世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
日本のLPガス業界は「M&Aの時代」に突入か?
(国際大学 学長)
2025.03.10
2024年7月1日,LPガス業界に衝撃が走った。三井住友銀行の投資専門子会社であるSMBCキャピタル・パートナーズが,LPガスの販売・小売等に携わるアクアクララレモンガスホールディングス(以下,「レモンガス」)および宅配水の製造・販売等に従事するアクアクララの全株式を取得したと発表したからである。1942年に設立された老舗であり,LPガスコジェネレーション導入などの革新的事業展開で知られるレモンガスは,約30万世帯の家庭や法人の顧客を擁する大手のLPガス販売・小売事業者である。最近,しばしばM&A(企業の合併・買収)の対象になったと報じられている需要家1万世帯前後の中小LPガス事業者の場合とは,意味合いがまったく違うのである。さらに,M&Aを遂行したのが,LPガス業界内部の他社ではなく金融機関系の投資ファンドであったことも注目を集めた。衝撃が走った理由は,これらの点に求めることができる。
なぜ,日本のLPガス業界においてM&Aが盛んに行われるようになったのか。この問いに答えるためには,以下の四つの背景に目を向ける必要がある。
第1の背景は,需要家の減少,後継者の確保難,配送コストの上昇などに悩むLPガス事業者にとって,M&Aが「究極の解決策」となる場合がある点だ。
一般的に言ってM&Aは,それらの悩みに直面するLPガス事業者に,事業の継続を確保し経営の安定をもたらす,従業員の雇用を維持する,場合によっては事業の成長も期待できる,などのメリットを生む可能性がある。また,オーナー企業の場合には,オーナーやその他の株主にキャピタルゲイン(資本利得)を実現する,債務保証や不動産等の担保提供などの個人保証のリスクから解放される,非上場企業の場合には現金化することによって資産の流動性が高まり相続税対策が容易になる,などの利点もあることを忘れてはならない。
ただし,この第1の背景は,すでにだいぶ前から存在していたものである。LPガス業界においてM&Aが行われる理由にはなりえても,それが,最近になって盛んになった理由を説明するものではない。最近のM&Aの盛行には,他の三つの背景が関連している。
第2の背景は,現状では,エネルギー業界全体のなかでLPガス小売事業の収益性は図抜けて高く,M&Aを仕掛ける側にとって,魅力的な買収対象である点だ。
アメリカにおけるシェールガス開発の進展によって,LPガスの輸入先が中東に独占されていたかつての状況は一変し,2010年代半ば以降,LPガスの輸入価格は大幅に低下した。にもかかわらず,日本国内のLPガスの小売価格は,今もって高止まりを続けている。
2021年度版の『エネルギー白書』は,「2013年に米国から,シェールガス・シェールオイル開発に随伴して生産されるLPガスの輸入が開始されたことにより,LPガス全体の輸入量が減少傾向にある中で,米国からの輸入量は8年連続で増加し,そのシェアは2011年度の0.8%から,2019年度には72.6%へと急拡大しました」(108頁)と述べたうえで,LPガスの輸入CIF価格(運賃保険料込み価格)と家庭用小売価格の推移を比較した図を掲げている(143頁)。その図によれば,13〜19年度に輸入CIF価格は急落したあと低位を維持したのに対して,家庭用小売価格はその間にもほぼ一貫して緩やかな上昇傾向を示したのである。
このような状況は,エネルギー関連の他の業界では考えられない。燃料の輸入価格が上昇した場合にはそれに連動する形で小売価格を上げることはできるが,逆に燃料の輸入価格が下落した場合にはそれに連動する形で必ず小売価格を下げなければならない。そもそも,電力業界の大手はいまだに規制料金に縛られているし,自由料金制に移行した都市ガス業界でも値上げを実施することはきわめて困難である。石油業界においても,小売マージンを引き上げることは不可能に近い。これらに比べれば,LPガス小売事業の利幅の大きさは,刮目に値する。
2024年7月にレモンガスのM&Aを遂行したのがLPガス会社や都市ガス会社ではなく金融機関系の都市ファンド(三井住友銀行の投資専門子会社であるSMBCキャピタル・パートナーズ)であった理由の一端は,この利幅の大きさにあったと考えられる。一般的に言って,収益性が高く規模がそれほど大きくない企業は,M&Aの対象にされやすい。今後は,外資を含む異業種企業が日本のLPガス小売事業者をM&Aする事例が,頻発するかもしれない。
第3の背景は,LPガスの取引適正化の進展を受けて,一部の大手LPガス会社が,需要家獲得の手段として,これまでの「過大な営業行為」に代えて他事業者のM&Aを重視する動きをみせている点である。
2024年4月2日の液石法(液化石油ガスの保安の確保及び取引の適正化に関する法律)施行規則の一部を改正する省令の公布によって,LPガスの取引適正化へ向かう大きな一歩が踏み出された。3カ月後の7月2日には同省令の一部が施行され,正常な商慣習を超えた利益供与の禁止など,過大な営業行為が制限されることになった。同じ日には,賃貸住宅入居希望者へのオーナー,不動産管理会社等を通じたLPガス料金の事前提示も,努力義務とされることになった。さらに省令交付から1年後の2025年4月2日にはLPガスの三部料金制が施行され,基本料金・従量料金・設備料金からなる三部料金制の徹底と,電気エアコンやWi-FiなどLPガス消費と関係のない設備費用のLPガス料金への計上禁止が義務づけられることになる。
そして,LPガスの取引適正化の実効性を高めるため,通報フォーム,自己適合宣言,新ガイドライン,公開モニタリングなどの追加的な施策も導入されつつある。
LPガスの取引適正化に反する問題行為を経済産業省に通報するのが,通報フォームである。関係事業者のみでなく,需要家も通報することができ,匿名の通報も可能である。同フォームの設定から数ヵ月のあいだに1000件を超す通報があり,その約7割がLPガス事業者,残り約3割が賃貸住宅のオーナーや不動産関係業者を対象としたものだったそうだ。通報フォームで問題行為が明らかになった場合には,経済産業省が当該LPガス事業者に対し再発防止を強く求める措置をとったと聞く。
LPガス事業者が取引適正化のルールを遵守することを社会に向けて発信する自己適合宣言は,出足こそ芳しくなかったものの,その後,業界内に急速に広がりつつある。新ガイドラインと公開モニタリングについては,液化石油ガス流通ワーキンググループの場で,具体的な制度設計が進められている。
このような状況の下で,これまで「過大な営業行為」により強引なやり方で需要家を獲得してきた一部の大手LPガス会社は,方針変更を余儀なくされつつある。そこで,需要家を一軒一軒切り崩すことに代えて,まとまった規模の需要家を一挙に獲得することができる他事業者のM&Aへ,軸足を移しつつあるのだ。
第4の背景は,経済産業省が,M&A等を通じた経営統合によるLPガス業界の再編について,それを歓迎する姿勢をとっている点である。
経済産業省は,LPガスの取引適正化に背反し「言うこととやることが違う」動きをみせる一部の大手LPガス会社に対して,厳しい姿勢で臨んでいる。一方で,その大手LPガス会社が業界内でM&A等による経営統合を進めた場合には,それを評価することになるだろう。過多過小の企業が存在することがLPガス業界の合理化を妨げているというのが,経済産業省の基本的認識だからである。
そもそも経済産業省は,LPガス業界に限らずさまざまな業界において,経営統合による業界再編が進行することを歓迎する傾向が強い。例えば,同省が主導して2013年に制定した産業競争力強化法は,政府が商品やサービスの市場動向を調べ,供給過剰に陥っている業界を公表し,事業統合やM&Aが必要であると示すことにより,業界再編を促すねらいをもっている。
産業競争力強化法の最初の調査対象となった石油元売業界では,その後,製油所の閉鎖・縮小が相次ぎ,M&Aによる経営統合が進展した。2017年にはJXエネルギーと東燃ゼネラル石油が統合しJXTGエネルギー(現在のENEOS)が成立したし,2019年には出光興産と昭和シェル石油が統合した。
「過多過小の企業が存在すること」には,悪い面があるばかりではない。LPガス業界にあてはめれば,企業数が多く企業規模が小さい方が,よりきめの細かい地域密着型のサービスの展開が可能になるとも言える。しかし,経済産業省は,管轄している業界に「過多過小の企業が存在すること」を嫌う。企業数が集約されればされるほど,企業規模が大きくなればなるほど,管轄を行うことは容易になるとみなしているからだ。
ここまで,日本のLPガス業界でM&Aが盛んに行われるようになった背景を掘り下げてきた。それは,①M&A自体がもちうるメリット,②M&Aの対象としてのLPガス小売事業の魅力,③大手LPガス会社の需要家獲得策の変化,④経済産業省の積極的姿勢,という4点にまとめることができる。これらの諸事情を反映して,現在,日本のLPガス業界は,「M&Aの時代」を迎えつつある。大きな嵐が近づいているのだ。
- 筆 者 :橘川武郎
- 地 域 :日本
- 分 野 :国際ビジネス
- 分 野 :資源・エネルギー・環境
- 分 野 :経営学
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