすることができる。それに対して,トランプ大統領へのまさに手土産と見なすことができるのが,スターマー首相が首脳会談の場で直接手渡したチャールズ国王の手紙に記された米大統領として前例のない二度目の国賓としての招待である。エリザベス女王による一期目の招待に加えて,二期目にチャールズ国王から再度国賓として招待されたことについて,母親がスコットランドのルイス島生まれで,英国王室に深い思い入れのあるトランプはいたく感銘を受けたようである。
立憲君主制の英国では,国王の外交関与は政府の決定にもとづくため,今回の国賓としての招待もスターマー首相の判断による。しかし,チャールズ国王は長い皇太子時代に多くの米大統領と面会し,またさまざまな国々の元首と親交を深める経験を有しているので,トランプ大統領の訪英に際して重要な役割を果たすことになるだろう。
一方,成功裏に終わったとされる英米首脳会談の翌日(2月28日)に,ウクライナ戦争の行方を左右しかねない事件が持ち上がった。トランプ大統領とゼレンスキー大統領の会談が,両者の間で激しい口論となり決裂したのである。米国の支援を失ってウクライナが孤立する事態も想定される中,スターマー首相はウクライナを支え続ける姿勢を明確にしたが,その際,またもや重要な役割を果たしたのがチャールズ国王であった。
決裂したトランプ大統領との会談の翌日(3月1日),英国を訪問したゼレンスキー大統領を首相官邸で出迎えたスターマー首相は,固い抱擁を通じてウクライナに対する英国の連帯を示したが,チャールズ国王も国王別邸のサンドリンガム・ハウスでゼレンスキー大統領を温かく迎えるという,見事な連係プレーが見られた。そして,スターマー首相が主催してゼレンスキー大統領も参加したロンドンでの欧州首脳会議において,ウクライナ和平に向けた計画策定について協力を進めることが合意され,その後も英国主導で停戦後の平和維持に関する欧州の首脳レベルおよび軍関係者の協議が継続している。
このようにブレグジット(英国のEU離脱)によって,外交上の影響力を低下させたかと見られた英国は,ウクライナ和平をめぐる欧州と米国の離間を押しとどめる架け橋の役割を果たそうとしているようである。しかし,欧米の架け橋をめざす英国の試みには苦い前例がある。2003年のイラク戦争開戦前,当時のブレア首相はイラク問題をめぐる欧米の協調を維持することに失敗し,仏独が反対する中,米国主導のイラク攻撃に参加することになった。
イラク戦争の轍を踏まないようにするため,スターマー首相はチャールズ国王とともに,一方でウクライナに対する支援はおろか,NATOを基盤とする大西洋同盟に対するコミットメントが疑われているトランプ大統領をつなぎ止め,他方でウクライナ支援に対する欧州諸国の協力を一層強化することが求められている。仏独など共和制の国にはない王室外交という奥の手を有する英国が,米国が孤立主義に傾くのをどれだけ阻止することができるのか,したたかな英国外交の真価が問われている。
- 筆 者 :力久昌幸
- 地 域 :欧州
- 分 野 :特設:ウクライナ危機
- 分 野 :国際政治
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