世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.573

民主主義の基礎

大石芳裕

(明治大学 教授)

2016.01.18

 2016年1月3日夜,サウジアラビアはイランとの国交を断絶すると発表した。サウジがイスラム教シーア派の高位聖職者ニムル師を処刑したことに抗議して,イラン国民がサウジ大使館を襲撃したことに対する措置である。ニムル師は2011年にシーア派住民が多く住むサウジ東部で反政府運動(サウジはテロ活動と呼称)を指導したとして逮捕・拘束されていた。同じシーア派が多数を占めるイラン国民が,スンニ派が多数を占め政権を掌握するサウジに反発したというのが宗教的側面からの解説である。

 政治的側面からの解説は,米国がこれまで制裁措置をとってきたイランに対し,近年制裁緩和に動いており,これにもともと親米国だったサウジが反発したというものである。イランは,もともとスンニ派のサダム・フセインを米国などの多国籍軍が排除した結果,シーア派政権になったイラクに大きな影響を及ぼし始めている。さらに,やはりシーア派が多数を占めるシリアのバッシャール・アル=アサド政権を支持し,「シーアの三日月地帯」を形成している。イランは古代よりサウジの敵であったが,8000万人の人口を擁する大国・イランが実質2000万人しかいないサウジの脅威になった。しかも,イランは1979年のイラン革命で皇帝モハンマド・レザーを追放した国である。王族が支配するサウジとしては許しがたい。

 経済的側面からの解説は,現在すでに低迷している原油価格が,制裁解除されたイランの大量輸出によってさらに低下することを大産油国のサウジが懸念しているというものである。原油輸出が外貨収入の90%を占めるサウジにとって,原油価格の低下は由々しき問題である。そうでなくても,世界全体の成長率鈍化と地球温暖化への対策として原油需要が減退している今日,封じ込められていた「パンドラの箱」が開けられることは許しがたい。

 サウジが,米国がニムル師の処刑に反対していたにも拘わらず,処刑を断行した背景には以上のような宗教的・政治的・経済的側面があると指摘されている。「イスラム国(ISIL)」の脅威が拡大する中,モザイク模様のアラブ世界はさらに不安定な要因を抱えたことになる。このようなアラブ世界の情勢は専門家でない限り,いやたとえ専門家であっても,にわかには理解しがたいのではないか。

 考えてみれば,アラブ世界で民主化を求める大規模なデモや騒乱が起こった「アラブの春」は,ほんの数年前の2010年から2012年のことであった。多くのアラブ諸国で民主主義を求める運動が盛り上がり,チュニジア,エジプト,リビア,イエメンでは独裁政権が倒された。しかしながら,その破壊の熱狂が終わりを告げると,残ったものは混乱だけという状態になってしまった。非人道的な独裁政権は許容できるものではないが,「破壊と創造」の「創造」において,民主主義を成立させるためには最低限の基礎が必要なのではないかと考えさせられる。それは「市民社会の発達」である。

 イギリスは1641−49年の清教徒革命や1688−89年の名誉革命を経て,立憲君主制・議会主義へと移行した。フランスは1789年のフランス革命で絶対王政を倒し,立憲君主制を経て共和制になった。このような西欧諸国においては,長い王政国家の期間に,民衆はしいたげられながらも脈々と市民意識を醸成し,来るべき民主政治への準備を成していたのではないか。日本においても1867年に大政奉還・王政復古がなされ,明治維新となった。王政復古ではあるが,実質は明治維新の勝利者である薩長土肥の旧武士(当時の知識階級)が国家運営に当たっており,絶対王政とは異なる。日本においても,徳川幕府の260年の間に武士という特権階級の間ではあったが市民意識の醸成があったと考えるべきだろう。明治になってからは徳川時代に士農工商と最も下位に位置付けられていた商人においてさえ市民意識が形成され,明治時代には「市民社会」が成立しえたのである。

 独裁政権を倒し古い体制を破壊することは難しい。しかしながら,破壊の後,民主主義体制を創造することはさらに難しい。アジアにおいても,フィリピンやインドネシアなどで独裁政権が続いた後,政治がある程度正常になるまでかなり長い時間がかかっている。政治が安定してくると,内外の資本が安心して投資をするようになり,経済も好調に推移し,政権はさらに安定するという好循環が生まれる。われわれは「民主主義の基礎」として「市民社会の発達」がどの程度進んでいるのかを見抜く必要があるのかもしれない。

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